2018年5月16日水曜日

池内了(名古屋大学名誉教授)        ・科学の光と影

池内了(名古屋大学名誉教授)        ・科学の光と影
73歳、日本の科学の第一線からは引退されているが、様々な分野の科学技術に造詣が深く、日本科学会のご意見番的存在と言われています。
そして私達は発展進化してきた科学技術の成果のうえに生きているが、その科学は善悪両面がある、光と影、裏と表の二面性があると説き続けています。
池内さんは多くの著書を通じて科学の内実を伝え、科学の未来をバラ色に描くのではなく、科学は使い方次第で善から悪に転嫁する事を忘れずに、むしろ科学がもたらす影を常に想像してその弊害を少なくするために、科学とどう付き合うべきかを考え続けて来ました。
現代の科学と社会の関係がいかにあるべきかを考え、著作活動に加えて講演、講座に多忙を極める池内さんに伺います。

小さいころから物を知りたがる、聞きたがる、仕組みを考えたがる理科的な発想を持っていました。
4歳上の兄がいて、何をやっても負ける訳です。
兄を観察して唯一勝てるのが理数系だと思いました。
日本で唯一ノーベル賞を貰った湯川さんに憧れていました。
素粒子物理学をやろうと思って京大に行きました。
全国から優秀な人間が集まって来る訳で、宇宙物理学を選びました。
湯川先生の一番弟子の林先生が助教授にいましたが、素粒子物理学から宇宙物理学に向かったので私も行きました。
40歳過ぎたころから新聞に科学者の観点から世の中の様々な出来事を論評するという記事を書いて来ました。
生物、化学、数学など様々あり、基礎的な部分は押さえておかないといけないと思いました。
子供向けの岩波ジュニア新書を読んで、大まかなことを探ります。
関連文書を数冊読んで、幅をひろげました。(全分野浅いが)
広い観点、違った観点から論ずれば面白いのではないか、という事を取り上げてそれを本にしてまとめてみようと思ってやってきました。

1995年大阪大学で教授をしていましたが、3つの大きなことが起きました。
①1月に阪神淡路大震災が起きて6000人以上の方が亡くなった。
地震は予知できない、明らかなのに今でも予知できるという看板を掲げて科学者がのうのうとやっているのはけしからんと言うことを新聞に書きました。
東日本大震災で予知できないことが認められた。
②3月にオウム真理教事件(サリンをばらまいて死者が出た)が起こりました。
阪大の出身者がオウム真理教のナンバー2にいると、宇宙物理学出身ではないかと、お前の弟子なのかと、もしそうならばお前の教育が悪かったんだという手紙を読者から貰いましたが、弟子ではないと言ったが。
大学で私たちは教えていますが、私は物理学を教えていましたが、大学では知識を教えているだけ、知識が世の中にどのように生きているかについてはなにも教えていない。
世の中に科学と社会との関係に対してなにも教えていないので、大学教育としてはおかしいのではないかと思いました。
倫理的な考え方を身につけるべきだと考えて、科学と社会の側面を意識しました。

③12月には高速増殖炉のもんじゅがナトリウム漏れを起こして、ストップしてずーっと動かないまま去年廃炉になってしまった。
核燃料リサイクルは非常に技術レベルが高くて、もんじゅは原型炉だがもっともっと小さな炉から実験に順次取り組む必要があると、いっぺんに飛びつくのはナンセンスだとこれも書きました。
3つの大事件が起こって、科学と社会に関して研究を進めることが必要だとずーっと考えるようになりました。

科学によって非常に人間生活、社会生活、生産力とが良くなって来る部分が光の部分だとすると、弊害もある訳でそれを影と呼んでいます。
自転車、車、飛行機、人間の足の代わりの能力を拡大するが、車に乗ると歩かなくなり糖尿病にかかりやすくなる。
手計算、漢字も書けなくなる。
エアコンを使うと快適になるが、人間は汗をかかなくなり、急に暑い所に来た時には汗が出せなくなり、熱中症になったりする。
固有の能力を保ちたいのなら、余り科学に頼らない方がいいということです。
科学の民生利用と軍事利用、人を活かすために使えるし殺す為にも使われる、二面的な使われ方。
GPSは軍事的な目的に使われたが(潜水艦の位置、軍隊の位置など)、今はカーナビに使われている。
便利だと言うだけでは、危ないということです。
役に立つ科学と役に立たない科学があるが、役に立つばっかりが強調されて本来の科学
としての哲学的な部分とか、精神的な分野があり、商用主義が広がりすぎていて科学の純粋性が失われている。

人類の未来を考えてみた時に、ホーキングも言っているが「滅びに向かっている」と言っているが、もう少し俯瞰してみて、どういう方向に言ったらいいか考えてみたいという気持ちは強くなりました。
3・11の東日本大震災に対してどのように対応すべきか、を考えた時に僕は逆行していると思っている。
海岸べりの上に埋め立てをして50階とかのマンションを作る訳で、液状化問題、大きな津波が来た時には非常に危ない。
リニア新幹線など、より発展という論理ばかり追及していて、もうそろそろ発展という論理は止めて充実という豊かさを求める時代として次の時代を考えないと行きずまりますと僕は考える訳です。

はたして人間は原子核そのものをコントロールできるのだろうか。
100%安全な技術はあり得ない。
技術とどう付き合うかの問題になって来る。
原発はやめるべきであると考えている。
海底で掘削して資源を取るなどあるが、ほんとうに慎重にやらないと大変な事態を引き起こす可能性がある。
メタンハイドレートなどは下手に空中に散布してしまうと、温暖化バスとしては炭酸ガスの25倍あり、いっぺんに地球温暖化してしまう可能性がある。
寺田寅彦が1935年に亡くなっているが、80年以上前に、「科学によって人間は傲慢になっている、傲慢になってはいけない」と書いています。(地球物理学の科学者)
「天災は忘れたころにやって来る」
「文明が進むにしたがって、人間は次第に自然を征服しようという野心を生じた」

スケールアップ、スピードアップしているが、その結果として事故が起きると凄い悲劇がおこる。
新幹線技術は素晴らしいが、直下型地震があったりすると大丈夫か、よほど慎重に運転しないといけないと思う。
これ以上余り便利さ、効率性は求めなくていいのではないかと思っている。
「必要は発明の母」という言葉があるが、今は「発明は必要の母」となって来ているのではないか。
思いがけない発明が如何にも自分が必要であったかのように誤認する、その結果として発明が刺激を与えてより必要性を高めて行く。(企業戦略)
消費者の欲望を引っ張り出す為に広げて行く。
便利さを追求して行くと人間の固有能力が失われてゆく、人間が退化に向かってゆく。
AIが広がり色んなものに適用されると、余裕の時間が出来るが、教養を高めるための本を読んだり、名曲を聞いたりすればいいが、無駄につかってしまって、より忙しくなる。
AIは人間に危険なものであるとホーキング氏は警告している。
50年ぐらいの間に警告の兆候が出てくるのではないかと思っています。