2019年8月23日金曜日

いせひでこ(画家・絵本作家)       ・【人生のみちしるべ】 心が立ち止まる時、物語が生まれる(2)

いせひでこ(画家・絵本作家)・【人生のみちしるべ】 心が立ち止まる時、物語が生まれる(2)
第2回は絵本作家となってからのお話を伺います。

ふらっと出た旅とかにモチ-フがあって、そこから出発するという事が多いです。
窓にひっかかって、或る小さな窓ですがそこから大きな物語が生まれたという経験があり、それが「ルリユールおじさん」というパリを舞台にした絵本です。(2016年)
その窓に出会ったのは2004年です。
娘を誘って旅に出て、地味な窓が私を呼び寄せるせるように見えました。
帰ってきたらその風景が気になって、次に下の娘と一緒にその窓を探しに行ったらシャッターが下りていました。
おじいさんは入院しているらしいという事で、手紙を書いて絵本を一冊一緒に入れて、こちらの連絡先を書き入れポストに押し込んできました。
4日目、帰る前の日に電話をしてきました。
娘と一緒に駆けつけて会うことができました。
その間にいろいろと周りの風景などのスケッチを書き込んでいました。
おまえのデッサン力はゴッホみたいだとそのおじいさんは言ってくれました。

1時間だけスケッチさせてもらう事になり、娘にも写真を撮っていいかどうか聞いたら駄目だといわれました。(手紙にはスケッチさせてもらいたいと記載してあった。)
1時間の間に本をばらし、かがる、糊付け、5種類ぐらいの紙をカットする、大急ぎで見せてくれた。
この次は暖かくなって私の体もよくなってくるだろうから取材に来なさいという事になりました。
取材の道が開かれました。
2005年、2006年と5回に渡って取材に行きました。
ルリユールの工房はフランスでも減っていて昔はパリに200軒ぐらいあったが、今は10軒もないわけです。
出版したらすぐにフランスから翻訳の話が来ました。
フランスの伝統的な職人の仕事がなくなりつつあることをフランスでは危惧をしていた。
私の片言のフランス語と80歳ぐらいのおじいさんとのぎこちない会話での情報収集がありました。

注文されて渡すまで1か月でその仕事は大体50ユーロで、おじいさんはつつましく生活していました。
5回目で1か月近くアパートを借りて過ごして目の前の公園を見ると、樹齢400年ぐらいのアカシヤの木が目の前に来ていました。
その木をいろいろスケッチして、そこを通る人たちの人生などを思い浮かべました。
そこからアカシヤの木の下の女の子、ルリユールおじさんを一気に物語にすることができました。
タブローを持って日本に帰ってきました。
導かれるままに作ってしまいました。
パリの人たちにも受け入れられました。
パリから原画展をやりませんかと話が来て、原画展もやりました。
全部つながっていて本と本が会話しているような感覚があります。
子どもを産んで育てているようで終わりがないです。

2011年東日本大震災の後、被災地で木にあうことになる。
翌年にいって宮城県の亘理(わたり)という海岸から内陸に入ったところに一本の根こそぎ倒れた木が横たわっていた。
被災地でのスケッチはそれまでできなかったが、その時には木が描いてくださいと語りかて来たような気がしました。
ここで何百人の人が亡くなりました、何百人の人が流されました、その事実を私は身をもってここで示しているんですよと、そういう姿です。
根っこも何もない、ここの人たちの根っこも無くなりましたよ、生きてゆく事ってどういう事なんですかと全部突き付けられているみたいな姿でした。
2015年にその木が撤去されるまで3年半通いました。
それを絵本にしようというのはできていなくて、それは私の中にずーっと持っていればいいことで、命あるものは限りがあってでも何かを伝えようとしているという事が私の中にあって、同じ2011年に放射能の被害があって、全村非難した子供たちのために緊急出版した絵本があります。

詩人の長田弘さんから一つの詩が届きました。
その2,3年前に娘が籍は入れないが一緒に暮らしたいという事で、長田弘さんの詩をお祝いの意味も含めて手紙で送りました。
26ぐらいの質問になっている。
「今日あなたは空を見あげましたか。 空は遠かったですか近かったですか、で始まって
雲はどんな形をしていましたか、風はどんな匂いがしましたか、となって段々難しくなってゆく。
あなたにとって私たちというのは誰ですか、何歳の時の自分が好きですか、世界という言葉でまず思い浮かぶ風景はどな風景ですか、・・・。 
段々こたえられなくなってくる。

これは絵にならない、娘に渡した詩でもあり私はこれを描かなければいけないと思って、大きくして壁に貼って1年間眺め続けした。
長田さんは大震災の時には入院していて気が付いた時には故郷の福島がずたずたにされていたことに気付く訳です。
2011年から2012年にかけてずーっとこの詩と接した姿勢でした。
その中でさっきの一本の木と出会った訳です。
どんな空を描いたらいいか迷って感じ5歳までの自分に戻っていきました。
雪解けの大きな水たまりに映る空を見たときに、空って無限なんだ、底なしなんだと、水たまりの中で気が付きました。
これが描けたら後はだいぶ楽になりました。

絵本って年齢はないんですね。
年齢、年齢によって違う読み方ができる。
読者に耐えられる絵本を作りたい。
立ち止まった場所が私の道しるべだと思います。
長田さんの中に「立ち止まる」という詩があります。
「立ち止まる

立ち止まる。
足をとめると、
聴こえてくる声がある。
空の色のような声がある。

「木のことば、水のことば、
 雲のことばが聴こえますか?
「石のことば、雨のことば、
 草のことばを話せますか?

立ちどまらなければ
ゆけない場所がある。
何もないところにしか
見つけられないものがある。」

私は立ち止まってきてよかったなと思います。

孫がいますが、この子たちの未来に私たちが何を残せたんだろうか、絵と言葉を使ってあの子たちが大人になっても耐えられるようなものを作りたい。
目の大きな手術を3回してきて、何を信じるかといえば、よみがえってきたその見え方を信じるしかない。
この目が信じられるものを未来の人に絵本にして送っていきたいと思います。