2018年9月29日土曜日

厚子・東光・フィッシュ(フィッシュ・ファミリーー財団理事) ・行動する女性を応援したい

厚子・東光・フィッシュ(フィッシュ・ファミリーー財団理事)・行動する女性を応援したい
フィッシュさんは今年75歳、大学を卒業後TVのプロデューサーなどを経て、渡米、夫とももに1999年に財団を設立、移民や母子家庭などの支援を続け、その後日本女性のリーダーシップ育成プログラムをスタートさせました。
2011年の東日本大震災の時は、緊急援助基金を立ち上げて総額およそ100万ドルを被災地におくりました。
日米理解の促進などが評価され、2012年に日本の外務省から2013年にはアメリカホワイトハウスから表彰されています。
フィッシュさんがこう言った活動に取り組むことになった、経緯や母国日本への思いなどを伺います。

ボストンでやっているプログラムに来ていただく人4人選択していただきました。
採用のインタビューに来ました。
夫ラリーと1999年に財団を設立しました。

アメリカにはファミリー財団が何万何十万とありますが、日本ではまだ財団はありますが、家族財団は少ないと思います。
アメリカでは税金控除があり、社会貢献のためにお金を使えればいいと言うことで、
私達はリタイアしているが、老後にどういう生き方をしようと思った時に、多少の蓄えがあったので、社会が良くなるためにお金が使えるのであればと思って設立しました。
移民問題、アメリカは移民で成り立っている国なので、移民を受け入れなければ、語学とか仕事を探してあげるお手伝いをしないと、アメリカは伸びて行かないと思うので、移民問題が一番大事です。
地域の貧困のお子さんたちに教育の場を与える、技術を教えて職業についていただく、そういう事をやっている団体に援助しています。

長期に支援をしてお金のことを心配しないで活動していただきたい。
プログラムに対して支援する団体は多いが、運営費を出す所は無いんです。
プログラムというのは直接活動に対するお金ですが、運営費はそこに働いている方の給料なので、出す団体はそういうところには興味がない。
私達はそれが無ければ働く人達はこまると思って支援をしますし、主人は銀行家なので運営の仕方を教えることもしています。
日本女性のリーダーシップの育成プログラムは2006年に始まりました。
資金調達のむずかしさ、運営の難しさ、リーダーとして色々やって来たけれど難しい問題に直面してどうしていいかわからない方達を選んできていただいて、リーダーシップのノウハウ、スキル、運営の方法とかを学んでいただいています。
実践的に学んでいただく。
4~6人/年 50人は卒業生がいます。

途上国向けの公衆衛生をやっている団体があるが、そこのお手伝いをしていたが、アジア人の女性の自立と健康というスピーチする人についてきたが、日本の方から質問が多かった。
女性の立場が他のアジアと同等か低い場合もあり、どう解決したらいいかという質問が沢山出ました。
スピーカーのキャサリンと帰って立ち上げようとしました。
チャンピオン・オブ・チェンジ・ジャパン大賞
2013年にオバマ大統領が作られた賞で、アジア太平洋間のアジア女性の中で、社会貢献に尽くしている人達に賞を与えようと言うものです。
私が第一回チャンピオン・オブ・チェンジ・ジャパン大賞をいただくことができました。
日本でも地域で社会貢献している方たちに光を与えようと思って、日本でも去年作りました。
対象の方には100万円送っています。

子供の時は覚えているのは乾燥芋などで過ごしてきました。
男女共学のテストケースの生徒で、教育大付属に行っていたので男女共学の最初の生徒ということになりました。
女子は10%位少なかったです。
テニスを始めて中学から大学までやっていました。(シングル)
父は外交官をしていてグローバルな考え方を持っていましたので、その影響を受けました。
母は父が早く亡くなったので、英語が出来たのでアメリカが行う国勢調査の仕事をしました。
MPがジープで迎えに来ましたので、それを見て働くことはかっこいいなあと後姿を見て思いました。
私は英語を使える仕事をしたいと思って、アメリカ商工会議所の秘書、広告会社、スポーツをプロモートする会社など色々なところに行きました。
仕事の醍醐味を若い頃色々経験することができました。
主人と結婚して香港に行きました。(夫は極東支配人として)

給料の10%を社会貢献に寄付したいけどいいかといわれて、OKしました。
理由が判るまでにはだいぶ時間がかかりました。
全米で一番大きな途上国向けの公衆衛生をやっているMSHがODAのお金をアフリカに使いたいと言うことだった。
道路、港、橋などに日本はアフリカに凄く援助していましたが、アメリカは人々の公衆衛生にもお金を使ってほしいと思っていたので、日本人を必要としていた。
私は公衆衛生など知識が無かったが、団体を立ち上げた方が、アフリカで子供の死亡率の一番高いのがマラリア、下痢で、下痢の解消には綺麗な水を飲む、食べる前に手を洗う、トイレをつくる、そうすれば下痢がほとんど解消できる、それを現地の人に教えて、自立し衛生的で平和で楽しい生活を送っていけるようにすれば、自分たちの役目は終わるんだと説明してくれました。
それなら簡単そうだと思ってお手伝いします、と言うことになりました。

ボストンのある大きな病院の院長の息子の医師から、「病院で対応すれば年に十数人は助けられるかもしれないが、アフリカで公衆衛生に関われば一日で百人二百人とか助けられる。」
「それがぼくの小児科としての使命だ」と言ったのを聞いて衝撃を受けました。
高尚な考えを持って生きている人がこの世の中にいる、と言う事を思ってもいなくて衝撃を受けました。
それが私の人生を変えた、自分が人としてどうやって生きたらいいのか、そういう事を考えさせられる機会に恵まれました。
アメリカ人って自分より恵まれていない人を、助ける事の意義をしっかり考えて、そういうことに根差した生き方をする人がいる社会なんだなと思いました。
主人の給料の10%を社会貢献に寄付すると言う事が、素晴らしいことなんだと改めて思いました。
移民の国なので、地域で教会、学校をつくって行く、素晴らしいと思いました。
主人との出会い、MSHとの出会い、そのキーパーソンが日本で講演した方です。
そんな出会いがあり、今のこういうプログラムをつくっているわけです。

仕事を探したがいくら動いても面接まではいかなかった。
日本を土壌にした物を強みにして、マサチューセッツ州は日本との文化交流をしていなかったので、ガバナー州知事に手紙を書きました。
直ぐ電話があり、短期、長期の提案書を提出してみないかと言われて、吃驚しました。
企画書を提出したら、直ぐ電話があり直接話を聞きたいので、会って欲しいということだった。
その場で採用になり予算を立て、アシスタントをつけてくれ、明日から働いてほしいということだった。
内容さえよければ、誰であろうと、どこの学校に行っていようと関係ない、アメリカの国はしっかりしたビジョンが有って実行するプランがあり、やる気があれば夢がかなう国だなあと、自分が身をもって経験しました。
私を信用してくれましたので、それには実行して証明しようとしました。(5年間)

自由、平等はアメリカにおいて一番大事で、日本に帰ってくると、男女はまだまだ平等ではないし、権利を主張してはいけない様な国です。
女性は勇気を持って発言して行かないといけないと思います。
教養ある傍観者にならないでほしい、自分たちの知識経験を社会のために使って下さい、行動とってください、声を上げて下さい、それが実行され叶った時の喜びは忘れられないと思います。
自分の国に還元して行きたいと思います。
失敗をすることによって次に進む道が開けて来ると思います。
隅の方で黙ってノートを取っていたが、何にも言わないと意見が無いと思われてしまう、この国は自分の意見をきちんと言わないといけないことを第一日目に学びました。
言わないと相手に理解してもらえない、口にしないと知識、能力もないと判断されてしまう。(日本との文化の違いを感じました)
ここのところ、日本の変化が目に見えます。
プログラムをとった方、賞を取られた女性たちがプロフェッショナルとして、政治、企業の方針などに対して提案できる人になって欲しい、その兆しは出てきていると思う。