2020年12月30日水曜日

鈴木秀子(聖心会シスター)       ・聖なるあきらめを心の処方箋に

 鈴木秀子(聖心会シスター)       ・聖なるあきらめを心の処方箋に

聖心女子大学で長く教壇に立ち、死が近づいた人の看取りに力を入れている鈴木さんは、数多くの著作を通して、どう生きて行くのか、生きるための処方箋を多くの人に示してきました。   新型コロナウイルスの感染拡大に世の中が落ち着きを失った今年は、特に諦めることの大切さを言っておられます。   否定的に取られがちな諦めという言葉ですが、鈴木さんは上手に諦めることで、亡くなるその日まで自分自身と喧嘩せず、上機嫌に暮らすことが出来ると話します。

1932年静岡県生まれ、聖心女子大学を経てフランス、イタリアに留学、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了され、、アメリカのスタンフォード大学で教鞭をとられました。  その後母校の聖心女子大学で教授として後進の指導に当たる傍ら、人間を9つの基本的性格に分類する性格タイプ論エニアグラムを日本に紹介、講演活動を広く行ってこられました。  多くの人々からの相談にこたえる中で、特に最近は死を迎える人の看取りに熱心に取り組んでいます。   著書はすでに150冊を超え、今年2020年は「諦めよう諦めよう 人はいつか死ぬのだから」、スピリチュアリストの江原啓之さんとの対談集「日本人の希望」などが刊行されました。

今年は講演が20も無くなりました。  静かに本を読んだり自然を眺めたりしていました。

修道院では若い時は朝から晩まで厳しい規律の元に、みんな一緒のスケジュールで過ごしていました。  今は朝早く起きて自分一人の祈りをして、朝食を食べて、仕事をしてお昼、夕方自分でする祈りがあり、夕飯後、みんなで共通の祈りがあり、自分の仕事をして寝るという生活です。

聖心女子大学は200年前にフランスの女性がフランス革命直後の状況を見たときに、社会を現実にリードしてゆくのは男性が表立っているが、社会をよくしてゆくにはいいリーダができる事、そのリーダーが出るためには優れた母が必要であり、リーダーとなった人が社会をよくしてゆくためには妻となる女性が必要であり、母と妻となる女性をしっかり教育すれば、いいリーダーが生まれ、社会がよくなってゆく、教育が大事という事でフランスを中心に聖心という学校ができて、教育を目的とする修道会が建てられました。

自分を大切にし、周りの人を大切にし、お互いに大切にしあうからよい社会を築いてゆく、そういう目的で教育するという事が始まりました。  日本最初の女子大学の一つで、初代学長はエリザベス・ブリッドです。

終戦直後に大学に入りました。  聖心大学は国際的に開かれた大学であるという事で選びました。   終戦で価値観が全部ひっくり返った時代で、尊敬していた教頭先生、担任の先生がそれまでと全部反対のことを言うわけです。   心が空洞になってしまって、それに代わるものは誰も教えてくれなかった。    大学に入ると英語で留学しているような感じで、外国の女性もたくさん入っていました。  まったく見知らぬ世界に入った感じがしました。  一番に見なれぬものはシスターの存在でした。   シスターが皿洗いをしながら、このお皿でご飯を食べた学生一人一人が本当に幸せになって、社会に貢献できる女性として成長しますように、家族もみんな幸せになるようにと祈ってるという事を聞きました。

自分のことは一切考えないで、人の幸せだけを祈り続けて人生が満たされるという事はどういう事だろうと考えていました。  同級生で大親友になった曽野綾子さんがいて、「この世の中で絶対変わらないものは何か」と聞いたら、或る時シスターが神様の話していたら、憲兵が来て神様なんて馬鹿げた話だ戦争に勝つことだけが一番大事だという話をして出て行くと、シスターが憲兵の話が無かったごとく話の続きを淡々と話し続けた。 子供心に決して変わることがないものがあるんだという事を自分たちはシスターの姿から教えられたと話を聞いたときに、「人間を越える神様の存在はたしかにあるのかもしれない」と思いました。 それが修道女へのきっかけでした。

大学では英文科でしたが、日本文学を学びました。  東大に初めて近代文学科が設立されたときでした。  作家は漱石、鴎外当たりから50年前ぐらいです。  日本の近代文学の中ではざっと30人ぐらい自殺しています。   

修練と受験が重なって大変でした。  修練の期間の時8年間は絶対の沈黙ですから、一切声を出さない、もっと大変なのは頭の沈黙なんです。   雑念を持たずに自分をコントロールしてゆくのが一番大変でした。   1年目は一切本を読んでは駄目で、頭を空っぽにして、2年目は少しずつ聖書を読みだしたりします。  

東大の大学院を受験するときには30歳を過ぎていて、大学院人文科学研究科博士課に入りました。私の教授は戦争に行き軍艦にのっていて、朝食事をした人が帰ってこない、特攻隊で死んでゆく人たちの死を毎日見て生きて帰ってきた。 日本で最初の東大の日本近代文学の教授になりました。  その後日赤病院に入院して亡くなる前の40日間ぐらい毎晩夕方から一生のことを私に話して下さいました。  生きて帰った人がいかに生きてゆくことに対して意味を見出そうとしたのか、いい勉強になりました。

死を前にした人は誤魔化すなんてしませんから。  真剣に深い心を見せてくれるから、死ぬ前の時間は実に尊いという事を教えていただきました。

エニアグラムはスタンフォード大学にいるときに知りました。  

物事には必ずいい面と悪い面がるけれど、つらい苦しい面を乗り越えることによって大きな恵みを貰うと思います。   コロナ禍なんて言わないで、大変な状況ではあるけれども、みんな人間は繋がっていて、お互いに助け合わなければ生きていけないという事を一番強く感じて、コロナの人たちのために祈ることが、どんなに大切かという事を身をもって感じています。

私たちが毎日する祈りがあります。  「新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り   いつくしみ深い神よ、新型コロナウイルス感染拡大によって、いまは大きな困難の中にある世界を顧みて下さい。 病に苦しむ人に必要な医療が施され、感染の収束に向けて取り組むすべての人、医療従事者、病気に寄り添う人の健康が守られますように、亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、尽きることのない安らぎに満たされますように、不安と混乱に直面しているすべての人に支援の手が差し伸べられますように、希望の源である神よ、私たち感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、世界のすべての人と助け合って、この危機を乗り越えることが出来るようお導き下さい。」

江原啓之さんと対談しました。  いま日本も世界も大きく変わろうとしているときに、日本人同士がお互いに助け合い、いいところを発揮しあって、なにか協力し合った時に日本から又世界に貢献できるいいもの生まれるのではないかと思います。  対談集「日本人の希望」が刊行されました。

命は自分がどうしても、どんなに長生きしても作り出すことはできない、平等に生かされている人が、生きている人がすべて。  一人一人が神様から命を与えられ、神様に愛される尊い存在である、それが人間の一人一人の尊さだと思うんです。   生かされている一人一人がいかに大切な存在か改めて考え直して、深い絆でお互いに結ばれあうことがどういうことか考え直すことが一つだと思います。   他の人との結びつきと、他の人によって助けられ生かされているという感謝、他の人との結びつきの絆。   人間を越える大いなる存在、そういうものによって守られている、人間を越える大いなる存在との絆。

自分が満足することが幸せだと思いがちだが、現実には自分の中には暗いものがあり、出来ないこともいっぱいある、そう言うものが自分の現実。

現実を見極めてそれを受け入れて、あきらめる事と出来る事を見極めながら、自分をよく伸ばす形でしてゆくことが必要だと思います。  見極めて諦めながら行くという事が生きることだと思います。  いずれ人間は死ぬんです。  毎日諦める訓練です。

フランスに行ったときに院長さんが、「人間にとって一番大切なことは機嫌よく居るという事だ」といわれました。  機嫌がいいというのは自分の心を穏やかにして、静けさを保ちながら明るく、他の人ともいい環境を築くように、自分の心を使う事だと話されました。 つぎにそれが伝わって行くものです、と言われました。 人生ってちっちゃいことの積み重ねです。

よこしまな嫌な心が湧いてきても、周りにぶつけるのではなく、静まるのを待って、自分と喧嘩しないで前進していきましょう、という事です。