2018年9月30日日曜日

加藤登紀子(歌手)           ・「私と歌と福島と」

加藤登紀子(歌手)           ・「私と歌と福島と」
歌手生活53年、娘が3人、次女のYae(やえ)さんは歌手。
母は101歳で亡くなりましたが、90歳の時に100歳まで目指そうと言いました。
健康の事を書き始めました。
原稿用紙では書けないと言って、広告の裏に書いていました。
清書して読んでみたら見事に自分史だったんですね。
私も協力して仕上げたのが母が91歳の時でした。
父も70歳過ぎてから自費出版で本を一つ書いてくれています。
一人の人が経験したことは一冊の本にしてもページが足りないほどのコンテンツが有るものです。
100年の人生を4幕に例えると、4幕目はフィニシュを楽しむというか、4幕目のストーリーは幕をどうやって下ろそうかというのが、演出家、劇作家が考えることだと思います。
学校で習う歴史は点と線の概要で判ったような気持ちになるのはよくない。
福島の震災にしても、小さいストーリーが大事だと思うんです。
或る人が私しか経験したことしかないこと、私が言わなければ無かったことになってしまう。
是非、全部世の中にださなければいけない、という気持ちになったほうがいいと思う。

「ほろ酔いコンサート」28歳の時から始めています。
きっかけは「知床旅情」がヒットした年て、紅白にも出してもらいましたが、新聞記者たちが「偉そうなお登紀さんは見たくない、地べたで歌っているような人で居てくれ」ということで「ほろ酔いコンサート」を日劇ミュジックホールで行いました。
こんなに楽しくなるのかと発見があって、その後恒例化しました。
歌手になった時は判らなかったが、歌っていることによって、仕事をしてみたら歌うことは凄いことだと段々判ってきました。
人間って、命を育てる力、思い出、言葉、歴史こういうものが積み重なれるということが人間の特徴だと思うんです。
積み重なれる土壌をもった心を皆持っているんです。
別々の袋を持っているが、中に入っている中身は結構同じではないということをフッと思う訳です。
私であることを歌っても、絶対通じるという保証はないが、伝わっているなと思ったことがある事が繰り返された時に本当に感動しました。

歌は種だと思っている。
種が飛んで行って、人の心の土に根を張るかもしれないという感じがある。
段々歌うと言うことは凄いなあと思い始めました、それからです本気になったのは。
シャンソンの大会にでて、2回目に優勝して翌年歌手になりました。
謎のぜんそくに掛かって歌えないのかと思ったら、一晩オンオンと泣いたんです。
そんなに歌いたいのかと、自分に対する発見だった。
私はやっぱり歌いたいんだと判って、翌年シャンソンコンクールを受けたんですが。
こんなに長く歌うことになるとは思わなかった。

50歳になった時に発見したんですが、50mプール以上の長さのプールは無い、100mはターンをすればいい。
頑張って生きても100歳なんで、75歳からのターンは1回目のターンの人と同じ所にいる訳です。
孫と一緒に母が食べていて、同じになっちゃったねと言ったんです。
100歳は0歳だ、同じでいいと言ってこの子と一緒になっちゃった、と母は笑っていました。
50歳をターンの時期にしようと思った時は、大きな壁を感じました。
同じ様には歌えない。
身体は常に変化してゆくから、新しい発見もある、ずーっと続けるようにしましょうねと、思っています。
「少年老い易く、老人老い難し」
そう簡単に老いてたまるか、ということと、老いてゆくことは困難なことでもある。

言葉、国、言語、肌の色も違うが、命そのものはジェル状で型が無いと形にはならない。
本当の本体は液体のようなもので、本体同士はすぐにでも溶けあえる、そんなものよ書いたが、発見したのはウラジオストックで10代後半の人に話をしていたが、フッとその時にロシアと日本は歴史上、戦争を含めて交流した。
だからロシア人を知っている。
母は生き抜くために、ロシア人に話しかけて、故郷はどこかとか家、母親はどこでまっているかと聞いたりして、みんなぼろぼろ泣いた。
戦争している相手だって戦争はしたくないわけですから。
カラフトでは日本人の血液も混じっている、文化も混じっている全部「混じりっ子」。
80数歳のおばあちゃんが「だから素晴らしい」と言ってくれた時は本当に泣いてしまいました。
何処へ行っても地面に座るみたいな感じで、出会うことは何処の国でも大事です。

去年は小高に行かしていただいて、帰還ができるようにはなったが、子供達、育てる世代は帰還が困難な状況にある。
鴨川の高校生と福島の高校生との交流会で、鴨川の高校生は地元には就職先が無いので東京に行くと言ったが、福島の高校生は「僕たちは決して福島を離れない、僕たちは福島を復興させる責任があるから、福島に残ります」と言ったんです。
福島の先生に聞いたら、「もっと自由になってもらいたいと思っている、もっと自由に人生を選択していいんだと、私は伝えたかった。」と言っていました。
「自由に選択できる事が出来ることを国が保証して欲しい。
子供達は福島というところを理解するためにも、子供達は外に出ることはいいと思う、自由に羽ばたいてもいい」と私は思います。

2030年ごろになるとAIが凄くなって、労働する人間がいなくてもよくなっちゃうと言う人がいますが、命っていくら21,22世紀になろうがほとんど命なんですよ。
人間は生命体として地球の上に発生してきた歴史を全部経験して生まれて来る。
13億年程度の歴史を経て人間の命は存在しているので、命としての本体は変わらない。
男性は家事をしたほうがいいと思います。
家事は毎日の仕事です。
クリエーティブな仕事です。
第4幕のプラン
加藤登紀子からの歴史から離れて、恋の4楽章、恋が始まって、とまどい、別れ、追憶(これが素晴らしい)、最後は永遠が見えてくる、これが私たちの特権です。