一龍斎貞水(講談師) ・人間国宝講談師の高座60年
16歳でプロの講談師になった一龍斎貞水さんは2002年に講談師として初の人間国宝になりました。
貞水さんは昔から演じられている怪談ものを守りながもくぎょうや雷の効果音を使い、赤や青の照明等で雰囲気を醸し出す立体怪談を演じてファンを驚かせ、怪談の貞水と言われるようになりました。
今では怪談噺だけで年間およそ150席になります。
講談は守るべきものと開拓すべきものがあるとおっしゃる一龍斎貞水さんに伺います。
高校1年生になってその5月から高座にあがりました。
お金がなかったので都立高校に行く様に親からいわれて、都立工芸高校(工業高校)に行こうとして、願書を持っていこうとしたら誰も友達が皆行かなくて、普通科の都立城北高校を受けに行ったら、受かってしまった。
担任が音楽の先生で、工業高校へ行くための勉強しかしていなかったし、音楽、英語、数学が得手としてなくて、面白くなかった。
父親は絵描きだったが、邑井貞吉先生が父と友達だった。
或る日邑井貞吉先生のところに行って、役者になろうと思っていると言ったら、芝居も講談も元は同じ芸の極意は同じだと言われて、役者になりたいのなら上野の本牧亭に出演しているので一緒に来給えと言われた。
邑井貞吉先生がやってご覧と言われて、講談はNHKのラジオで聞いただけなので、知っている物2つを5分ぐらいやった。
邑井貞吉先生は当時講談組合の頭取で、一緒に学生服を着ていったので孫だと当時前座だった田辺一鶴が勘違いして、待遇が良かった。
邑井貞吉先生がさっきやったことを高座でやってごらんと言われ学生服で高座にあがった。
それで学校にはいかないで本牧亭に通って、講談の世界に入るようになった。
父は何も言わなかったが、邑井貞吉先生には心配で聞いていたようだったが先生はそのうち辞めるだろうと言っていたようです。
やっているうちに段々好きになった。
趣味でやっているうちはいいが、生きてゆく道だと思うと逆に辛いと思う。
邑井貞吉先生の紹介で一龍斎貞丈先生の弟子になり、貞春という名前で始めた。
最初お客がいない高座の時を狙って練習をしたりしていた。
一龍斎貞丈師匠は講談をしゃべる人間からやれと言う事で、最初お茶を入れること、先輩の着物をたたむことから始める。
心使い、気配りができるかできないか、を楽屋で皆見る。
気配りができない、心がこもった仕事をしないものが、高座に上がった心のこもった話芸をやる訳はあり得ない。
楽屋の仕事をちゃんとできる人はどんなに下手でもお客さんはちゃんと聞いている。
心がこもってしゃべっているが、いい加減な者は上っ面でしゃべっているから直ぐお客さんが離れて行ってしまう。
「らしくしなさい」と言っている、前座は前座らしく、前座なのに真打ち「ぶるんじゃない」と言っている。
怪談は目立つ、本来は難しいと思う。
話だけなのでお化けが出てきても怖くはない、言葉だけで幽霊をあらわすので、人物をはっきり語りだせなかったら怪談は成り立たない。
怪談はテーマは現代的、善い人もいれば悪い人もいる、騙すやつがいれば、騙される人もいる、足を引っ張る人もいる等、そういう人間が怪談噺には出てくる。
怪談で話す幽霊はお化け屋敷の幽霊ではない。
怪談で照明、道具、音響等を使うが、そういうものに自分の講談が負けてしまうと何にもならない。
そういうのを相手にして自分が語っていかなければならないので難しい。
立体怪談 しゃべりながら照明、音を出す等一人でやる。
昔は若い歌い手は将来ミュージカルをやりたいと言っていたが、考えたら芝居があり音楽があり、歌、踊りがある、講談ミュージカルは何がいいかと思ったら、民謡講談だと思った。
講談をしゃべる、民謡が流れる、照明、背景がある、踊りを踊る。
民謡講談で使った方法を、キャバレーで怪談噺をやってホステスが怖がってお客にしがみついたりして喜ばれた。
うちの師匠は講談がうまくできたら怪談をやってもいいと言っていた。
立体怪談を年間140~150はやっている。
段々道具類は重くなってきている。
2002年人間国宝になる。(間違いではないかと思った。)
偉大なる未完成が一番いいと思う。
壁にぶち当たるには有る程度分かってきたから壁にぶち当たる、壁を乗り越える為のテクニック等を身に付けば、さらに高い壁があり、それの繰り返しであり、一番偉大な未完成で終われればいいんで、完璧だと思ったらそこで止まってしまう。