2021年10月14日木曜日

沼尻竜典(指揮者)           ・デビュー30年、新たな挑戦

 沼尻竜典(指揮者)           ・デビュー30年、新たな挑戦

1964年東京生まれ。  桐朋学園大学卒業後、ベルリン芸術大学に留学していた1990年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝、その後は指揮者として国内外で活躍されています。  オペラ指揮者としては1997年に日生劇場が制作した、モーツアルト作曲「後宮からの逃走」でデビュー、その翌年に開館した滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールで初代芸術監督の若杉弘さんの元、青少年オペラシリーズなどを担当、2007年からは第2代芸術監督に就任されました。  これまでに出光音楽賞、芸術選奨文部科学大臣賞、紫綬褒章などを受賞され、今年は第51回ENEOS音楽賞がびわ湖ホールと共に送られました。 

9月末にはNHK交響楽団の定期公演にデビュー、NHK交響楽団とは学生時代からのお付き合いで、弾かせていただきました。  公演の時には早い握手でちょっと戸惑いましたが。  

2歳半ぐらいから家にあるピアノで音を出して遊んでいました。  3歳からピアノのレッスンを始めました。  小学校にあがってからは教室にオルガンがあるので、歌謡曲などリクエストしてくるので弾いていました。  中学の時に鑑賞の方の先生に凄くいい先生がいて、名歌手、名演奏を聞かせてくれました。  高校が音楽高校のピアノ科に入りました。 そのころから作曲に興味があって 、ピアニストになろうという気持ちはなかったです。 桐朋学園大学に進み作曲をやってみたら、ピアノよりももっと孤独でした。  作曲をやっていても大変だなと思って指揮の方に移っていきました。   作曲を三善晃先生には指導を受けていました。  作曲をやるようになってからはピアノが面白くはなりました。 大学4年間は自由に過ごしました。 留学を終えて帰ってきた高関 健さんからは色々教えて頂きました。  今、武蔵野音楽大学で教授をしている北原幸男さん、それから清水 和音さんなど授業以外でたくさん刺激がありました。  

卒業後、2年間はぶらぶらしていて小澤征爾さんのアシスタントなどをしていました。   ドイツ政府の奨学金を頂いてドイツ留学しました。  日本の指揮は型から入りますが、ドイツでは入学試験でピアノやらいろいろ弾かされたり、歌を歌わせられます。  入学試験でカルチャーショックでした。   3人でブザンソン国際指揮者コンクールを受けに行き、2人(現在 フランスで有名な指揮者マルク・ビヨーレ?、中国の指揮者ロン・ユー)は予選で落ちてしまいましたが、優勝できました。  仕事がワーッと来るようになりました。   1991年に指揮者デビューして丁度30年になります。  

いろんな国のオーケストラに行けたりして、日本とは違ういろいろ経験ができました。  オーケストラの人たちとのコミュニケーションはするようにいしています。  指揮は見て覚えるというような感じでした。  いろいろ会話で得るものがありました。

びわ湖ホールが開館するときに若杉弘さんが小規模のものをやってくれないかとの誘いがあってやることになりました。   9年間やりましたが、非常に良かったです。  大きなオペラでは日生劇場でモーツアルト作曲「後宮からの逃走」でデビューしました。  若杉さんが監督を退くことになりその後を引き継ぐ事になりました。  びわ湖ホールは15年やっています。  芸術監督はプランニングですが、年度全体を見ながらバランスとりながら配置をしてゆくとか、コーラスをやらせたりソロをやらせたり、音楽祭のプロデュースをしたりいろんなことをやります。  ドイツの歌劇場の音楽総監督を兼任して、体調を崩してしまいました。 大変だったけれど行ってよかったです。 

来年春からは神奈川フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督になります。  普通の演奏会だと数日ですが、オペラだと10日から2週間とか一緒に過ごします。   神奈川フィルハーモニー管弦楽団とはそういった関係が続いてきましたので、ホールもいっぱいあるし、東京にも近いので東京での活動もできるし、という思いでした。   楽器をやってもらうとは大事で、自分が専攻している楽器でもって音楽のエッセンスをきちんと感じたり理解してもらって、そのうえで指揮をやるという、これからはそういう時代だと思います。