2020年8月24日月曜日

頭木弘樹(文学紹介者)         ・【絶望名言】手塚治虫のブラック・ジャック

 頭木弘樹(文学紹介者)         ・【絶望名言】手塚治虫のブラック・ジャック

「人間はなぜ苦しむのだろう。 なぜ生きるのだろう。 なぜこんな世界があるのだろう。

なぜ宇宙はこんな世界を作ったのだろう。」 「ブッタ」の中の言葉 手塚治虫

漫画家で代表作は「鉄腕アトム」、「リボンの騎士」、「ブラックジャック」、「火の鳥」、「アドルフに告ぐ」など数多くあります。

1928年昭和3年生まれ、存命であれば92歳。  1989年に亡くなる。

先にあげた言葉は手塚治虫漫画全体に言える言葉ではないかと思います。  手塚さんの漫画は生きることの苦しみというものが必ず出てくるんです。  

「僕がはっきり胸を張って想像したといえるのは、漫画に悲劇の要素を持ってきたという事だと思う」と、手塚治虫は言っています。

生きる苦しさから宇宙にまで到達する漫画はいまだになかなかほかにないと思います。

戦争を体験していることが大きいと思います。 

宇宙の成り立ちまで思いが至るという事は手塚治虫は科学的な視点をもっていることが大きいと思います。 医学部を出ていて医学博士でもあります。

戦争を体験して、目の前で沢山の人が死んでいったという体験と、人の生き死ににかかわる医者という仕事と科学者、それが手塚漫画の土台なんですね。

「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね。  それでも私は人を治すんだ。  自分が生きるために。」 「ブラックジャック」のなかからの言葉。

ブラックジャックはとんでもない高額の手術料を請求したり、態度も感じがよくない、こういう主人公は当時はいなかった。 非常にいろんな面で変わっていた。

手術の場面がいろいろ出てきて、吃驚する。

リアルで暴力をふるったりするするが、しんみりとするようなところもある。

「降るような星空か。 流れ星になって10、20と毎日消えてゆくように見えても、星の数は一向に減らない、病気っていう奴はこの星空みたいなもんだね。 なあ妹さん」

妹さんというのはドクター・キリコという安楽死を薦めるドクター・キリコの妹です。

感染症に掛かったドクター・キリコが死にそうになるのを、妹がブラックジャックに頼んでドクター・キリコは助かり、手術の後に空を見上げながら言うんです。

ブラックジャックは子供のころに不発弾の爆発で大けがをして、本間丈太郎という医者が手術をして助ける。  本間丈太郎は老衰で亡くなるが、その時に天才的なテクニックで手術をするが、その手術は完璧だったのにそれでも本間丈太郎は亡くなる。  そのあとでブラックジャックが思い出すのは本間丈太郎が言っていたこの言葉です。

「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね。」

強引に生かすべきなのかどうか、限界がある、自然に生まれて自然に死んでゆくほうが本当の姿なのではないか、という意見もあります。  医学は人間の命を扱う最も重要な仕事ともいえるが、一方で存在そのものを否定されかねない仕事でもあるわけです。

私(頭木)も難病になり治療をしないで自然に任せていたら、20歳で死んでいてそれは嫌です。

手塚治虫の漫画は必死に生きようとする人間の姿もちゃんと描かれていて、そこが好きなところです。

「それでも私は人を治すんだ。   自分が生きるために」 「ブラックジャック」の「二人の黒い医者」の回に出てくる言葉

安楽死を仕事にしているドクター・キリコ、ある女性が事故で全身が動かなくなって安楽死したいという事でドクター・キリコに頼むが、ブラックジャックが手術をして女性を助けて子供たちも大喜びするが、助けた女性と子供たちを乗せた病院の車がトラックと衝突して親子もろとも全員が死んでしまう。  ドクター・キリコは大笑いするが、でもブラックジャックは今のように言うわけです。「それでも私は人を治すんだ。   自分が生きるために」 これはとっても感動しました。

「この空と海と大自然の美しさが判らん奴は生きる値打ちなどない。」 「ブラックジャック」の「宝島」の回に出てくる言葉。

ブラックジャックは結局は患者を助けるが、この回だけは本当に見捨てて死なせててしまう。   ブラックジャックは高額な医療費を取るので、財宝があるはずだと悪人たちがブラックジャックを襲って拷問して島の場所を白状させるが、島にはどこにも財宝がない、ブラックジャックは島自体を買い取っていた、美しい自然をそのまま残すために。 島自体が宝だった。 悪人たちはハブにかまれてブラックジャックに縋りつくがブラックジャックは死ねと言って、「この空と海と大自然の美しさが判らん奴は生きる値打ちなどない。」 と言っている。

「昔自分の家のすぐそばにある原っぱで、繰り広げられる小さな地獄の数々は、それでもタフに生き抜くことの喜びを教えてくれました。」  「ガラスの地球を救え、21世紀の君たちへ」のエッセー集の中の言葉。

「生命あるもののすばらしさも、またどんな生き物にも必ず訪れる死についても、自然の懐でのびのびと遊びながら子供たちは身体で知ってゆくことになるのです。  そこで様々な生き物たちの生と死と出会って、生きることの喜びの裏側にある悲しみも知らず知らず身体の奥のほうで理解してゆくのです。」

生きることと死ぬことの喜びも知るけれども悲しみも身体の奥のほうで理解する、だから身近に自然があったほうがいい、子供のころから小さな地獄に接しておいたほうがいいと言っている。

自然の中にいると虫の死骸をたくさん見るわけで、そういうところで暮らしていると生きるとか死ぬとかという感覚が凄く違ってきます。 過酷な世界だけれど、だからこそ必死で生きるんだと理屈ではなく身体で感じます、だから手塚治虫の言葉はすごくわかります。

子供のころに自然体験をしていたほうがいいと思います。

「まず大丈夫でしょう、ははは、大人になるまでには忘れます。 なーにちょっとしたあれですよ。」   「来るべき世界」 初期の漫画のラストのほうの言葉。

核実験の影響で新人類フウムーンという人間よりも優れた生き物が誕生して、人類が侵略されてしまうが、実はもっと大変なことが起きて、宇宙から暗黒ガスが地球に迫って地球上の生命がすべて滅亡しそうで、フウムーンは地球上の動植物を載せて巨大船団で宇宙に旅立ってゆくが、人間も善良な500人を乗せてゆくが後は置き去りとなる。  残された人間も宇宙船を作るが、欲とかエゴがぶつかって宇宙船が破壊されてしまう。  最後には太陽の光の影響で暗黒ガスは酸素に変化してくれて人類が偶然に助かる。  フウムーンの中でロココという女性だけが人間の健一少年と出会って、人間も捨てたものではないということで愛情を抱いて、ロココは人類の味方をしてくれて、人類は凄く助かるわけですが、人類はロココを眠らせて小さなロケットに乗せて宇宙のかなたに追放しようとするが、健一は吃驚して怒るが、本当に宇宙に放り出してしまう。  健一はロココに人間は恩知らずだと謝って嘆き悲しむ。  ひげ親父が「まず大丈夫でしょう、ははは、大人になるまでには忘れます。 なーにちょっとしたあれですよ。」という。

これはひどいでしょう、子供のたわいない初恋みたいな扱いなんですね、人間の自覚のないエゴイズムの恐ろしさ、鈍感で下品で、そういうものがこの言葉のなかに凄く表れている。

これをラストシーンに描く手塚治虫はすごいと思いました。

「私は死に物狂いで治そうとする患者が好きでねえ」 「ブラックジャック」のなかの言葉で、必死で生きようとする命の輝きのようなものが手塚漫画には常にあります。

苦しいけど生きるというのは納得しづらいが、それを納得させてくれるのが手塚治虫の漫画ではないでしょうか。

火の鳥」は永遠の生命を持つ不死鳥である火の鳥を登場させて、古代から未来まで、生きるとは、生命とは、宇宙とはという壮大なテーマが語られゆくが、その中に出てくる言葉で、絶望を踏まえた上でのぎりぎりの期待の言葉。

「でも今度こそ、と火の鳥は思う。 今度こそ信じたい。 今度の人類こそきっとどこかで間違いに気が付いて、生命を正しく使ってくれるだろう、と。」 「火の鳥」からの言葉