2015年9月19日土曜日

中島 潔(画家)         ・「現代の地獄絵」を描く 

中島 潔(画家)            ・「現代の地獄絵」を描く 
かわいらしい子供や儚げな女性の絵で知られる中島さんですが、今年畳一畳ほどの大きなキャンバス5枚に描いた地獄絵を、京都市の六道珍皇寺に奉納しました。
この絵は地獄に心の音の図と書いて、「地獄心音図」と名付けられ、地獄に落ちた人が、鬼に様々な攻め苦を負わされる様子が強く鮮やかな色使いで描かれています。
地獄絵を通して、中島さんが今の時代に伝えたかったのは何かを伺いました。

地獄は八大地獄と言いまして、八つの場所に分かれているらしい。
八つの地獄を五枚の絵に描きました。
一枚目が等活地獄、次に黒縄地獄、最後が阿鼻獄(無限地獄)で一番重い罪を犯した人が行く場所です。
最初描くのが怖かったです。
ここのところ自然災害、社会において、子供さん、大人の痛ましい光景が多い。
今の世の中はちょっと変わってしまった様に思う。
若者、年寄りが住むところが無かったり、自然災害の時に、考えられない苦しみの中にいる人たちの所から、物を盗む人がいたり、人としてそんなことができるんだろうかと、驚きがあり、強いメッセージを送りたいと思い地獄絵を描きました。
自分等自身を見つめ直して、考えることが必要ではないかと思った。

「悪いことをすると地獄に行って火あぶりにされたり、舌を抜かれたりするので悪い事はしない様に」という事を子供のころに母親から言われ、怖いと思って子供心に悪い事はしないようにとか思った。
母親もそうですが、お釈迦様、お坊さん達が大事なことをどうしても伝えたいことがあったと思う。
そういうものを地獄絵を描く事によって、見いだせるのではないかと思った。
京都市の六道珍皇寺は、冥界への入口があると言われる寺で、古い地獄絵も所蔵しています。
地獄絵を見せて頂いたが、地獄絵の一番大事な真ん中に、心と書いてあった。
自分でも描き始めて、どうしてなのか判らず、描いていたが、最後に自分で思ったことは、心は普段使っている感覚ではないのではないかと思った。
魂とか、身体とは別のものだと思う。
母親のおなかの中にいる前から、身体ができる前から心があって、それにずーっと身体ができていったものではないかと思う。
それを汚しては駄目だと言う事だと思います。

私が描いた地獄の中で右往左往している人達、判り易い様に人間として描いているけれども、それは心なんですね。
身体は無くなるが、心は残ると思う。
悪い事をしてもそれで終わりではなく、ずーっと消えない、心が汚れてしまうとそのまま行くんですよ、そこで罰を受けて、もう一回心を生まれる前のものに戻して、生まれ変わりましょう、という事で地獄絵はあるのかなあと思いました。(でも安心したのは地獄も仏様の世界)
仏さまが地獄の世界を作って自分の姿を鬼にして、罰を受けさせる。
地獄の世界はもう一回心を綺麗にして戻ってほしいと言う事なんです。
罪が一番重くなってゆく最後の方は、嘘は重大な罰(良く舌を抜くと言う)で、真面目に生きてきた人に痛い目を合わすのが一番重い。
生きている素晴らしさをも地獄絵は教えてくれる。

強いメッセージを送りたいと思って描き始めたが、地獄絵の中に自分もいろんなところにいる。
地獄絵を見る人も自分はここにいると思う、どこかに自分がいる。
自分自身を客観的に見ることができる。
最初の予定にはなかったが、一番最後の時に、一番好きな部分に地蔵菩薩を入れた。
地蔵菩薩が女の人を抱きかかえられていて、さあ戻りましょうか、と 女の人は笑みなんです。
その絵を描いた時に思った、あれは母親だと、母親の愛だと。
大人になっても母親に抱かれたような気持で生きれれば、これが一番素晴らしいと思う。
いま生きている日々の中でそういう気持ちで過ごして生きていけたら、それは天国だと思います。

六道珍皇寺に奉納し、自ら地元の子供たちを前に解説をしました。
嘘をつくのはとても良くないことであると、伝える。
地蔵菩薩の事を最後に説明する。
子供達の中に私なりのメッセージを残したと思うし、悪いことをする事は気分のいいものではないので、なるべくそういう事をしない方がいいと言う様な話をしました。
自分の気持ちを後ろむきでなく、夢や希望に誠一杯走ってほしい。
地獄、心、音 心を綺麗になって綺麗な音を出すような、「地獄心音図」でそういう見方をしていただきたい。