2022年8月13日土曜日

笑福亭仁智(落語家)          ・上方落語の昨日・今日・明日 (収録:2022年7月2日)

 笑福亭仁智(落語家)      ・上方落語の昨日・今日・明日 (収録:2022年7月2日)

1952年8月12日生まれ、高校卒業後に故笑福亭仁鶴さんのもとへ弟子入りし、当初は古典落語、後に新作落語で実力を発揮し、2003年と2015年には文化庁芸術祭の優秀賞を受賞、又2018年からは上方落語協会会長を務めています。   落語家として仁鶴さんの元で歩み始めた修業時代、上方落語協会会長として見た現状や、これからの落語の可能性など上方落語の昨日・今日・明日 について伺います。

小さい時、上がり症で人前に出るのが駄目でした。   高校1年生の時に友達に誘われて若手の落語家の勉強会に行きました。  笑福亭鶴光さん、桂米蔵さんとかいて、毎月行くようになりました。  高校2,3年生の時に進路指導がありましたが、年間120回ぐらい遅刻するのでサラリーマンは無理だと思いました。   落語を覚えて家族の前で披露して、笑ってもらえるという感動を得ました。   噺家になりますと自分では決めました。  入門先を決めるにあたって笑福亭松鶴師匠(笑福亭仁鶴師匠の師匠)、桂米朝師匠、桂春団治師匠、桂文枝師匠など考えましたが、弟子がいない師匠のところがいいのではないかと考えて、笑福亭仁鶴師匠は人気があり、面白さもあり、ここに入門しようと思いました。   電話番号を調べて連絡して、友人と共に会いに行きました。   1か月後に、ネタを覚えて聞いてもらいに行きました。  師匠のネタの池田の猪買い』を披露しました。   OKとなって翌年から行きました。  

通いでやっていました。  師匠は車が好きで運転していて、そこで稽古をしてもらったりしました。   笑福亭は「捨て育ち」というような気風があり、いってみれば「ほったらかし」というような感じでした。  自由奔放といった感じです。  噺家は自分で味、芸風、自分らしくそれぞれ育ててゆくものなので、弟子に対しても、自分で覚えなさい、芸を盗みなさいと言います。   

去年の8月17日師匠が急に亡くなってしまいました。   余り話さない人でしたが、2日前に米朝師匠、松鶴師匠の話とか、真打制度の話とか2時間ぐらい話をして、びっくりしました。   教えてくれる人が亡くなるという事は中々きついです。   

4年前に前会長が辞めると言われて、選挙になって、上方落語協会会長をやる事になりました。   僕らが入った時には50人ぐらいで松鶴師匠が会長をやっていました。  16年前、前会長の桂文枝師匠が三枝の時に、365日落語をやっているところがなくて、それを作るんだという事でそれが出来てから、変わりました。  お客さんもたくさん来ていただきましたし、1週間同じメンバーでやるので、いろいろ勉強にもなりました。   今は270人ぐらいいて、勉強会も盛んで落語家の一人前になる成長速度が凄く早くなったと思います。 可能性としたら人数が多いに越したことはないですね。   お客さんにとっては団子状態になってしまう危険性もあるので、個性を作りにくいとか、落語のネタの想定も50代が一番聞きやすいというような構成になっているので、35,6歳で一人前になった時にその年齢のギャップが試される時だと思います。  

頑張らなければしょうがないようなところに放りこまれて、そういったところで育てられました。    映画、御芝居が機械仕掛けと言いますか、デフォルメして大げさになって行く方向にあり、落語はお客さんと作り上げてゆく芸なので、噺家がしゃべっているのをお客さんが想像して物語を描いて、面白がったり感動したりする芸なので、その存在価値をお客さんに知らしめて、感じて頂けるならば、生活の中での存在がちゃんとしたものになって行くんじゃないかと思います。   笑いがもたらす健康効果が医学的科学的に研究されている大学の先生とかがいらっしゃって、大阪の万博のテーマが「健康」で、落語を聞いたらこれだけ健康にいいという、医学的科学的データを数値化していただき、落語の健康効果を国が認めたりしたら、落語を聞くという処方箋が出たら入場料が保険で2,3割負担で聞けるというような状況になるのではないかと思います。  薬と違って副作用がないんです。