田村淳(タレント ロンドンブーツ1号2号)・【ママ深夜便☆ことばの贈りもの】
田村淳さんは1973年山口県生まれ。 高校卒業後上京し、1993年田村亮さんとロンドンブーツ1号2号を結成、1999年からテレビ、ラジオ番組の司会に進出し、多くのファンを獲得します。 又ソロでの活動も行っていて、司会のほかロックバンド「jealkb(ジュアルケービー)」を結成しライブを行うなど活動の幅を広げています。 2013年に結婚し、現在二人の娘さんのお父さんです。
2006年大河ドラマ「功名が辻」に出演しました。 山口県出身で高杉晋作さんが大好きです。 「母ちゃんのフラフープ」というメインは母ちゃんがどのようにあの世へ旅だったのか、どういう風なメッセージを僕に残して、どういう風なことをかなえてほしかったのか、父と弟と僕が母ちゃんの死にどういうふうに向き合って、母ちゃんがこういう風に死にたいんだという思いをちゃんと寄せられたかというようなことを本にしました。 母ちゃんのガンが発覚したのは6年前です。 27年前から母ちゃんは延命治療は一切しないから、という事を僕の誕生日ごとに言っていました。 手術をすれば完治するものだという事で母ちゃんも納得しました。 トライしましたが、結果再発してしまいました。 自分の死に方を伝えることは、実は自分の生き方を伝える事なんだという事を僕は母ちゃんから教わりました。
大学院に行って遺書の研究などをしていたので、大学院を終了した証を、母ちゃんに見せたかったが叶わなかった。 本の最後の方には修論の一部を抜粋したものがあります。 今のほうが母ちゃんのことを思うほうが多くなっています。 母ちゃんへの憧れ意識はなかったけど、母ちゃんが死んだ後にそれを深く感じる様にはなりました。 母ちゃんは「いろいろやってもいいけどいやだったらすぐやめなさい」、と言っていました。 かっこいいなあと思っていました。 母ちゃんの視点だと僕は42歳までが反抗期だったようで、気苦労が絶えなかっただろうなと思います。 娘が二人いますが、娘のことを考えない日は一日もないです。 それと同じように母ちゃんは考えていたのかなあと思います。
自分自身が自分であることを誇りに思う、自己肯定感、自分に自信のない子にはなってほしくないと思います。
僕が小学校3年生の時にいじめを受けていたんですが、或る瞬間から突然いじめが始まりました。 憧れのジャッキー・チェインのヌンチャクを作って早く教室に行っていじめっ子をヌンチャクで痛めつけたという事をしました。 学校からも怒られて、被害に遭ったお子さんたちが僕の家に来て、うちの息子たちになんてことをするんだという話でしたが、母ちゃんはうちの子が一方的に悪いから謝りなさいと言って、納得できないまま、「ごめんなさい」と言いました。 次に母ちゃんは「うちの息子をいじめたのはあんたたちなんだから、あんたたちが今度は謝る番だ」と言って、親御さんがいるなかで言ってくれたのがうれしかったです。 母ちゃんは芸能界に入ることは認めてくれなかったけれど、亡くなってから母ちゃんは僕のニュース(新聞、雑誌)をスクラップしたのが出てきて、あのころからそういう風に思っていてくれていたんだと、楽しんでいてくれたんだとあとから知りました。
母ちゃんからは「興味あったり関心があることは、あなたの責任において人に迷惑を掛けずにやりなさい」と言われていたので、守られているような気がいつもありました。 芸人はこうでなくてはいけないというような、固定観念を壊すことができたのは母ちゃんのお陰だなと思います。
2019年に慶応大学の大学院に進学、遺書の研究という事でメディアデザイン研究科に行きました。 遺書の動画サービスを思いついた時に、ネガティブなイメージがあるもので、タブーに触れてはいけないのかどうか、そういった興味がある中で、たまたま青山学院大学の住吉教授が法哲学という中で、タブーとされているものをあえて議論して、正解はないが議論することが正解なんだという面白い授業をしているので教えを請いたいと、青山学院大学を受験しましたが失敗しました。 メディアデザイン研究科があることを紹介されたのがきっかけで入れました。 思い描いていた学びの場所とは違っていました。 自分に積極性がないとおいておかれる所だと思いました。 遺書の動画サービスをどう構築していけばいいのかとか、ロゴとか、動画サービスのポリシーとか、学ぶことが出来ました。
遺書の動画サービスの研究するに当たり、まず遺書とは何だろうというところから入りましたが、8割から9割の人が遺書に対しててネガティブなイメージを持っていました。 自分で娘に対しての遺書を書いてみました。 他人のために書いている遺書なのに、自分がどう生きたいとか、自分ってどういう人間でいたいとか、凄く明確になる感覚を強く感じました。 SNSで遺書を書く人を集めました。 2000人ぐらいに触れあいました。 書き始めはネガティブだったものがポジティブに変わってゆくことをみんな体験してゆき、行動にまで変化が起こるぐらいでした。 そのことから動画での研究をし始めました。 遺書動画も同じような効果がでました。
娘が生まれて、「僕は君のためだけに生きないからね」と言おうと決めていましたが、娘を抱いた瞬間に「やっぱり、君のために生きる」と第一声で言いました。 長女、次女共にそういいました。 娘と相談し合う場所を決めていて、そこで娘の相談を受けたり、こちらのことなども話し合います。 単純に好きなことをして行ってほしいと思います、他人に迷惑をかけないように。 4歳ですが英語を習いたいという事で英語をできる幼稚園にしようとか、楽しみです。 生きる場所の選択肢が増えるので、選択肢が増えれば豊かな人生だととらえられるので、出来るだけ選択肢を多く与えたい。 僕も頑張って英語の勉強をしたいと思っています。
母ちゃんの手作り味噌がうまかったので、母ちゃんの味噌のレシピを再現したいと思って、畑を借りて大豆を作る事から始めています。 娘とはいつまでも悩みを打ち明けられる間でいようねという風に思っています。