2015年9月5日土曜日

中川 毅(古気候学研究センター長) ・5万年の歴史の物差しを掘り出す

中川 毅(立命館大学・古気候学研究センター長) ・5万年の歴史の物差しを掘り出す
46歳、2006年日本、イギリス、ドイツによるプロジェクトのリーダーを務め、福井県、三方五湖の一つ、水月湖の湖底から、縦に長さ46m、7万年分の堆積物を掘り起こすことに成功しました。
堆積物には1年ごとに出来る縞模様があり、年縞と呼んでいます。
2012年そのうちの5万年分が国際的な学術会議で、化石、遺跡、気候変動、火山活動等の年代を特定する世界共通の物差しに選ばれました。
中川さんの専門は古気候学、気温、雨などの気象を研究する学問です。
今後は年縞を使って過去の気候変動を研究すると言う事です。
ここまで大変な道のりだったと言いますが、この年縞の何が画期的で何が判るのか伺いました。

90cmの長さで直径が7.6cmにスライスされたものが目の前にあります。
一つの縞が1年、明るいものと暗いもので1セットで1年です。
E35資料の一番上は 41709±81年 一番下が43709±78年 
3cm縞のない部分があるが、湖の岸近くに溜まっていた土が、何らかの理由で崩れて土が地滑りを起こして、一瞬で何センチもたまってしまう、これは大規模な地震であろうと思われる。
43805±79年前に大きな地震があったと言う事がこの土から判ります。
放射性炭素年代測定という方法があるが、それで年代が詳細が決定されている世界の他の資料と比較する事によって、水月湖の土の年代は恐らく世界で一番正確に判っています。

ほとんどの湖の堆積物は綺麗な縞模様を持っていません。
湖には生物、魚、ゴカイなどがいてかき乱されてしまって細かい構造は残らないが、水月湖には細かい縞模様が残っていて、細かい分析ができる。
水月湖は山から土砂が入ってくるが、最初の湖でせき止められて水月湖には届かない、海の方か高潮等があるが水月湖に届くほどでもない、山からも海からも水月湖は守られている。
日本には非常に明瞭な季節があるので、四季によって湖の中の状態が違う、湖に流れ込んでくる物の種類が違う。
春先はプランクトンが繁殖して夏までに死ぬ、梅雨時は雨がたくさん降るので岸の土が入ってくる、夏はあおこが繁殖して湖底に沈む、秋から冬にかけて、湖の中に溶けている鉄分が析出して粒になり、湖底に溜まる。
冬には中国から飛んでくる黄砂が湖底に溜まり、順番に溜まってきて綺麗な縞模様になる。
湖は段々詰まって浅くなるが、三方断層が近くに達していて、水月湖が徐々に低くなっていっているが速度が年に1mm、水月湖に溜まるのが年に0.6~0.7mmぐらいなので埋まってくるが其れを上回って深くなっている。

それほど長く連続した年縞は世界には他にはない。
7万年が水月湖にはある。
縞模様が綺麗でないところもあり人間がキチンと考えて数えているので、5年掛かりました。
土の中には様々なものが含まれていて、注目しているのが植物の花粉です。
花粉が沈んで湖底に沈んで、化石になりますが、多い時は1ccに何万粒、何十万粒あり、実験室で化学処理をして取り出して、顕微鏡で観察する事によって、杉とか、ぶなとか種類が判るので、昔水月湖の周辺で生えていた植物の種類が判り、縞模様を数えることによって、その年代にはどうなっていたか、植物の歴史が判る、それが面白い。
学生時代は環境問題に興味を持っていて、生態学の勉強をしようと思ったが、一人の研究者が観察できるのは数年~数十年なので、もっと長いスパンでの観察をしたくて、化石を知らなければいけないと言う事で、国際日本文化研究センターに安田喜憲先生がおりまして、三方五湖の堆積物の研究を始めようとしていたところで、先生のお手伝いをすることになり、綺麗な年縞堆積物が発見されその現場に居合わせることができた。

最初4m掘って、次に12m、綺麗に取れて一体どこまで綺麗な年縞がとれるのだとうかと、言う事で湖底75mに達する本格的な掘削を1993年に行っています。
湖底から45mまで連続して綺麗な年縞が続いていることが判明しました。
どうやって扱うかのノウハウも或る種未熟だった。
1m分を45回繰り返してやるので、どうしても取れない部分があり、そこには何年部に相当するのか判らず、袋小路にはまってしまって、世界的に認められる年代測定に至らなかった。
2006年、改めて予算を獲得して私がリーダーになって掘削を行いました。
1993年に掘削したものは北川浩之さん(現名古屋大学教授)が一番熱心に分析して、1998年に世界を驚かす論文を書いて、2003年に私も或る仮説を論文で提唱するが、定職が無くて、3年時限の契約で、水月湖の最初の論文を発表したが、その後は研究しにくい状況があった。


その後、突然見知らぬ人よりメールがあって、応募したら幸い採用していただいた。
2006年の掘削はイギリスの研究資金(1000万円強)でやっていた。(他に日本の協力が色々あった)
協力してくれたボーリング会社からは3人の技術者がきて、研究者2人、学生等が4~5人が参加。(その社長に説明したら採算度外視でやってくれました)
民宿に泊まりたかったが、倹約のため宿泊は放棄されていた交番で、雑魚寝、朝昼晩自炊、そこに1カ月半滞在しました。(イギリス、ドイツからも来ました)
友人たちから家財道具を提供して貰う様に交渉して、協力してもらいました。
2006年7月1日~8月11日まで、とっても暑くて、掘削後はくたびれてしまって、1週間ボーっとしていました。
掘りだしたばかりの土は冷蔵しないといけないが、冷蔵庫を買うお金もなくて、漁協の魚用冷蔵庫の一角を2m×2mで月1.5万円で借りて土を運んで来ていたが、段々漁師さんと仲良くなって、魚を貰ったりするようになって、後半は食料も良くなりました。
ボーリングはパイプを刺して、パイプにはピストンで蓋がされていて、蓋とパイプを一緒に引っ張り上げることによって、土が取れてくる。
パイプは2mのパイプを特注で開発して、それを使いましたが、固くなると1mのものを使いました。

掘削の難しさ、年縞だと1mmひびが入っていたり、ちょっとだけめくれ上がったいたりして、掘削の微妙な失敗とも呼べない様な失敗が、全部目に見える形で示されてしまう。
考えてもみなかったトラブルに次々に気がつかされるという状況だった。
掘削業者もこんなに難しいとは思わなかったと言っていました。
全部で4回掘削しました。(掘削の隙間を埋めるための掘削 掘削技術も向上)
73.2m 16万年分に相当  縞模様は45m、時代で言うと7万年分  12万年ぐらいのところにも縞模様がありました。
5万年分が世界の物差しに選ばれた。
放射性炭素年代測定という方法は、土の中に自然界に含まれている極弱い放射能を持った炭素があるが時代とともに、段々減ってゆくが、どれぐらい減って、どれぐらい残っているか、を元に年代を計算すると言う方法があって、それを適用できる限界が5万年前までで、それより昔は出来なくなってしまう。

水月湖の縞数の結果をつかうことによって従来よりも劇的に高めることに私たちの研究グループが成功して、その成果を全世界で共有してこれを使う物差しとして認めて頂きました。
放射性炭素年代測定の信頼を高めるのが、年縞です。
放射性炭素年代測定の信頼は2万年前だと信頼性は低かった。(400年の誤差があった)
年縞と照らし合わせ対応関係を明らかにして行った。(換算表が出来た)
世界各地で出てきた遺跡や遺物の放射性炭素年代測定したものと、他の遺跡から出てきたものが比較できる。
微妙な年代の差が高い信頼度で出来るようになってゆく。
2万年だと±58年の誤差、1万年だと±29年の誤差、4万年だと±80年強の誤差
5万年だと±169年の誤差

気候変動のメカニズムを一番知りたいと思っている。
過去の気候変動はいったいどういう風に起きたのかを、きっちり理解しないといけないと思っている。
各国の温暖化に関する政策の策定にあたってアドバイスをする専門家集団、今後1世紀の間に数度温暖化が起こると言っているが、地質学的スケールで見ると、100年で数度の温度変化はおとなしい変化です。
氷河期が終わった時は1年~数年で、温度が数度以上も上がるような出来事が何回か起こっています。
年縞は1年ごとの情報が全部残っているので、細かく分析すれば1年で何度か手にとるように判るようになる。

氷河期間内でも烈しい温暖化が何度も起こっている。
起こるときには地球上でどこで最初変化が起き、規模がどのようで、どのぐらいの時間で、どの地域につたわってゆくのかという様なメカニズムを明らかにしてゆく必要がある。
氷河期は、一番いい比較の対象はグリーンランドの氷で、1年1枚の縞模様があり、氷の化学組成を調べることで過去の気候変動が判るが、これと水月湖を比較すると同時に烈しい変化が起こったみたいです。
氷河期の中に起こった温暖化は、南半球あたりで最初に温暖化の兆候がみられて、数百年から千数百年掛かって、徐々にグリーンランドを含む大西洋に伝わっていったみたいです。
温暖化もいろんなパターンがあり、いろんなメカニズムが複雑に絡み合っているみたいです。
歴史に残るぐらいの時間スケールで目撃してきた気候変動は、地質学的スケールで見ると大した事ない変動なので、潜在的にはどんな極端なことが起こり得るか、基礎知識を蓄えることは非常に重要で、年縞、化石を使った過去の復元は非常に重要だと思います。