2022年8月21日日曜日

湯澤規子(法政大学教授)        ・【美味しい仕事人】 育てよう!食の学び

 湯澤規子(法政大学教授)        ・【美味しい仕事人】  育てよう!食の学び

湯沢さん(48歳)は、「生きる」をテーマに地理学、歴史学、経済学の視点から日常を問い直すフィールドワークを重ねています。  今日は食べ物から見えてくる一人一人の「食べ物語」について伺います。

「食べ物語」は食べる+物語という意味と食べることを物語ると二つ掛詞みたいになっています。   教室に来なくては手に入らないものは何だろうと考えた時に、予測不能な場の即興性というんでしょうか、そういうものを共有しながら、自分の印象の中に刻まれたり、仲間と話して初めて、立体的に知識が立ち上がってきたり、そういったことを大事にしたいと思って、その時ワークショップは効果的でした。  食べることは日常生活の中で日々のことなので、等身大の出来事の中に、歴史の中に面白い出来事、あるいは大きな意味があるという事、私自身歴史研究をしている中でつくづく気付いてきたことを、みんなと立ち上げたいと思って「食べ物語」という話をしています。

食べ物を物質として理解している、栄養素、何に役に立つのか、とか機能性に注目して、それも大事な研究ですが、私たちは人間として何故人と食べるんだろうか、どうして調理をしてきたんだろうか、同じ食材なのに世界中いろんな料理があるのだろうか、もっと多面的に見てみようと思いました。    食文化、という文化でもあったりする。   立体的な食べ物像を学生たちと話したいと思った時に、胃袋の物語を、100年ぐらい遡って話し合いました。  私にも歴史があると言う事をワークショップの学生さんたちも気づき始めます。

自分の話をすると人の話を聞きたくなるんです。   30人いるとい30人の物語があります。   印象深かったのが、「バナナの恋ばなし」というのがあり、バナナはかつては高価な食べ物だったのでそういった経緯を話したら、或る女子学生が駆け寄ってきて、「おじいさんのことが判った」というんです。  おじいさんが妻に愛の告白をするときにバナナを一房持って行ったらしいんです。  今ではバナナは安いのでそんなものを持って行っておかしな人だと思ったけれども、配れる高級フルーツを持ってくるとは何ていかした人だろうという事で評価が180度変わったと言って、世代を超えて判りあえたというんです。  好きなものにもそれなりの物語があるようです。   その物語でさらにその人となりを理解できるようになります。   

戦後の農業史、食物史は今につながる、未来につながる大事な事なのに、それを等身大で教えられない歯がゆさがありまして、どうしたらいいかと思っていた時に、「食べ物語」を話すことで、出会ってゆく中で、これを授業の切り口にしたらいいのではないかと思いまして、それが始まりでした。  高度成長期は食べ物だけではなくて生活が劇的に変わっています。   三世代に渡る生活史みたいなものを話し合ってもらって、自分史の中につなぎ合わせてる、そういった取り組みをします。  キッチン一つとってみても好みとか、時代によって考え方が違います。  料理に対する向きあい方の違いも時代によって違う事を知って来るとのびのび生きるというか、三世代年表を作ると自分を発見できるとともに、前の世代のことも理解できることがいいかなと思います。   

大学院での世代間があるワークショップで、食べ物とは何という話をすると、若い人は自分のなかにいれる栄養と書いたんですが、70代の人は平和と書いたんです。  本質を衝いた話し合いになって行きます。   

高校生の頃に食に関わる仕事をしたいと思っていましたが、挫折して辿り着いたのが歴史地理学でした。    大学生の時には個人食堂にアルバイトで行きました。   8年前に愛知県一宮市の鋳物工場に歴史家としての資料調査をする機会があり、工場で食に関わる資料が沢山あって、食を歴史でやったら、自分でやりたかったことにもなるし、面白くて、胃袋から歴史を書くという事をやってみようと思いました。   単なる労働力ではなくて、生きた人間としての労働者の日々みたいなものが立ち上がってきて、面白かったので『胃袋の近代―食と人びとの日常史』としてまとめました。   些細なことを日常の食のリアリティーを生き生きとえがけました。 

うんこはどこからきてどこへ行くのか、という人糞地理学。  愛知県一宮市の鋳物工場での排せつ物を近隣の農家に売り買いしていたという古文書が残っていました。  農村にいって大根が作られそれが工場にいく、循環するような世界が見えてきて、物質循環は江戸時代で終わったのではないかと言われて来たが、実は近代でも形を変えてあって、経済事象としても重要ではないかと思って小さな論文を書きました。  発表したら、皆さんが興味を持ってくださって、広がって行って書いた本です。  

『胃袋の近代―食と人びとの日常史』を書いた後にそれを読んだ人たちが、私の話を聞いてくださいという事が非常に多くて、そこが「食べ物語」の始まりだったんです。     或る子供食堂のスタッフがおいしいパンを焼いてきました。  柑橘系の香りがする凄くおいしかった。  水俣で作っている甘ナツのピールを焼き込んでるという事でした。   それには物語があり、水俣病で苦しんだ漁師が陸に上がって、甘ナツを無農薬で作っているという事でした。   地域の中にも食べ物の物語があるという事を知り、これは全国各地、世界中にあると思います。  フードバンクというのがありますが、それと併せてフードバンクストーリーを積みかさねることによって、食べ物を介した新しい社会の在り方が見えてくるのではないかと思って、今考えています。