2022年8月28日日曜日

岩田達宗(オペラ演出家)        ・【夜明けのオペラ】

 岩田達宗(オペラ演出家)        ・【夜明けのオペラ】

兵庫県出身、東京外国語大学卒業後、演劇やオペラの舞台製作に関わり、1991年オペラ演出家の栗山昌良氏の演出助手となり、1996年に演出家デビュー、1998年から2年間イギリス、ドイツに留学、2011年にブリテン作曲、「ねじの回転」で文化庁芸術祭大賞を受賞、独創的で卓抜した舞台作りで新国立劇場、日生劇場を始め、日本各地のオペラ公演を手掛けています。   現在大阪音楽大学客員教授、又2020年からはリモート講義岩田達宗道場を開催しています。

オペラはどうしても準備に時間がかかるものですから、複数の舞台を並行して準備することはないんですが、感染症でたくさんの舞台が延期になって、延期になったものがたまたま先月、先々月重なってしまって、掛け持ちで稽古場をめぐる事をやってしまったら、こんな(擦れた)声になってしまいました。   お客様を迎えられることがこんなにいいものかとこの2年間ぐらいで痛いほど判りました。   

父がお寺の住職で、お経の一種で声明(仏典に節をつけた仏教音楽という音楽の一種があります。   父親がテノールで声明を歌う人でした。  父に習って声明をやっていました。小学校1年から6年生までピアノは習っていましたが、怖くて厳しい人で嫌で嫌で、学校では音楽はとらなかったです。  父親が戸籍を区役所に出す時に、達宗の「宗」の宇冠をどけて出したんです。  この子はもっと自由に生きて欲しいという事で「達示」に変えました。   オペラ演出家になる時に「達宗」に戻しましたが、「たつむね」ではなく「たつじ」と読むようにお願いしました。   中学、高校は映画にはまって、学校をさぼって映画を観ていました。  安藤元雄さんというフランス文学者、詩人の先生がいて、大学の先生に成ろうと思っていました。  先生が2年生の時に辞めてしまって途方に暮れて諦めました。  映画と大学のラグビー部に入ってラグビーをやっていました。   オペラの大道具を運んだりするアルバイトをずーっとやっていました。   映画音楽が好きだったので、シンフォニー、ミュージカルが好きになって、高校時代にはレコードをひたすら聞いていました。  

ジーザス・クライスト・スーパースター』から「I Don’t Know How to Iove Him」

どうやって人間が生の声で生きた言葉を伝えるか、悩んでいる人たちに心惹かれていきました。   舞台監督助手を10年間やりましたが、いろいろトラブルを起こしてしまい、舞台監督助手をやっていたら問題をおこすので、演出家にしてしまおうという事になりました。1991年オペラ演出家の栗山昌良先生の演出助手となりました。 

1998年から2年間イギリス、ドイツに留学しました。     イギリスではロンドンで朝、昼、晩劇場に通いました。   ドイツでは兎に角行ける劇場を全部回って観ました。(50か所ぐらい)   得たものはたくさんありますが、日本の舞台のスタッフは相当優秀だなという事かもしれません。  日本の合唱団も素晴らしいという思いもありました。   

尊敬している演出家の人が出演者とスタッフに、「皆さんを幸せにします。 皆さんが幸せな気持ちで舞台にのらなくて、どうしてお客さんが幸せな気持ちになれるでしょう」というんです。  感動しました。  僕もそういう気持ちで舞台に出演する歌い手の方たちに赤いバラを渡して対応しています。(イギリスで知ったことです。)

「フィガロの結婚」の手紙の二重唱  歌だから手紙のようにはたくさん書けない。  「言葉の数は少ないけれどきっと判ってもらえるよね」と言いう事を歌っている。    オペラだとお芝居の言葉の1/5ぐらいしか言葉が使えない。  言葉が少ないがきっと判ってもらえる、というのがオペラそのものなんだというわけです。

*「フィガロの結婚」の「手紙の二重唱」

「ショパン」というタイトルでショパンの生涯を描いているオペラ、ショパンの曲150曲で2時間のオペラを構成している。  ショパンはオペラが好きだった。  

*「別れの曲」 作曲:ショパン