2020年12月28日月曜日

頭木弘樹(文学紹介者)           ・【絶望名言】チャイコフスキー

頭木弘樹(文学紹介者)            ・【絶望名言】チャイコフスキー 

「これは運命です。 幸福へ到達しようとする我々の熱望を妨げるあの宿命的な力です。  それはダモクレスの剣のようにいつも頭上にぶら下がっていて私たちの魂を絶えず苦しめています。  それは避ける事の出来ない制止しがたいものです。   妥協して無駄に嘆くしかありません。」              チャイコフスキー 

白鳥の湖、眠れる森の美女、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第6番の「悲愴」など名曲を沢山残した有名な作曲家。

「くるみ割り人形」はクリスマスイブの話なんですね。  年末には「くるみ割人形」がよく演奏されます。  海外では年末の定番です。

お金の苦労もあるし、作曲の仕事もなかなか認められなかった。  結婚も大失敗して自殺未遂に近いことまでやってしまっていて、他にもいろんなことがあります。  

チャイコフスキー は1840年生まれ、ロダン、モネとかと同じ年。 日本では幕末の時代。

「これは運命です。 幸福へ到達しようとする我々の熱望を妨げるあの宿命的な力です。  それはダモクレスの剣のようにいつも頭上にぶら下がっていて私たちの魂を絶えず苦しめています。  それは避ける事の出来ない制止しがたいものです。   妥協して無駄に嘆くしかありません。」 

上記の言葉は交響曲第4番の第一楽章の冒頭部について説明している言葉です。     この運命のファンファーレは怖いですね。 

ダモクレスの剣:僭主は贅を尽くした饗宴にダモクレスを招待し、自身がいつも座っている玉座に腰掛けてみるよう勧めた。   それを受けてダモクレスが玉座に座ってみたところ、ふと見上げた頭上に己を狙っているかのように吊るされている1本ののあることに気付く。  剣は天井から今にも切れそうな頼りなく細いで吊るされているばかりであった。   僭主ディオニュシオス2世は、ダモクレスが羨む僭主という立場がいかに命の危険を伴うものであるかをこのような譬えで示し、ダモクレスもまたこれを理解するのであった。   幸福そうに見える暮らしの中でもいつ突然危険が迫ってくるのか知れない。

「あらゆる人生が厳しい現実とつかぬ間の幸福の夢との絶え間のない交代なのです。  船着き場はありません。   海がお前を飲み込みその深みへと連れ去らない間はこの海をさまよっていなさい。」    チャイコフスキー

「おおくの人々との間に乗り越えがたい溝を作っていることは本当だ。  それが僕の性格の疎外感、他人への恐怖感、臆病、並外れた内気、猜疑心、一言で言って僕がますます人嫌いになって行く数知れない特徴を与えている。」 (弟への手紙の一節)チャイコフスキー

疎外感、他人への恐怖感、臆病、並外れた内気、猜疑心、これは多くの人が持っているんじゃないですかね。  チャイコフスキーはガラスの子供といわれるぐらいナイーブな人でした。  

ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲なども酷評されていました。  「白鳥の湖」も初演は不評で失敗に終わります。  「白鳥の湖」が有名になるのはチャイコフスキーが亡くなってからです。   最後の交響曲第六番「悲愴」ですが、これも初演は不評で失敗に終わります。 今ではどの曲も凄く人気がありますが、当時としては新し過ぎたと思います。

「自分には本質的に何の罪もないのに、自分が哀れみを受け許されていると思うことが僕にとってつらくないと思うかい。  それに僕を愛している人々が僕のことを恥ずかしく思う事があるなんてやり切れないとは思わないかい。  そしてこのようなことがすでに100回もあったし、これからも100回もあるだろう。   要するに僕は結婚とか女性との明白な関係によっていろいろな軽蔑的な奴らの口を封じたい。   彼らの考えを僕は少しも恐れないけれども、それは僕に近い人々に苦しみを与えるだろう。」 (弟への手紙の一節)チャイコフスキー

実はチャイコフスキーは同性愛でした。  「自分には本質的に何の罪がない」という事はそういう意味です。  世の中には偏見がある。  「僕は結婚とか女性との明白な関係によっていろいろな軽蔑的な奴らの口を封じたい。」という風に思ってしまう。 それで女性と結婚するが、たちまち破綻して逃げ出してしまう。 自殺未遂に近いような事をしてしまう。

「まるで悪夢の様でした。  妻とは2週間生活を共にしましたが、私にとって毎日毎日が言葉では言い尽くせないほどの苦しみでした。  やがて慣れるだろうと考えていたことが全く無理だと知りました。  絶望のあまり死ぬ事も考えました。」

「人々の同情を私はこの世で何よりも大切に思っている。」(手紙の一節)チャイコフスキー

そのころのバレエ音楽は踊りの伴奏に過ぎなかった。  バレエ音楽もオペラみたいに芸術性の高いものになりうるのではないかと思って、3時間に及ぶ壮大な「白鳥の湖」を作曲した。

初演では1/3もカットした。 3大バレエと言うと「白鳥の湖」。「目群れる森の美女」、「くるみ割り人形」ですが、すべてチャイコフスキーの作曲です。 チャイコフスキーはその3つしか書いていない。 辛くない人が辛い人に対して、同情するという事も無ければならない大切な事だと思います。  偽善もあるかもしれないが、偽善でもいいと思っています。 砂漠で喉が渇いているときに偽善だろうが水をくれることはありがたい。 

「人の親切というものはなあ、もっと大事なものなんだ。  そういう親切のお陰で俺は生きてこられたんだ。 他人の親切が無けりゃ一日だって生きちゃこれなかったんだ。  全部他人の親切さ。  哀れみは受けたくねえ、余りものなんかニコニコしたくねえなんて、意気がっているお前は幸せだよ。  おれはロジャーさんの親切がとてもうれしいよ。  多少俺の自尊心が傷ついたって、ロジャーさんの気持ちを傷つけるわけにはいかないんだ、俺は。」 (日本の「記念樹」のドラマ 児童容疑施設の子がゴルフ場のキャディーをするようになってロジャーさんからたくさんの食べ物貴重品などをいただく、回りからは非難されるが、それに対して言った言葉)

僕(頭木)は難病で長く闘病生活をしていて、人の親切が無ければ生きてこれなかった。 同情がなければ生きていけない人もいます。  あまり同情を悪く言わないで欲しいと思います。 同情する方も、同情って良くないのかなあとあまり思い過ぎないで欲しいと思います。 他人をかわいそうだと思う事は気高い心だと思います。

「誰も私以上にはあなたのすべての不幸な出来事を、ともに悲しみ分かち合っているものはいないことを永遠に覚えていてください。」   (フォン・メック夫人への手紙の一節)チャイコフスキー

36歳の時にフォン・メック夫人がパトロンになってくれる。   鉄道王と言われた大富豪の未亡人でチャイコフスキーの音楽が大好きだった。   手紙を書いて作曲を依頼している。  愛とか幸せを失った人の感情を曲にしてくれという要求だった。

「どうか私に曲を書いてください。 どうにもならない諦めといった感情を表すものを、愛とか、幸せとか、自尊心とか、人間にとって最も大切なものをすべて失った人の感情を表すものを、と言うのもこのような感情は貴方にもよくお判りいただけると思うからです。」

メック夫人は生きる悲しみをよく知っている人だったんですかね。 絶望を知る者同士が二人を結び付けている。  二人の関係は14年間続くが手紙のやり取りだけ(残っているだけで1103通ある。)でついに一度も会わなかった。  チャイコフスキーは女性と付き合う事は出来なかったが女性の心の友を持つことが出来た。  突然お金の援助できなくなったので手紙のやり取りも出来なくなるという内容の手紙だった。   「くるみ割り人形」はフォン・メック夫人との決裂の後に作曲された。 それにしては明るい曲で、こういう曲を作ることで悲しみを忘れようとしたのかもしれない。

泣くしかどうしようもない時ってあると思います。 泣くしかどうしようもない時に一緒に泣いてくれる人が居るかどうか、という事はとてつもなく大きい事です。 天と地との差があると思います。 心から一緒に泣いてくれる人はなかなか見つかるものではない。   チャイコフスキーの音楽は一緒に泣いてくれる音楽だと思います。  交響曲第6番「悲愴」について、「私と手を取り合って泣こうではないか」と言ってくれています。

「私は弱い人間だが、弱いからこそ人の世の苦しみや悲しみを真剣に受け止め、それを芸術に昇華することが出来る。  その芸術によって人々を慰めることが出来る。  同じ悩みを抱えるものがいることを知れば、人は自分の運命にも耐える事ができるだろう。    この交響曲は私の魂の最も正直な告白だ。  私の心の底からの叫びだ。  これに応えてくれる人々は私と手を取り合って泣こうではないか。」     チャイコフスキー