2021年10月28日木曜日

中村メイコ(俳優)           ・【私のアート交遊録】名優たちが先生だった

中村メイコ(俳優)           ・【私のアート交遊録】名優たちが先生だった 

2歳8か月で芸能界にデビュー、喜劇女優として映画や舞台、TVで活躍してきました。  女優として学校に行くことのできなかったメイコさんにとって楽屋やステージが教室、先生は名だたる名優たちでした。   古川ロッパ、エノケン、森繁久彌、徳川夢声、こうした名優たちと過ごした時間が今の自分を作っていると言います。   79歳の時に過去にとらわれる気持ちを断ち切らないと人生の最後を軽やかに生きる事が出来ないと、始末を始めたメイコさん、トラック7台分の物を手放してたどり着いた結論は、ものにはお別れ時があるが、思い出の品を捨て去っても形のない財産は残るという事でした。  名優たちの教えと人生を前向きに生きるヒントを伺いました。 

昨年股関節を骨折して周りにはご迷惑をお掛けしています。   たまたま引っ越しをするという事があり、子供たちもいて大きな家にいましたが、マンションに移る事になり、ものを捨てなければならない事になりました。   トラック7台分の物を捨てました。  草履だけでも50足ありました。  思い切って捨てないとものの整理というのは大変です。

横山隆一さんという漫画家さんが新聞に連載していたものを映画にしようという事で、「江戸っ子健ちゃん」 の健ちゃん役はエノケンさんの坊ちゃん、フクちゃんは八の字眉で頭でっかちで私にそっくりだからという事で私になりました。  まだおむつが取れていませんでした。   2歳8か月ですが、なんか今でいうNGを出したくないという思いがありました。   エノケンさんは「喜劇は人を笑わすので、自分が吹き出したり、自分が笑っては絶対駄目、糞まじめにやればやるほどお客さんは笑ってくださる。」と言っていました。  徳川夢声さんが言いましたが、「今は語り手がしゃべり過ぎる。」ですって、間を持つことが大事だと言っています。  目に浮かばせる間と言いますか。   徳川夢声さんと「TV結婚式」の番組を一緒にやっていた時に、「本日の新郎は・・・」としばらく間があって、これが間なのかとじーっと見ていたら、小さい声で「忘れた。」と言って、忘れていると思わせないところが凄いですね。   巡業があって7,8歳の頃に誕生日に夢声さんが誕生日のお祝いに何か買ってあげるということになり、戦争中で店も閉まっていました。   古びた時計屋さんが開いていて小さな虫メガネがあって、それを買っていただきましたが、女の子としては面白くも何ともありませんでした。  「畳の目だろうが埃だろうがこれで拡大してみてご覧、面白い発見がある。」といってくださって、でも本当に面白かったです。 夫を決めるときにこの虫メガネで観察して決めましたと、夢声さんにいいました。 いまだに持っています。  

森繁久彌は私にとっては図書館というか、どの角度からどの話を聞いても、ちゃんと良い答えが出てくる人、本当に凄いです。  「ハイネ」だろうが、古典の詩をそらんじているんです。  うまい話し方なので聞きほれてしまいます。  森繁さんとは親子から始まって、ガールフレンドになって、許嫁になって、奥さんになって、ジジババの役をやりたかったが、実現できませんでした。   娘役から恋人役になった時に、どうしたらいいか尋ねたら、「メイコちゃんはそのままでいい、親子の時はあなたの頭を撫でたりしていたが、今度はお尻にする。」と言われ、よく触られました。   今では大変ですが、紳士性というか、触られてる相手が嫌にはならないです。  森繁さんはアナウンサーでしたし、新宿のムーランルージュの小劇場の劇団でお芝居もしていたのでいろんな経験があるんでしょうね。  テレビ番組、「大根の花」、舞台での「屋根裏のヴァイオリン弾き」とかの演技、そして「知床旅情」なんて行ったことのない景色が見えてきますもんね。

NHKの「お笑いオンステージ」で10何年続きましたが、南伸介さんという、とぼけたナンセンスな役をなさる割にはすごいインテリさんです。   付き人がおおきな風呂敷包みを持ってくるので中身を聞いたら、「内緒ですが汗をかいた時の南伸介さんの下着類で、メイコさんに迷惑にならないようにリハーサルごとに着替える。」という事でした。    喜劇をなさる方ほど、エノケンさん、ロッパさんを始めみんな「心二枚目」です。    ロッパさんも物知りで英語力が凄くて私の英語の先生です。  有名なハリウッドの俳優さんが来た時には通訳なしで対応していました。  ロッパさんは元々映画雑誌の編集者を経て舞台に入ったようです。   

三木のり平さんも本当に素敵な二枚目さんです。  のり平さんの膝にポンと乗る場面があるんですが、かつらは重いしうまくできない。  ポンと乗らないとオチにならない場面なんです。  初日になってうまくできましたが、実はのり平さんが乗りやすいように場を変えていたんですが、一言も言いませんでした。  後で発見して涙が出ました。  のり平さんの出発は新劇だったようです。  

私のように贅沢な、俳優として育ち方をしたのは珍しいと思います。   心の中に名優たちの思い出という財産は本当に沢山あります。   NHKの「お姉さんと一緒」をやっているときは10代でした。   声を変えてやったのがそれが最初でした。 その後7色の声とか言われてしまいました。   喉の手入れは何にもしていないです。   唐辛子とかワサビとか酒とか喉に悪いものが結構好きです。  一杯飲まないと一日は終わらないし、朝は4時起きです。  今でも3時間寝れば十分です。   健康的なことは何もやっていなくて、暴飲は時々有りますが、暴食はないです。  ほとんどなんでも食べられます。  病は気からということわざがありますが、余り悩まない、余り追求しない。

「私は公私ともに喜劇で生きてきたつもりです。」と書いていますが、顔が悲劇的ではなくて、明るく生きて行きなさいよと神様から言われて、生を受けたんだと思っちゃったんです。  金銭には私はあまりこだわらないです。  お金がなくても明るい明日があればいいじゃないかみたいな、おおざっぱに言えばそれが私の人生観ですね。  恋もあんまり追いかけない。  未だにお金はたまらないし、恋も少なかったですね。  惚れっぽいんですが、真剣に思って逢瀬を重ねたなんて人は本当にいません。  ほどほどがいいですね。 若い人には古い映画を一杯見てもらいたいです。   ラブシーンが素敵です。 色々な映画のテーマミュージックが未だに心に残っています。