2024年4月18日木曜日

毛利衛(宇宙飛行士/科学者)       ・〔わたし終いの極意〕 ミッションは“挑戦”、そして生き延びること

毛利衛(宇宙飛行士/科学者)  ・〔わたし終いの極意〕 ミッションは“挑戦”、そして生き延びること 

今年76歳になった毛利さんの歩みは挑戦の連続です。 大学の教員から宇宙を目指し1992年スペースシャトルエンデバー号に日本人科学者として初めて搭乗、宇宙実験を行いまいた。 2000年にはエンジニアーとして再びエンデバー号に搭乗、地球観測を目的としたミッションを成功させます。 同じ年の秋には日本科学未来館の初代館長に就任、20年に渡って科学技術の未来や可能性を開く取り組みを続けました。 2度の宇宙飛行が毛利さんの人生観、死生観にどう影響したのでしょうか、又次なる挑戦はどんなことでしょうか。 

日本科学未来館の館長をしりぞいて、3年あまりです。 水にまつわる活動をしている方々を見つけ出して、表彰するという「日本水大賞委員会」の委員長をしています。 宇宙記念館の名誉館長もしています。 後輩の宇宙飛行士の助言とかお手伝いもしています。 一昨年小澤征爾さんと「ワンアースミッション」という宇宙と音楽という事で行いました。 オーケストラの音は楽器が様々あって、様々な音を宇宙飛行士の元に届けるという事は難しい技術が必要です。 それが小澤征爾さんにとって最後の指揮になりました。 

何のために私は今宇宙にいるのかという事を考えました。 人間の様々な活動は、ひょっとして人類、地球生命全体を集団として生かそう、未来へつなげようとする力があるのではないかという事で、それを考えた時に科学技術で何でもコントロールできるというような風潮があるが、科学技術、音楽、スポーツ、政治、宗教などが全て未来へ集団として人類が生き延びるための一つの知恵というか、そういう風に捉えた時に、「総合智」私たち人間社会がが未来へ向かって生き延びるための知恵、すべての文化が大切なんですよと言う見方、未来館では出来るだけいろいろな文化を取り入れると同時に、地球の温暖化など未来とのかかわりが重要で、限りある地球のなかで人類が生き残れないのではないかと、宇宙に行ってもろに感じました。 地球にも極限のところがあり、南極,深海があります。 極地に住んでいる生命もきちんと環境問題を含めて扱う必要があります。 現場に行って伝えようと思いました。  

1957年に世界地球観測年が決められ、日本は南極に初めての基地を作ることになりました。 アメリカやソ連では宇宙から地球を見ようという事で人工衛星を初めて飛ばしました。(1957年) そこで新しい時代が来るんだと思いました。 1961年ソ連はガガーリンを初めて宇宙に飛ばしました。 「地球は青かった。」と言う言葉に、どんな青さなんだろうという不思議さが宇宙に興味を持たせてくれました。 兄たちも天文少年でした。 母も星などに興味を持っていました。  母は「自分はハレー彗星が一番近づいた1910年に生まれたので、又ハレー彗星が近づく1986年に帰っるんです。」と言ったんです。 ハレー彗星が近づいた1986年1月28日に母が亡くなりました。(76歳) 僕は誕生日が1月29日ですが、母親が亡くなって数時間後にスペースシャトルのチャレンジャー号が爆発したんです。 日本で待っていましたが、爆発のことは知らされませんでした。(宇宙飛行士に採用されてから3か月後)

若いころ交通事故で即死のような状況でしたが、なんでもありませんでした。 ヨーロッパに行った時に飛行機事故に遭って、エンジンが爆発して火事になりました。 サッと出口から出ることが出来て助かりました。 2度の死んでもおかしくないような事故を経験して、自分には運がいいんだと言うような信念があります。 爆発事故があっても怖いという発想はなかったです。 未知だから面白いと思います。 2003年にコロンビア号が帰還するときに爆発しました。 そういったことを理解して、宇宙に飛ぶときには遺書を書いていきます。 1992年、2000年の2回宇宙に行きました。 仕事をするミッション、その中に細胞培養実験がありました。 宇宙での細胞ぼ培養の仕方を顕微鏡で見て写真を地球に送るんですが、疲れてふっと窓から地球を見たら、細胞と似たような形に見えたんです。 「繋がっているんだ。」と言う気持ちが出てきました。  地球が一つの生き物であるかのように感じました。 

二回目は3次元の立体地形図を作る為に絶えず地球を観測する仕事でした。 ずっと見ているうちに、「地球って本当に宇宙に浮かんでいるんだ。」という事が判ったんです。(知識では判るが感覚では判らない。) 地球みたいな星は宇宙には沢山有るのではないかと思って、宇宙人は本当にいるなと思いました。 

NHKの「生命40億年の旅」と言う番組のの説明する仕事をしました。 「恐竜は絶滅したのか?」ということについて、絶滅したのではなくて鳥になったんだよ、と。 当時は鳥になったという証拠はありませんでした。 解説をしていて何故羽根を持ったのかなと思いました。 私の解釈は羽根を持ちたかったからじゃないの、飛びたかったからじゃないのと言う結論に達した時に、何故自分が宇宙にいきたかったのかということが判って、腑に落ちました。  遺伝子に書き込まれている事だけが全てを決めるのではなくて、意志の力でも変わるのではないかと思いました。 個の意志だけではなくて、種の意志、未来へ生命をつなげようとする種の意志があるのではないかと思います。 

環境問題、人間はほかの生命に対して責任を持たなければいけないなと思いました。 生物が多様性で可能性を自然に対して持てるという事と、自然環境をどうやって守ってゆくか。 人間が今いなくなっても今世紀末には2度、3度上がってしまう。 地球の環境の限界が来てるのではないかと思います。 SGDs( Sustainable Development Goals持続可能な開発目標、そのためには相当自分たちの生活を変えなくてはいけない。 その貢献のために地域のいろいろなお手伝いをさせて貰っています。 

「未来智」、人間ばかりが生きているのではなくて、他の生命と一緒に生きるためにはどうしたらいいかという事を考える時代になっている。 スペースシャトル内では酸素と水素で人工の水を作って飲むんですが、まずいんです。 地球に降り立って空気、そして水を飲むと美味いんです。 地球まほろば、ここが人間が住むところで、長く住むのであればほかの生命と一緒に住むという事でないといけないと思います。 

能力にぎりぎり挑戦することは最大の喜び、それで駆け抜けてきました。  「モマの火星探検記」を出版しました。(サイエンスフィクション) ミュージカルにもなりました。  感動して泣いていて、舞台は凄いと思いました。 科学技術とは全然違う手法で人の気持ちを和やかにさせる。  運動と食べ物には気を付けています。 周りの人に役に立つような役割を持ちつつ、静かに段々消えてゆきたいと思います。 わたし終いの極意としては、「未来に繋がる命に期待する。」という事です。