魚戸おさむ(漫画家) ・【私のアート交遊録】幸せな人生の終わり方とは
魚戸さんはこれまで家庭裁判所の判事を主人公にした「家裁の人」や「玄米せんせいの弁当箱」「ひよっこ料理人」といった食育をテーマにした漫画で人気がありますが、今は終末期医療、在宅の看取りをテーマにした漫画、「ハッピーエンド」が注目されています。 物語は函館を舞台に在宅支援クリニックを営む若き医師が様々な在宅の現場と出会いつつ、より良い看取りを目指してゆく話です。 新型ウイルスの感染拡大があたりまえな日常を一変させた中で、在宅医療に何が出来、家族にとってのよき看取りとは何か、在宅看取りケアの世界を通してみる幸せな人生の終わり方とはどういうことなのか、魚戸さんが漫画に込めた思いを伺いました。
「ハッピーエンド」の連載が一回終わったんですが、コロナが爆発したので「コロナ編」をやることになりました。 在宅医療をやってるクリニックはうちの近所にもいくつもできて、その車も走っていて、何故小さい車なのかなあと思ったら、小さい路地にも入って行かなければいけないのですが、僕の場合は大きな車にしてしまいました。 この漫画を描こうと思ったのは、患者側の話を書きたいと思ったのが、最初でした。 家族のところにやって来る医者のつもりでいました、あくまで家族の姿を書きたかった。 身内でガンでバタバタと3人、4人と死んでいって、人の死は特別なことではなくて日常よくあることなんだなという事を感じたので漫画にしました。 コロナでは先生の取材をしたかったができなかった。 知り合いの在宅医療の先生にメールをして何とか作っては見ましたが、本当に思うようにはできませんでした。 コロナの異常さを肌で感じました。
コロナによって在宅医療がどう変わったのか聞きましたが、やることは何も変わっていないという事でした。 病気に向き合っているのではなく、人に向き合っているので変わらないと、根本はそこみたいです。
「ハッピーエンド」を読んだ人は感想が二つに分かれていて、在宅を経験された方は身近に感じてよくわかる、涙なくして読めませんという方たちがいた半面、経験しているんで読めませんという人たちがいるんです。 僕は看取りの経験はないのですが、多分こういう事になるだろうと想像し、先生にも聞いて確認するとか、リアリティーを描きたかった。 コロナで病院に入っている方は治療も済んで家に帰りたいんだけれども帰れないという人が去年も今もいらっしゃいます。 在宅を選ぶ人は帰れる。 病院にいたら家族に会えない、自分の好きな時に家に帰れない、その苦しみは想像を絶すると、体験した人からも聞きました。
在宅医療に関してはこの本を書くまで、細かく知りませんでした。 祖父などは自宅で亡くなっているので、またそういう時代になって来るのかなあと思います。 出合う先生によって本当に違うという事はメディアなどを見ても思います。 モデルになっている先生は何人かいてそれをミックスしてあのキャラクターを作り上げました。 兎に角患者に寄り添う、自分がしゃべるのではなく、患者にしゃべって貰う。 死をネガティブではなく捉え、感じさせるか、という事もあります。 寄り添う事は誰にでもできるような気がしますが、或る先生から僕たちは寄り添うんじゃなくて、向き合っているんです、とおっしゃいました。 寄り添う、と向き合う事の違い、向き合うほうが深いというか、患者と、家族と一緒に一体になってその先を進んでゆくという事で、寄り添うというよりももっと奥深さが向き合うという中にあると思って、それを意識して書いたつもりです。
この医師はスーパードクターではなくて、治さない医者が世の中にいるんだという事をこの在宅医療漫画を描こうと思った時に知って、患者さんと向き合ってどうやって幸せに、充実した時間を過ごしてもらえるのか、という事を考えてくれる医者がいるんだという事が、或る意味自分にとってショッキングでした。 在宅医療漫画の知られていないところを書けると思って、こういう先生を作りました。 日本は死について一番考えない国民だという事を読んだことがあって、死が身近ではなくなった。 ほとんどの人が病院で最期を迎える。 男性よりも女性のほうが死について身近に感じています。 女性が面倒を見なければいけないようなことが意識のなかにあるのかもしれない。
百家族あれば百家族の物語があるはずなので、百通りの物語が発生するんだと思います。 いくらでも書けるとも言っていましたが、想像を絶する消耗があって、これは長くは続けられないというところは正直有りました。 人の死を漫画で描くと本当にエネルギーを消費すると先輩に言われたことがありましたが、いざ書き始めたら本当だったんだなあと思いました。 読み進んでいくと優しい感じになれるのが、この漫画の一番の目的だったので、亡くなる人を書くわけですが、悲しいことばっかりではないよねという事が自分の中にあったので、死が日常の中の一つだという事が判れば、その日常をどうやって穏やかに過ごすかという事が大切になって来る。 死ぬという事を考えることはどうやって幸せに生きるかという事を考える事なんだという事を読者に一人でも多く伝えたかった。 自分で書きながら学んでいったという経緯があり、テーマとしては全部繋がっているなと思います。
函館の生まれなので、函館のいい景色などを入れてみたいと思って書き入れました。 函館観光大使にも市から依頼されました。
選択肢に病院で最期を迎えるのと、自宅で最期を迎えるという選択肢があることを、元気な時から知っててもらって、いざそうなったらどちらにするか、意思表示が出来るときにしておいた方が、最後の充実感が違うと思います。 最後を誰とどうやって過ごしたいか、どっちが自分に向いているのか、自分で決められる今は状況なんだと、忘れずに過ごすことは大切だと思います。 お薦めの一点としては師匠の村上もとか先生が「JIN-仁」という医療ドラマを書いていますが、以前先生と一緒に書いていた「クライマー列伝」という山岳漫画がりますが、生と死を描いた作品で是非読んでいただければと思います。