2023年9月24日日曜日

瞳みのる(ドラマー/ザ・タイガース)  ・〔私の人生手帖〕

 瞳みのるドラマー/ザ・タイガース)    ・〔私の人生手帖〕

瞳さんは1960年代の後半、グループサウンズ(GS)のグループの寵児として一世を風靡した「ザ・タイガース」のドラマーです。  一般的には「ピー」の愛称で知られますが、昨日9月22日喜寿を迎えました。  京都市の出身で幼いころ裕福だった家業が倒産、小学校のころから新聞配達などをして学費を稼ぎます。  定時制高校4年の時に休学、仲間たちと上京して1967年「ザ・タイガース」としてレコードデビューしました。  そして圧倒的な人気を得たものの4年足らずで解散しました。  以後、芸能界と交流を断った瞳さんは、猛勉強の後大学、大学院を卒業して34年間高校で漢文などの教諭を務めます。  その後定年を2年残して音楽の世界に復帰、現在も現役として音楽活動や執筆活動を続けています。  今日は解散後の話を中心に3回生きたとも言われる決断の力となったもの、波乱の人生を支えた強い思いと共に、喜寿を迎えた心境などを伺いました。

慶應義塾高等学校中国語漢文の教諭を務めました。  34年間甲子園には一度も出ていなかった状況でしたが、本当に感激しました。  慶応に来た仙台育英の校長がいるんですが、今校長をしていますが、仙台育英の校長は漢文の僕の教え子なんです。  優勝して感激しました。喜寿を迎えましたが、大きな感慨はないです。  父親は75歳で亡くなりました。 

23日に有楽町でバースデーイベントがあります。  日劇のウエスタンカーニバルがあり、一回目ぐらいからロカビリーの連中(平尾昌晃、守屋浩ら)の曲をやって、GSの曲をメドレーでやったりとか、皆さんに楽しんでいただければと思います。  

「ザ・タイガース」の結成が1967年、会社の方としてはアイドルで売った方がいいという事でした。   外国の歌ばかりやっていたので、なんで歌謡曲という思いはありました。   ビジネスの世界で、僕たちとは合わなかった。   一生やろうと思って仲間を誘ったのですが、4年足らずで解散しました。  勉強をしたいと思いましたが、その前に演劇、カメラマンなどもやろうと思いました。   勉強ではなく、学校でわいわいするのが好きでした。   柴田錬三郎さんに会う機会があり、勉強するにはお金が必要だと言われて、最後に1年間で学資を稼ぎました。(1000万円ぐらい)   

1971年1月24日に解散、当日京都に戻り猛勉強を始めました。  72年4月に慶応大学に入りました。  時間を惜しんで勉強し、定時制高校では受験科目しかやりませんでした。  一日14時間ぐらい勉強しました。  「ザ タイガース」という名前を辱めてはいけないと思って頑張りました。  小学校1,2年生の時には乳母がいて、自分は病弱ではありました。   乳母が居なくなって自分で生きて行かなくてはいけないという思いでいました。   科目は国語と社会が好きでした。  中国語、漢文を勉強しました。  生徒たちからはいろんなことを教わります。  生徒から興味を持ってもらえるような授業を考えてやっていました。  

柴田錬三郎さんからは「やるんだったら、二足の草鞋は履けないよ。」と言われ、僕も守りました。   夢に出てきたりして、音楽に対して我慢していたところはあると思います。   溜めていたものがとめどもなく出てきます。   短歌は一日一首,二首は書いています。それが歌になります。   定年(65歳)を2年残して2010年に退職しました。   定年までいると、人生終わったなと思ってしまうと思いました。  だから早めに辞めました。   音楽、文学が融合できればいいなあと思いました。  今は料理もやっています。  

2011年からコンサート、本も執筆しました。  自分がどういう方向に行きたいんだという事、「志」の問題ですね。  「ザ タイガース」での成功の確率はほとんどゼロに近かった、大学に1年で入るというのも、確率的にはほとんどゼロです。  「志」の問題です。辛くって「もういいや」と思う時もありますが、「それでいいの」と言うもう一人の自分が言うんです。  杜甫、李白をやっていますが、物凄く規則がうるさいんです。  漢文、音楽もリズムなんです。   「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」(誠の心で接すれば、動かなかった人は今まで誰もいないという意味)  吉田松陰が好きだった言葉です。(孟子の言葉)  自分自身のある力を出し切って生きて行こうと思っています。  順風満帆な人生は面白くないでしょうね。  

「百川帰海」、多くの離ればなれになっているものが、一か所に集まること。  自分がいろいろ学んできて、学んできたものが統合されて、自分のなかで大きな海になってゆく。  歳を取ると自分の幅を狭くして行ってしまうが、狭くならないようにとは思っています、でも狭くなっていきます。  飽きない曲残る曲を作りたい。  自然で韻律がいい、そしてどこか懐かしい、だけどどっか新しい、そういう曲が飽きないと思います。  文学的な歌を作りたい。