2018年5月29日火曜日

堺屋太一(作家)            ・【対談】平成三十年(1)

堺屋太一(作家)         ・【対談】平成三十年(1)
又吉直樹(お笑いタレント・小説家) 
堺屋さんは20年前に「平成三十年」という小説で日本の社会の未来を予測し、その後小渕内閣で閣僚の一員として国作りに関わりました。
現在37歳の又吉さんは人生の大半を平成の時代に過ごしてきました。
平成27年にはお笑い芸人の若者たちの姿を描いた小説「花火」で芥川賞を受賞しています。
平成とはどんな時代だったのか、ポスト平成時代の日本に何を期待するのか、堺屋さんが書いた「平成三十年」を読み解きながら二人にとっての平成を語りあいます。

又吉さんは大阪府寝屋川市生まれ、37歳、作家。父親が沖縄出身。
平成27年に「花火」で芥川賞。
堺屋さんは大阪市生まれ、82歳、通産省時代は大阪万博を発案。
堺屋:沖縄が本土に復帰した時沖縄海洋博の準備をする。
当時首相だった佐藤栄作さんに沖縄はどうなったら成功なのかと聞いたら、人口を減らすなと言いました。
沖縄の人口をどうやったら減らさないか、観光業よりないと、ハワイのような街にしたいと思って、万博のような博覧会ということで沖縄海洋博を開きました。
未来予測小説を多数発表、戦後のベビーブーム世代を団塊の世代と名付けたのが堺屋さん。
「団塊の世代」がベストセラーになる。

「平成三十年」は平成9年から10年にかけて新聞に連載していた小説。
主人公は団塊ジュニア世代で43歳、キャリア官僚の木下和夫。
木下がベンチャー企業出身の大臣による改革に巻き込まれてゆく。
平成30年の社会を取りまく背景として少子高齢化、社会保障費、医療費の増大、財政赤字など閉塞感にある日本が予想されていた。
朝日新聞から頼まれた時に、平成になって5,6年の頃だったので、平成の終わりごろを予測しようと思いました。
自分が生きられる限界が平成30年ごろだと思って、好奇心と一緒に長生きしたいと思いました。
平成9,10年はバブルがはじけて冷戦構造が終わって、大変に時代が変わる、激動が続くのではないかという時代でした。
激動ではなく静かな時代になるだろうと言うのが私の予測でした。
小説の第1章は[何もしなかった日本]という章の名前になっているが、今見ると何もしなかった日本というよりもっと何もしなかった日本というのが現実です。

小説の冒頭では朝の木下の家庭の消費税の話、8%から10%、12%となり20%を検討しているということを夫婦で会話している状況から始まる。
年収は4000万円というものの収入の4割は税金と社会保険に天引きされる。
20年前に比べて消費者物価はおよそ3倍になっている。
21世紀当初木下の手取り年収800万円、月給40万円強にしか当たらない。
そのうえ消費税12%、燃料税、酒たばこ税、自動車税などお金を使うたびにかかる税金がある。
何とかやっていけるのも公務員宿舎の家賃が安いからやっていけるようなもの。
民間人が聞けば贅沢な感じだ。・・・・・。

堺屋:インフレ傾向だと思ったが、現実にはデフレになって行って物価が上がらない、石油が値下がりするということで逆になったが。
この小説では消費税も20%ぐらいにあがることになっているが、だから何もしなかった日本よりももっと何もしなかった日本ではないかという気がします。
小説のなかでの予測で、鳴り物入りで取り入れられた小選挙区制が、清潔な政治も円滑な政権交代も起こさないことへの幻滅、貧富の格差増大、過疎と集中が進むことへの憤り、ソフト分野の進歩は欧米に立ち遅れ、大量生産ではアジアの成長地域に追いつかれたといういらだちも大きい。
まさに今の時代。
住居地域の高齢化、森林の荒廃、農村の過疎、観光業は割高、地域サービス型商店街は空洞化、高齢者生活支援、どれも上手くいっていない。
これも予測があってしまった。
一番当たったの少子高齢化。
厚生労働省は団塊の世代の波が何度もやって来ると言っていたが、団塊の世代の子は増えたが、孫は増えていない。
日本の現在の人手不足、成長しない、低欲社会をつくっている。
産児制限が行き過ぎたこともあるが、結婚そのものに男が結婚したくなくなったんですよ、これが一番日本の欠点だと思います。

又吉:結婚するタイミングが遅れていっているのは経済力の部分もあると思っています。
堺屋:貧しくても子供は出来る。(終戦後の団塊の世代)
   少子化は理屈と結果が逆になっている。
   どうしたら子供が増えるかを内閣も真剣に考えないといけない。
又吉:僕らの生活水準が下がっている中で、ドラマに出てくるような大人にいつになったら大人になれるのかと言う、僕らは何処で大人になるんだろうと言う、そこにとらわれ過ぎていて、平成の親世代のあり方というのと、それとは全然違うタイプの家族の作って行き方がもう少し何パターンかあればと思っていて、一つしかない様な気がする。
自由にスタイルにこだわらず、成功例を僕ら世代で何個か示すことが出来れば、新しい形の家族の作り方が出来ていけるのかなと思います。
堺屋:官僚主導の、結婚して子供を託児所に預けて働き、家をローンで組んで建て、中高年になったら子供とは別れ、老夫婦で寂しく暮らす、そういった流れの生活パターンをこなすことによって、福祉、税金でも有利にできているので、世の中がワンパターンの人生になってきている。
楽しい社会は多様化、いろんなパターンで生きられる人生でないとたのしくない、多様化が必要です。
もう一つは意外性が必要、多様化と意外性を排除してしまう。
安全で安心で正確な国はないがどうも楽しくないという、これを楽しい社会にしなければいけない。
又吉:官僚主導のパターンみたいなものに入れなかった人達は、なんか劣っているんだと思い過ぎているから、違う価値基準で楽しく生きれるんだと切り変えることができたらどんどん多様化していくのだと思いますが。

連載が終了後に小渕内閣の経済企画庁長官になる。
堺屋:その頃はバブルがはじけて倒産会社の処理がたいへんでした。
又吉:サッカーに当時明け暮れていたが、ニュースは暗かった印象があり、99年になった時に本屋の棚に前向きで行こうとかという本がいっぱいあり、今前向きなのではないと思いました。
堺屋:先ずは経済を回さなければいけないと、高度成長ではなくてもう一度家庭生活が楽しい日本にしたいと思いました。
でも駄目でした。
隣近所との付き合いと言うことも無くなってきていて、会社から帰ったら寝るだけといった状況でした。
先ずは経済危機を乗り越えて、その次に楽しい日本を作ろうと、万国博覧会は楽しかったと思います。
イベントをどんどんやる世の中が出来たらいいと思います。
音楽でも演劇でももっともっと人々が集まれるような世の中が出来たらいいと思います。
私自身がやったのは大阪万博と沖縄では海洋博をやって、沖縄を観光地にして人口も増えて成功だったと思います。

又吉:予想した問題点を阻止できなかった点とは?
堺屋:一番は小渕総理の急死です。
小渕さんとの間でこうやろうと話し合ってやってきたことができなくなった。
森内閣では全閣僚はそのままで森さんだけが新たに入ってきて不慣れなところもあり、官僚がどっと入ってきて官僚主導になって、官僚主導からの脱却という小渕さんの願いが挫折してしまいました。
世論では改革を望んでいたのは1割で、望んでなかった人は1割で、8割が無関心で、その8割がどういう方向に行くかは、マスコミとか事件とか偶然的なことで動く訳です。
改革をしていこうと言うのはいつの時代でも1割程度です。
その流れを作っていくのが政治だろうと思いますが、なかなか難しいところです。
小泉さんは改革を進めて良かったと思いますが、小泉さんが終わったらもとに戻ったという感じですね。

又吉:昭和から平成になった時は8歳でしたが、よく覚えています。
子供心に何故か昭和が終わるのは嫌だと言うふうに思っていました。
平成になってそこからは自分がこれから大人になっていくという意識はあったが、小学校の先生にこのなかで大学にいけるのは半数だと言われて、大人になって調べてみたらやはり半数だった。
自分はどういう大人になって行くのか、何ができるのかとかは考えていました。
芸人になりたいと思ったのは小学校3,4年生位の時でした。
家は貧しくて月に一回位外食に行って、焼き肉屋に行っても兄弟で一番下だったが、父親だけが一杯食べていて、僕が最初にお茶漬け頼んだりして気を使ったりしていました。
高校卒業後吉本の養成所に入って、上京します。
アルバイトをしたりもしましたが、ネタを作る時間に当てたかったので、時間を有効に使うようにしていました。
堺屋:芸人になりたいと言うことは大変だと思いますが、どこから出てくるんですか?
又吉:考えることが好きとか、自分の作ったものを発表したいと言う欲求と、楽しんでもらった時に凄くうれしいということです。