海老彰子(ピアニスト) ・ピアノはわが師、わが友
現在、フランスのパリを中心に活躍しています。
東京芸術大学1年生の時に、日本音楽コンクールで優賞したあと、フランスに留学し、パリ国立音楽院を首席で卒業されました。
その後様々な国際コンクールで輝かしい成績を収め、今では世界各地で演奏を行っています。
最近ではご自身の演奏活動のほか、ピアノコンクールの審査員や審査員長を務め、今年は10月にワルシャワで開かれます、ショパン国際ピアノコンクールの本戦の審査員も初めて務めることになっています。
4月にショパン国際ピアノコンクールの予備選で160人近くの方を74人に絞るという審査をしました。
1974年から40年以上パリで活動をしています。
今はフランスだけではなく世界各地に演奏に出かけているので、パリでの生活だけではなくなりました。
両親がピアノを演奏させたいとの思いがあったようで、3歳半の時に姉と一緒に広島で勉強を始めました。
母はピアノが好きで、父はバイオリンとクラリネット、サックスフォンをやっていました。
音楽を職業ではなく趣味でやっていました。
4歳の時に「声くらべ腕くらべ子供音楽会」がNHKのラジオで有り、出演しまして、今も録音テープがあります。
8歳でNHKのTVの「ピアノのお稽古」に出させて頂きました。
最初の頃はピアノはやりたくなかったが、7歳の時からはピアニストになりたいと思う様になり、自分で楽しんで曲に話を作りながら勉強していました。
高校は東京芸術大学の付属高校、大学は東京芸術大学に進学する。
高校の同級生には野平一郎さん、作曲家の高橋裕さんとか他にもいろいろいらっしゃいます。
大学3年の時にパリに給付留学生として留学する事になりました。
事前に先生が決まっていたが先生が別のところに行く事に急に決まって、3カ月宙ぶらりんの状態に一時なり精神的にも厳しく、言葉の勉強もやってようやく9月にパリに入れるようになりました。
ようやく勉強する事が出来ました。
アルド・チッコリーニ 先生、有名なピアニストについて勉強する事が出来ました。(入学試験の後)
5年間勉強しました。厳しかったです。
1年の時にアルド・チッコリーニ先生からコンクールに出ないかという事で1975年ロン・ティボーの国際コンクールに参加、2位となり、課題曲に対し併せて、アルトゥール・ルービンシュタイン賞をはじめとする4つの特別賞も受賞。
1980年ショパンコンクールに出場
5年に一度 国を挙げてやっているコンクールですが戒厳令が敷かれていた年でした。
優勝は ダン・タイ・ソンさん(ベトナム 22歳) 私は5位でした。
第一次予選の時は今までで一番緊張しました。
大江光さん(大江健三郎さんの息子)の作品を演奏するようになる。
江戸京子さんが主宰される東京音楽祭に招待されて、ショパンを弾いてほしいとの依頼があり、
そのあとに江戸さんの家で大江光さんと一緒になり、後日楽譜を頂く事になる。
大江健三郎さんからお話があり、ピアノとフルートの録音をするようになる。
(大江光さんの作品を収めた2枚のCDは、いずれも日本ゴールドディスク大賞を受賞して話題となり作曲家、演奏家ともに脚光を浴びた)
光さんの純粋な感性というのが、私たちをなごませてくれた様な思い出がいっぱいあります。
浜松国際ピアノコンクールで審査員長、ショパン国際ピアノコンクールの本戦の審査員も行う予定。
マルタ・アルゲリッチさんも今回審査員です。
コンクールの前のオープニングコンサートで彼女がチャイコフスキーのピアノコンチェルトを弾く事になっています。
浜松国際ピアノコンクールでは審査員としてマルタ・アルゲリッチさんに来ていただく事になっています。
ショパン国際ピアノコンクールには日本から12名参加します。
浜松国際ピアノコンクールでは449人の人が応募、87人が残る事になりました。
人生とは何かなあと考えますが、なるべくいい伝統をバトンタッチしてゆく、それに尽きるのかなあと思います。
技術だけでなく、人間としての生き方、いいと思うものを伝えていければと思います。
いろんなピアノを弾いてきたので、出来るならばショパンが弾いた時代の古いピアノ等を含めて、いろんな種類のピアノで録音を少しずつ残していけたらいいと思います。
昔のピアノは普通に弾いてはあまり音が出ないので、音が出るようにするにはどうしら良いか考えると音楽に集中して弾かないと駄目、古楽器は意義のある経験を教えてくれるところがあります。