2024年4月25日木曜日

小林照子(メイクアップアーティスト)   ・〔私のアート交遊録〕 肌の記憶を呼び起こす

 小林照子(メイクアップアーティスト)   ・〔私のアート交遊録〕 肌の記憶を呼び起こす

子供のころに見た舞台で役者が化粧によって変身する姿に感動し、舞台メイクの仕事を夢見て上京します。 保険の外交をしながら夜間の美容学校に通い、23歳の時に化粧品会社に就職、販売員として主婦を相手に腕を磨く中で、化粧は女性を内面から元気にする力があるという事を知ったと言います。 その思いが肌の奥に潜む美を追求する身体化粧の原点となります。 美容部員から女性初の取締役に就任、その後独立し美容ビジネスの経営や後進を育てる学校運営にも乗りだします。 一方で小林さんが長年取り組んできたのが、人の身体に化粧を施し、肌の奥に秘められた美を探求する身体化粧、身体に優しい化粧品で全身に絵を描き皮膚と一体化させる唯一無二のアートワークです。 私が描いた絵は元々肌が持っていた記憶ではないだろうかという小林さんに追い求める美の世界についてお話を伺いました。

メーキャプと言うのは本来、清潔にするとか、衛生概念と言ったものから始まるんです。  そこから礼儀みたいな、人様にいい姿を見せようとか、メーキャプに発展してゆきました。  男性用化粧品とか男性向け美容講座も開いています。  自分自身のモチベーションを上げるのにとっても必要なものですね。 ニューヨークなどに行くと、個性をきちんと表現しないと生きていけないぐらいのキャリア―ウーマンはいっぱいいました。  演劇の世界に行くには勉強になると思いました。  

日本も変わって来ました。 ビジュアルな時代で、見た目で判断されると言う事をみんな知っているわけです。 思春期に直観力が出てきて、自分を見せたい、自分がどう見られているのか模索するのが、思春期だと思います。 直観力を押さえてしまうという事が日本のあり方だった。 本能として自分を表現するという本能があるんです。 美意識を持ち続けつつ、養いつつ高等学校の勉強をする、大人になるための勉強をする、それが私の学校の方針です。 人間は社会性のある動物なので、人とのコミュニケーションの中に表情、声は凄く大事なことだと思います。

貧乏だったので手に職を身に付けたかった。 演劇の裏方になると決めました。 キャラクターを作ることがとっても面白かったです。 扮装のプロになりたいと思った。(当時はメーキャップと言う言葉はなかった。) 保険の外交員をアルバイトとしてやって、夜に美容学校に行きました。 当時は皮膚の病気が一杯あって、伝染病学、感染学を学びました。 メーキャップアーティストになるためには化粧品会社がいいと思ってコーセーと言う会社に入社することになりました。 山口県に派遣されました。 本人も気が付かないナチュラルメークをするんです。 お顔を借りてメークするうちにどんどんお客様が増えました。 2年間山口県に通いました。 手の感覚が顔の肌と接して、人との縁が深くなるとか、そういったことに繋がるわけです。 家庭内のごたごたなども話してくれて、気持ちもスッキリしたという事もあり、私にとってもいい勉強になりました。 これも手の力だと思いました。

ヒット商品を沢山作れたことは、ラッキーだったと思います。 ヒットキャンペーンも考えることが出来て、上司も許してくれて、やりたいように進めることが出来ました。 ルックスキャンペーンで大成功しました。  45歳で辞めようと思っていましたが、50歳で女性で初めて役員になって、社長からは「あんたは何でも初めてのことをやるんだから。」と言われました。 私の目標は舞台のメーキャップアーティストになるという事なので、時代も変わって演劇集団も規模が大きくなり、100人程度のメーキャップが必要になり、学校を作ることにしました。 独立することになりました。

人間の生身の身体をキャンバスにして表現する身体化粧に挑んでいきました。 ビジネスにはならないものです。 顔から身体に延長させてゆくことは綺麗なんです。 一糸まとわない身体の化粧という事でやりました。 評価されてメイクアップアーティストになって行きました。 消されてしまうので儚いです。 写真家の藤井秀樹さんとの出会いがありました。 日曜日美術館からのお話があり動画にも挑戦しました。

10代で直感的に思った夢を、常にコツコツとやってきて、いろいろ成功してきて、自分がやってきていることは、人のモチベーションを上げることだけではなくて、自分の夢を成功に導いてゆくような凄いものなんだなと思えるようになりました。 真っすぐ進んでいるうちにチャンスが向こうから来ると言った感じです。 自分を見つめる目、芯のようなものがあり(揺るぎない直感)、それを追及している時には味方してくれる、そこからそれようとした時にガーンとした事故がある、そんなふうに思って、気付かされることをずっと感じています。 

身体化粧を75歳までやって、そこから彫刻をやりました。 彫刻は昔からやりたかった。彫刻をやることによって、それがヒントとなり大ヒット商品を発明する事ができました。 彫刻に蜜蝋を塗る事から、顔にと言うクリームが大ヒット商品になりました。 

自分を大事にするという事は人を大事にする、愛する、練習です、と言う風に思っています。  フリーダ・カーロアンリー・ルソー奈良美智の描く顔の絵が好きです。