2024年4月26日金曜日

柳田邦男(ノンフィクション作家)    ・〔ことばの贈りもの〕 絵本がひらく共生社会への扉

柳田邦男(ノンフィクション作家)  ・〔ことばの贈りもの〕 絵本がひらく共生社会への扉 

柳田邦男さんは災害や事故、病気や医療、障害と福祉などについても取材と執筆を半世紀以上続ける一方で、もうひとつのワイフワークとして絵本を楽しみ、翻訳を手掛け、絵本が持つ力、魅力についての語り部としても活動を続けています。 2008年には東京荒川区が柳田邦男絵本大賞を創設、絵本を読んだ感想文を柳田さんにお便りするというスタイルで行われていて、今年で16回目となりました。 柳田邦男さんのNHKハートフォーラム絵本がひらく共生社会への扉の講演をお聞きいただきます。

「ピアノはっぴょうかい」 みやこしあきこ 

「今日はモモちゃんの初めてのピアノ発表会です。・・・いつものように弾けばいいからね。  先生がにっこり笑って言いました。 ・・・大丈夫、大丈夫。 ・・・モモちゃんが足元を見たら子ネズミでした。・・・大丈夫モモちゃんの番までまだ時間があるから。・・・子ネズミについてゆくと舞台袖の奥に小さなドアがありました。 ・・・モモちゃんはドアをくぐりました。 ・・・ 」(冒頭部分)

絵本の普及活動を始めて30年近くになります。 NHKの障害福祉賞というものがありまして、その選考を30年以上やってきています。 障害や、障害者問題と絵本の発表といつもも重なり合ったんです。 絵本は幼児期の本だという風に先入観で捉えられてしまっている。 描いている絵本の世界は深いんです。 絵本は人が生きる上で大切な事、人間関係で大切な事、それが全て絵本に書かれている。 障害と障害者の理解を深めるうえで絵本はとてもいいヒントを与えてくれる。 こういう活動からお話をしてみたいと思います。

東京の荒川区で大きなイベントを16年やって来ました。 絵本を読んでどういうところに感動し、気付きがあり、そして自分がどう変ったか、その体験を手紙で寄せてくださいと言う活動を始めました。 柳田邦男絵本大賞を創設。 その頼りの中からご紹介したい。

食物アレルギーを持っている小学校2年生の杉山椎良君

アイスクリーム、お菓子などが食べられない。 辛い中で一冊の本に出合いました。 「むっちゃんのしょくどうしゃ」と言う絵本です。 動物列車にむっちゃんが一緒に乗ります。食堂車で食事をしますが、むっちゃんが杉山君と同じような食物アレルギーを持っている。 杉山君は自分と同じだという事で読んでいった。 むっちゃんが「僕は食物アレルギーだから卵と牛乳が田出られないの。」と大きな声で叫ぶんです。 自分と同じだと思って読んでゆくと、アシカやペリカンは魚だけしか食べない。 ライオンは肉だけ、羊は草だけ、こういう風景になっている。 それを杉山君は手紙に書いてきてくれました。

「僕に食べられないものがあってもいいのだと思いました。 僕は僕の身体に合う食べ物を使って、お母さんや給食の人が作ってくれているので、とてもありがたい気持ちになりました。 僕はこの本を読んで、アレルギーは気を付ければご飯がもっと美味しく、これからは作ってくれた人の気持ちを考えて、残さず食べれるように頑張ろうと思う様になりました。」   感謝の気持ちをもって食べて行こうと自分を変えてゆくわけです。 

小学校5年生 村山重行?君 「見えなくてもだいじょうぶ?」と言う絵本を読んだ印象と学んだことをしっかりと書いてきました。

カーラと言いう少女が御両親と市場で買い物をしているうちに迷子になってしまう。 誰も声をかけてくれないが、泣いていると若者が声を掛けてくれた。 ハッとみると白い杖をついている。 この場面は障害のある方とない方が表現されている。 耳で迷子になっていることに気付く。(健常者は無関心)  一緒に探しに行く。 そうするといろんな場面で障害者に対する理解がどんどん深まってゆく。 

「僕は目をつぶってリンゴを触ってもリンゴだとは判るけれども、熟れているかなんて全然わかりません。 ・・・柳田先生もし夜中にトイレに行く時には灯りを点けますか。 僕はトイレに行くときには必ず点けます。 でもマチアスは灯りを点けなくても平気なんです。僕は目が見えなかったらどうなるだろうと、いろんなことをやってみました。・・・でもいろんな音がよく聞こえました。 カーラはお兄さんは耳も見えるのね、と言っていますが、まさにその通りだと思います。」     「耳で見える。」と言う言葉は素晴らしい言葉だと思います。 「この本は目の不自由な人の思いが伝わって来る本なので、是非柳田先生読んでください。」と付け加えられていました。

人種差別、障害の有る無し、寝たきりの老人とか、いろんな人に対する偏見があるが、その立場に立って考えるとまた違う見え方が出来る。 それを小学5年生の子が考え、実行しているわけです。 絵本の力は素晴らしいと思います。

「ちょっとだけ」と言う絵本。 なっちゃんという2,3歳の女の子。 赤ちゃんが出来て今迄みたいに100%面倒を見て貰えない。 喉が渇くと自分で牛乳を持ってきて、ちょっとこぼしたりしながら飲んだりする。 ・・・赤ちゃんが眠った時に一杯抱っこしてあげますね、と言うと、なっちゃんは大喜びする。 お母さんのひざ元ですやすやと眠る。

一日に一回でもいいから上の子のことをちゃんと見てあげなさいと言うような物語だと思いました。 他に色々な場面で子供から気付かされたと言うおかあさんからの手紙です。

吉田千絵?さんからの手紙

3歳の息子に読み聞かせっていたら、牛乳をついでこぼしちゃった、でもなっちゃんはちょっとつげたことで満足そうな表情になっていて、そこで3歳の息子が拍手をして「凄い」と言ったそうです。 見ているところが親と子では違うんです。 親はこぼした方を見ている。 子供はついで、つげて嬉しい、と見ている対象が違うんです。 ここはとても大事なところです。 

「この時我が子が凄いねと言って、私はハッとしました。 子供にとって自分が出来た時の喜びはとてつもなく大きいもの。 それが完ぺきではなくちょっとだけだったとしても。・・・こぼさないようにしなさいと監視し、こぼしてしまうと「だから言ったでしょう」と怒っていたかもしれません。・・・ちょっとだけ成功していて本当は喜びたいはずなのに、私は怒ってしまったことはないだろうか。 この絵本を見て反省させられました。・・・ちょっとだけの成功を見落とさずに、しっかりと褒めてあげないといけない。 そして一緒に大喜びをしないといけない、と私はそう決心しました。」

平山小雪?さんから「ちょっとだけ」と言う絵本を読んだ感想。

7歳の娘さんと赤ちゃんとの関係を伝えてくれました。 お母さんが赤ちゃんに取られてしまっていてひがんでいる。  なっちゃんが隣の友達のお母さんから声を掛けられる場面。「なっちゃんね、赤ちゃんて可愛いでしょう。」  なっちゃんはためらいがちにうなづく。 平山小雪?さんは7歳の娘さんに「なっちゃんはどうしてちょっとしかうなづかなかったのかなあ。 なっちゃんの気持ち判る。?」と聞いたそうです。 7歳の娘さんははっきりと「判る、凄く判る。 なっちゃんは本当は厭なんだよ。 凄く我慢しているんだよ。」といったそうです。 

絵本の読み聞かせは、親も学びの場なんだという事を気付いて、親子で成長し合うという事に気付く必要があると思います。 

中高年層になった時にもう一度絵本を読むと、新しい気付きや発見がある、という事を訴えています。 子供の頃のみずみずしい感性がいつの間にかなくなってしまっている。    でも取り戻せないものではない。 それは絵本です。 高齢者のグループに3冊の絵本を持って行って3グループに分けて読んで語り合ってもらいました。 想像以上に内容が濃かったと言っていました。 「おじさんのかさ」 作:佐野洋子                  大事な傘なので、雨が降っても濡らさない。  公園で雨がパラパラ降って来て、男の子が来て「おじさん、傘に入れて。」と頼んでくるが、そっぽを向く。  女の子が来て傘に入れてあげると言って、相合傘で歌を歌いながら行きます。・・・ おじさんは「雨が降ったらポンポロロンと言いながら、傘を開いて雨の中に入って行きました。・・・家に着くと奥さんが「貴方 傘が濡れているわよ。」と言いました。 

「おじさんは傘と共に心を開いたのだ。 こういうコミュニケーションの極意を語り合っていました。 このメンバーはもう一度みんなで音読したそうです。 一冊の絵本を仲立ちにして、過去を語り未来を見つめ、人は心豊かに繋がるのですね・・・。 傘を開く時、心を大きく開こうと深呼吸をして出かけました。」  今日も心を開いて前向きに生きてゆく、その一歩を踏み出そうと、そんな傘を開く気持ちと言うものを、ちゃんと一冊の絵本から読み取る。 いろんなモチベーションを絵本からくみ取って、日常生活が変ってゆくという、栄養剤、刺激剤になってゆく、そういう力を絵本は持っている。

子供は大人が考えている以上に柔軟な感性を持っていて、自分に重ね合わせて自分自身を変えて行ったり、心に成長に繋がる考え方を持ったりする。 大人の絵本を介していろんなことを学んでそれぞれの生活、人生が変わってゆく、とても素晴らしい力を絵本は持っている。