2023年9月28日木曜日

土屋貴裕(東京国立博物館・絵画彫刻室長) ・〔私のアート交遊録〕 日本美術の王道~大和絵の世界をめぐる

土屋貴裕(東京国立博物館・絵画彫刻室長) ・〔私のアート交遊録〕  日本美術の王道~大和絵の世界をめぐる 

 東京国立博物館では 10月11日から 日本美術の王道と言われる  特別展「大和絵 受け継がれる王朝の美 」  と題した展覧会が開かれます。  大和絵は平安時代の前期に成立し 、繊細優美と言ったイメージ  で語られることの多い 大和絵ですが、  各時代の最先端の モードをどん欲に取り込み、人々を驚かせ続けてきた世界 です。  そこには伝統の継承 ,革新という常に 新たな創造を試行する美的な営みがあり、それこそが大和絵の 本質だと言われています。  日本美術の教科書とも言われる 大和絵の世界について土屋貴裕さんにお話を伺いました。

大和絵というとキラキラした絵巻物とか、貴族の生活が描かれているような 絢爛豪華と言ったイメージがあると思うかもしれませんが、実際には大和絵と言われる範囲は非常に広いのが一つ 特徴なんです。   江戸時代には繊細な画風がありましたが、 それ以前は実は かなり派手派手しく眩しいまばゆい画面 というのが大和絵のなかで非常に大きなウエートを占めていたという事が確かなんです。  平安時代の初め頃(1000年以上前)のことになります。 794年に平安京が移されて、しばらくは中国の文化を摂取する時代が続きますが、その後日本の風景、身近な人物を描こうと言った動きが平安時代の初めごろに起こって、そこから大和絵というものが誕生します。  以前は中国のものをまるまるコピーしようと言った動きが政治的にも行われますが、文化の世界でも同じようなことが行われました。

正倉院の宝物がありますが、日本で作られたものか、中国で作られたものか、堺があいまいなものが沢山あります。  日本の技術が高かったという事と、日本の独自性がほとんどなかった。  それから大和絵が誕生します。  中国で作られた綺麗な紙を輸入して使います。  このころの巻物は一枚ごとに全部違う模様のものを繋いでゆきます。 唐紙と言われた中国の紙に書くと言うと中国と同じことなので、日本的なものを入れようとして、日本風の絵、花、蝶、植物などを金と銀で描くわけです。  その上から文字を乗せる。   そこでガラッと印象が変わってくる。  新しさ、贅沢さを込める。  それが最先端のモードに繋がってくる。  

繊細優美、地味さも一つの個性だと思います。 しかし、1000年前のものを見る目が違い、地味な作品ではなく、本当はギラギラした派手ものではないかと言うのが、大和絵にはたくさんあります。  今回は240点ぐらいの作品がありますが、必ず見たことがある作品が会場のあちこちにあります。  今回は平安時代から室町時代の作品が選ばれています。  江戸時代は狩野派の絵が中心になってしまって、大和絵は端っこに追いやられてしまう。  室町時代までは土佐派という画派が絵を描いていましたが、「土佐光元」という正統の後継者である人が羽柴秀吉が鳥取を攻めに行った時に一緒に行って、現地で戦死してしまいます。  家が断絶してしまい、絵の依頼先がなくなり、その時に出てきたのが狩野派でした。  いろいろな人が大和絵を描くようになってきてしまって、土佐派の持っていたプレゼンスがぐっと低くなった。  狩野派は大和絵もできるし、それ以外のこともやるという事で、段々大和絵が少なくなってゆき、廃れて行ってしまう。  室町時代の終わりが一つの大きなピークになる。  今回は室町時代までに区切ってみました。

国宝が50点以上、重要文化財が120数点になっています。  四大絵巻、神護寺三像経、三大装飾経という三つの大きな目玉作品(全て国宝)があります。  四大絵巻は「源氏物語絵巻」、「信貴山縁起絵巻」、「伴大納言絵巻」、「鳥獣戯画」、これがすべてそろったのは30年振りです。   神護寺三像は「伝源頼朝像」、「伝平重盛像」、「伝藤原光能像」(皆等身大です。)  三大装飾経は「久能寺経」(静岡県久能寺)、「平家納経」厳島神社に奉納)、「慈光寺経」(埼玉県慈光寺)です。  三大装飾経には見返しに大和絵が描かれています。

当初の大和絵は唐絵と比べて、見た目がほとんど変わらない。  同じ筆、同じ絵具、同じ紙、絹に描いている。  違っているのは描いてあるテーマに違いだけです。 日本の人物、風景に変えたものが大和絵になっています。  室町時代になってくるとちょっと変わって来ます。  中国から新たに水墨画が入って来ます。  漢画と大和絵の二つに大きく分かれて来ますが、大和絵に取り込んでいきます。  江戸時代の浮世絵画家も大和絵師という認識がありました。  大和絵には柔軟性がありました。  

私は大学は日本の歴史を学ぶ学部に入りました。  美術史の授業があり興味を抱き、大学院に行きました。  美術品や文化財は世界に一個しかないものです。  壊したら元に戻らない。  作品を如何に守って、次の時代に伝えてゆくかという事と、皆さんにご覧いただいて如何に関心をもっていただくか、保存と公開のバランスが難しい。  お薦めの一点という事ですが、「浜松図屏風」、室町時代終わりの屏風、通常の屏風より小さいが、密度が濃い。  紙の上にキラと呼ばれる鉱物のキラキラ光っているものを一層塗った上に金を乗せている。  いぶし銀的な鈍い光を放ちます。 このキラキラは会場でしか見れません。  一番のギャップがあると思います。