2021年10月20日水曜日

瀬古利彦(元マラソンランナー)     ・【スポーツ明日への伝言】息子がくれた心の金メダル

瀬古利彦(元マラソンランナー) ・【スポーツ明日への伝言】息子がくれた心の金メダル 

瀬古さんは日本陸上競技連盟のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーとして、東京オリンピックでのメダル獲得を目指して先頭に立って日本のマラソン界の強化に当たってきました。  そうしたさなかオリンピック目前の今年4月血液の癌ホジキンリンパ腫と8年余り戦い続けてきた長男の昴さんが34歳でその生涯を閉じました。  昴さんは闘病中の心の動き、家族との交流をユーモアに包んだ文章で書き綴り、「がんマラソンのトップランナー」という1冊の本に残しました。  がんマラソンのトップランナー瀬古昴さんのゴールを最後まで見守り続けた父瀬古俊彦さんに伺います。

ランキングからすれば大迫選手も100位ぐらいのレベルですが、6位入賞しました。  女子も一山選手が8位で二人とも見事な入賞だと思います。   大迫選手の走りが若い選手に勇気を与えたと思います。  

4月13日に長男昴を亡くしました。  僕は気持ち的には大分落ち着きましたが、家内はまだ落ち着かない時があります。    生きるか死ぬかという事をここ1,2年やっていて、オリンピックとも重なったので、私の気持ちが現場の若い選手たち、スタッフたちに伝わらないいように明るく立ち回りました。  昴が「がんマラソンのトップランナー」という本を出版しました。  書き始めたのは亡くなる1年半前ぐらいです。   書くきっかけは1月1日に医師が巡回に来られて、「昴君の病気は初めてのことが多くて、我々もいろいろ勉強になっています。 昴君は病気のトップランナーだから。」という話が出ました。   その後マラソンを見てトップを走るランナー、これが僕だと思ったようです。  ホジキンリンパ腫でした。  

「この本を書きたいと思ったのは、まず自分の経験を一度客観視したいと思ったから、そうすることで自分が何を得たのか、読んでくださる皆さんと何をシェア出来るのか、整理してみたかったからです。  そして辛かったことも明るく楽しく伝えたかった。 人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇だという、チャップリンの言葉があります。  客観的に見ることでつらいこともユーモアに変えられると思ったのです。」

本にはそのように書いては有りますが、本当に痛い、苦しい、辛いそれの繰り返しでした。最後にオチを付けて書くという、凄いと思いました。  僕には痛みや苦しみを見せなかったですね。  

昴は1986年生まれで、ソウルオリンピック(最後のマラソン)のちょっと前でした。  びわ湖マラソンで優勝してソウルオリンピックの代表権を得る。  メダルは取ることが出来なかったが、家に帰ってきて、家内と2歳の昴が折り紙と段ボールでメダルを作ってくれて授与式をしてくれました。  そのときには大泣きしました。  あの時にはバッシングがありましたし。

「父に対しては20代のころから変なライバル心があり、強く反抗していたように思います。・・・性格的にも真反対、繊細で敏感な僕と超鈍感な父。 父の生き方には最近なるほどなと思わされていて、父の生き方から学べることが沢山あるなと思っています。 病気になってからこの期間で僕自身も多少は苦労をしたという自負が出来たのかもしれません。」

昴はお父さんを全然超えていますね。 本当に痛みに耐えていましたから。  昴は大学に進んで環境問題に取り組みました。  家では電気、その他いろいろ注意をされました。 2012年ごろから様子がおかしくなりました。(25,6歳)  昴は怒りなどを内にため込むタイプでした。  「マッサージをしてくれれば病気が治るような気がする」というのでマッサージをしてやっていたら、「お父さん、僕は一日の中で一番楽しみなのは、お父さんからマッサージしてもらうのが一番楽しみだ。」と言われて、涙をこらえてどんな時にもマッサージしようと思いました。  

亡くなる1週間前に昴から連絡があり、「もう声が出せなくなってしまうかもしれないからいうけど、大事なことを言うからよく聞いてて、僕お父さんのこと大好きだよ。」と言われました。  「ありがとう、 お父さんも昴のこと大好きだ。 必ず治して又元気でやって行こう。」と言いました。   4月8日に三重県の四日市で僕が聖火ランナーをやって、その聖火を病院にもっていって、昴に見せてあげられたのがよかったと思います。