2018年9月4日火曜日

村木厚子(元厚生労働省事務次官)     ・私はなかなかしぶとい

村木厚子(元厚生労働省事務次官)     ・私はなかなかしぶとい
高知県出身62歳、1978年昭和53年に当時の労働省に入省、女性政策、障害者政策などに携わってきました。
2009年当時雇用均等児童家庭局長だった村木さん、郵便の割引制度をめぐる事件で突然逮捕され、無実を訴えたものの半年間拘置所で拘留されました。
2010年大阪地裁は検察が描いた事件を否定、村木さんに無罪判決を言い渡しました。
村木さんは復職し、2013年から2015年まで厚生労働省の事務次官を務めました。
退職後は大学の客員教授などに就任し、人権や共生社会の講演を行っています。

役所に37年半いたので違ったことをやりたいと思って,大学とか民間企業で働きましたが、やはり違って新しい経験をさせてもらいました。
教授も初めての経験なので物凄く面白いです。
大学でも1年生を教えているので、自分の娘よりもはるかに若い人を教えているのでこれも面白いです。
当時学校の先生か公務員になるかしか選択肢がなかったので、公務員という道になりました。
労働省が一番女性の雇用に積極的だったので労働省に入りました。
最初の日に初めて会った上司に、お茶くみをさせるかどうかで課が真っ二つになり、激論したが負けてしまったのでお茶くみをしてくれと言われました。
国会の答弁の準備の作業等で夜中まで仕事をしていました。
働く女性の為の政策が一番多かったんですが、障害のある人の政策、子供支援、働き方改革の関連の仕事もしました。
5年で係長、10年で地方の課長。
後半は男性女性ということは無くなってきました。

郵便の割引制度をめぐる事件に突然巻き込まれ、うその証明書の発行に関わったとして、虚偽誘引公文書作成などの罪に問われた。
偽の証明書を使って障害者団体と偽ってダイレクトメールを送って儲けている団体が有ると言うことが沢山報道されていた。
係長が逮捕されたので吃驚しました。
その上司、関係者が地検に呼び出されて、事情聴取を受けました。
取り調べを受けた人が「村木さんから言われてやりました」という様な報道がどんどん
されて、一方で私だけが呼び出されないということが長くありました。
いったい何が起こっているんだろうと当惑していました。
地検からようやく呼び出しがあり、大阪地検に出かけて行きました。
偽の障害者団体の人に会ったかどうか、証明書を頼まれたか、部下に指示をしたのかどうか、部下の作った証明書を受け取って自分が団体に渡したのではないかというようなことを聞かれました。

5年前だったので、物凄く色んな人に会っていたのであっていないという自信は無かった。
偽の障害者団体に偽の証明書を出してくれと誰からも言われていないし、支持したことも無いので証明書を渡すことなどあり得ないと言いました。
その日の夕方に「逮捕します」と言うことになってしまいました。
一番心配していたのは当時高校3年生の娘と社会人の娘がいて、夫は海外に出張中でしたので、報道でいきなり娘たちが知ると言う事なのでそれだけは避けたいと思いました。
なんとかメールで「たいほ」という文字だけを夫に知らせました。
事態を察知して娘たちの面倒を見てくれるのではないかと思いました。
拘置所に連れていかれて、取り調べが始まりました。
拘留期間は10日、一回延長ができるので合計20日間取り調べると言うことで、貴方の場合は起訴されることになるでしょうと最初に言われました。
もう一つ私の仕事は貴方の供述を変えさせることですと言いました。

調書は検事さんに聞かれてそれに対して喋ったら、要約して文書にするものだと思っていたが全く違っていた。
事件のストーリーがあり、それに沿わない話は私がいくら話をしても調書に作られない。
身に覚えのない調書についてはサインを拒否しました。
私はやっていません、ということを最後の最後に作った調書にサインをしました。
虚偽誘引公文書作成で起訴される。
ほんとうは何が起こったのか、何処で検事は間違えているのか、何を主張すれば間違いが正せるのか、探していかなければと覚悟しました。
保釈は私だけされませんでした。(他の方は罪を認めたので保釈されました)
拘置所は大変規則正しくて、7時30分起床、9時就寝、3食きちんと出て来ます。
週2,3回は風呂に入ります。(脱ぎ始めてから風呂に入り着るまでの時間は15分と決まっているので色々工夫をしました。)
面会は途中からOKとなり一日一組15分位です。

取り調べは最初の20日間が終わると取り調べが出来ないので、一日中拘置所の中にいるという生活をすることになります。
私は変わったのか、私は失ったのかということを自分に問いかけました。
私は変わっていない、私はなにもやっていないし変わってはいない。
私から離れて行く人が沢山いるかもしれないと思いました。
ずーっと応援している人がいて頑張れというメッセージが届きました。
失ったこともあるかもしれないが、こんなに自分は持っているじゃないかと思って、落ちつきました。
家族は信じていると思っていたが、弁護士さんとは会えるので、紙を持って来て下さって「真実を貫け」と書いてあってその下に同僚とか友達の名前がずらーっと書いてあってそれが大きな支えになりました。
証言に立った人たちが村木さんが関わったという供述調書の内容を、裁判で覆して行っていくつか客観的な証拠が出て来ました。
フロッピーディスクの内容が検察側のストーリーとは違う日付になっていたり、頼まれたはずの国会議員がゴルフ場にいたとか、どんどん当初言われていたストーリーとは違って裁判は動いていきました。

当初にどうしてサインしたのかという事に対しては、脅されたり、誤解するような誘導とかがどんどん出てきて、裁判が少しづついい方向に向かう感じがしました。
4回目でようやく保釈申請が認められました。
拘留期間が164日になります。
拘置所の中の生活はとっても落ち着いて辛い感じは無かったが、冷暖房が無いので体調を考えると、冬いたくないなあと思いました。
11月に保釈が決まってホッとしました。
マスコミに追いかけられた経緯があり、今後も続くことは辛いと思って記者会見を開いて立場、気持ちを説明して暴力的な取材は辞めてくれ、というお願いもしていこうと言うことになり、記者会見を行いました。
それをきっかけにマスコミの対応は変わったと思います。
裁判長から無罪の言い渡しが有りました。
ほっとはしたが控訴が有るのではないのかと思いました。
いくら供述調書が具体性があり、整合性があり、迫真性があっても人の記憶、供述は色んな間違いが入り込むことが有る、客観証拠と照らし合わせながら見ていかなければいけないと、裁判官が言ってくれたことは嬉しかったです。

長い裁判を闘うと言う覚悟でいたが、1年3カ月で終わってくれてほっとしています。
職場に戻れることが確定してとてもうれしかったです。
担当したのが子供の政策で遣り甲斐が有り嬉しかった。
2013年に厚生労働省の事務次官になる。
組織の縦割りを排除するのは、大変難しいと改めて感じました。
部下というのは上から見ていても実態はなかなか判らなくて、彼等の部下から話を聞くと非常にそれが良く見えると言うのが判ってとても面白かった。
実は下の方が正しい評価をしているということを実感しました。
如何に組織、部署が連携できるかを一生懸命やりました。
若い人達の話を直接聞くとか、勉強会をやると言うことが刺激になりました。
その時その時が精一杯でそれしかやりようがなかったと思います。
子供を大切にできる社会にする、これが自分の一番の関心事項かなと思っています。