2018年5月26日土曜日

秋川リサ(女優・モデル・ビーズ作家)    ・母を送り、これからの私

秋川リサ(女優・モデル・ビーズ作家)    ・母を送り、これからの私
秋川さんは15歳でモデルとしてデビュー、現在も女優、タレント、ビーズ作家
の顔を持っています。
母の介護のことをつづった本を出版して話題になりました。
秋川さんの母親は82歳で認知症になり、7年間の介護の末に2016年89歳で亡くなりました。
介護中に自らも介護施設で働いて様々な事を学んだといいます。

現在65歳。
「60歳、だからなんなの」を出版。
1968年化粧品会社のサマーキャンペーンとしてモデルとして活躍、雑誌のトップモデルとしても活躍、役者、舞台でも活躍。
ビーズの刺繍の教室をやってもいますがBS放送で仕事をしたり、舞台、ラジオの仕事、NHKの介護の番組、講演もやらせてもらっています。
母が店をつぶしてしまって働きなさいと言われて、校則の厳しい学校だったのでアルバイトなどできなくて、学校を変更して、ひょんなことからモデル事務所の面接に行った時に或る人に出会って、その人は繊維メーカーの広告を一手に引きうけてた方で、繊維メーカーの専属になって、同じスタッフの人が化粧品メーカーの宣伝もしていて、あっという間にTVコマーシャルなどに出るようになりました。
人生って一瞬で変わるんだと言うことを高校生の時に経験してしまいました。
それから自分のイメージについてゆくのが大変だった。
金銭的な問題も解決しました。

40歳代で、娘の花嫁衣装は自分で作ると勝手に決めて、ビーズ刺繍の教室を始める先生と出会って、ウエディングビーズ刺繍は綺麗だと言われて、習おうと思いました。
何年かして大腿骨骨折という大けがをしてしまい、キャシー中嶋さんがお見舞いに来て教室を開きなさいと言われて、全国15か所ぐらいのカルチャースクールで教えていました。
生徒が300人ぐらいいましたが、辞めて行く理由がほとんど介護でした。
今は細々とやっています。
2014年7月に「母の日記」を出版、「60歳、だからなんなの」を去年出版。
「母の日記」は親子の確執のあるなかでの介護で覚悟して書いたが意外と批判は少なかった。
あけすけに書いてよかったと思います。(親の介護はそうそう綺麗事では行かない)
2016年6月に89歳で亡くなりました。
ほっとした思いはあります。

2年前ぐらいからは家族を認識することもできませんでしたし、言葉を発することもできなくなり、施設に入って施設の人には感謝です。
私なりにやることはすべてやったという自負はあります。
息子31歳、娘は30歳で特に娘には介護を手伝ってもらって感謝しています。
私の父はアメリカ軍人で私が生まれる直前にベルリンに行ってしまって、ほとんど私を育てたのは祖母で、母は店をやって好きな人が出来てしまうと、店はどうでも良くなってしまうタイプでした。
母の認知症が発覚したのは2009年ごろでした。
買い物をしても後で持ってきますと言って、払わなかったことが色々ありました。
これからどうしたらいいだろうと深刻になりました。
足腰は丈夫だったので2,3時間は歩きまわることもありました。
ケアマネージャーさんを紹介してもらう事になり、デイサービスのことなどを商店街の人達から教えてもらいました。
2年の在宅介護、3年間の有料老人ホーム、2年間の特別養護老人ホームに入ることになりました。

通帳は母に預けておいたので、見事に全部0円に近かった。
詐欺に引っ掛かっていたのか、男性に貢いできたのかなと、その時に思いました。
唖然と思いましたが、笑うしかなかった。
仕事を始めてから最も貧乏になりました。
母の日記を見付けて、大きなお金が動いている時にNとか、Mとか書いてあり、誰かに貸しているのなら取り戻そうと思ったが。
日記には、私、家族に対しての罵詈雑言が書かれていました。
常にストレスを持って、余り前向きな人ではなかったし、人生を余り楽しまなかった。
母に言わせれば戦争のせいと思ってネガティブに思っていて、常に不満を持って生きてきて、その救いを男性に求めるけど男性もお金目当てだったのかなと思います。
母の存在を認めているつもりだったが、喪失感というか、そういったものが段々と出てきて、この思いのままで在宅介護は無理だと思いました。
介護の現場ってどうなのか、いくら用意したら良いのかとか、介護する側はどんな現実なんだろうと言うのを見たいと言ったら、或る企業の社長からではうちで働いて見ますかと言われて、介護施設で働きました。

母が亡くなる前から働き始めました。
レクレーション施設の運営を手伝いをするのが仕事でしたが、人手が足りないのが現実で、介護される側もお金を払っているんだから何をやっても許されるだろう的な考えの方の人もおり、寄りそう介護一人ひとり個性に合わせた介護は理想的ですが、現実はいつも人手不足で厳しい現場でした。
腰をみんな痛めます。
ロボットにも手伝ってもらわないと大変だと思います。
ジュエリーコーディネーター3級という資格を取りました。
体力を考えると介護の資格は厳しいと思いました。
私はお金の援助はできないが、人、いろいろ人材で伝手を使ってと言うことが私に出来ればと思って、若い方を巻き込んで一緒に人生を楽しんでいかないといけないと、いろんな分野の人たちと話をしてお互い刺激をし合うので、お年寄りも勿論呼ぶし面白いです。