2019年8月1日木曜日

依田寿久、順子(画家,画家)        ・ニューヨークで描いて半世紀

依田寿久、順子(画家,画家)        ・ニューヨークで描いて半世紀
夫の寿久さんは78歳、妻の順子さんは75歳、およそ50年前アメリカに渡って、ともに画家としてニューヨークを拠点に創作に励んできました。
その作品は東京国立近代美術館など国内外の美術館に収蔵されています。
一人息子の洋一朗さんも気鋭の画家として注目されていて、現在東京三鷹市のギャラリーで3人展が開かれています。
どんな思いを込めて創作に当たっているかなど伺いました。

寿久:私は油絵具を使って製作しています。
作品の方は線の美しさをうまく出るよ言うな方向で抽象画でやっています。
小さいころ釘で道路に細かく線を描いて遊んでいたのが原体験になっています。
翌朝それを見るのが楽しみでした。
かやつり草という草がありますが、普通植物の茎はほとんど丸ですが、これは三角なんです。
切り口によっていろんな三角になり、その魅力に取りつかれました。
順子:私は武蔵野美術大学時代は油絵専門でしたが、ニューヨークに渡って、妹が和紙を送ってくれて、手触りがなんとも言えない暖かさと強さを感じて、これをなんとかして作品の素材にしたいと思いました。
私のは2層になっていて、最初の層に鮮やかな色を塗ってその上にグレー一色の和紙に引っかき傷を入れて、それを塗っておいた紙に糊で張り付けると、下の色がきらきらとカラーが飛び出してくるようで、それが新鮮で、今まで至っています。
生涯和紙でやっていくと思います。

寿久:私が浪人のころに順子が高校生の時に美術研究所に現れました。
順子:夏休み東京に行って研究所に入りました。(受験の為)
二人とも武蔵野美術大学に入りました。
寿久:1966年25歳の時に船で2週間掛かってアメリカに渡りました。
一人当たり500ドルしか持ち出しができなかった時代です。
情報はほとんどなくて何とかなるだろうというようなスタートでした。
8カ月ロサンゼルスでアルバイトとをして、その後ニューヨークに時間を掛けて行きました。
順子:2年後に私もアメリカ行きました。
アメリカに関する展覧会があり、それを見て目が飛び出すほどびっくりしました。
ジャクソン・ポロックの作品がすごく好きになり、ニューヨークに行きたいという気持ちになりました。
寿久:親兄弟には2年と言って出かけました。
順子:私も2年と言っていきました、帰ってきませんでしたが。

寿久:東京でジャスパー・ジョーンズの展覧会があり、画廊のオーナーがこれはいくらだと思う2万ドルだというんです。
自分の目で確かめたいと思ってニューヨークに行きました。
厳しい世界だという事がすぐに判りました。
画廊のオーナーがOKしないと画廊での展示ができなかった。
順子:小さい作品からやろうとしました。
作品をスライドにして持っていきました。
2点持ってくるように言われて、アメリカではじめて有名なザブリスキー画廊で5人の新人アーティストの中に入ることができました。
アメリカでは自分で動かなければ道が開けませんでした。

寿久:早い時期にバークシャーミュージアムの展覧会に出して賞をもらって、州知事からお祝いの言葉と賞金を頂きました。(1970年のはじめです。)
ビザで苦労しました。
妻も学生ビザを取得しました。
永住権を申請して、行ってから6年目の時でした。
順子:最初は素敵なアパートに主人が住んでいて、私は台所などでやっていました。
寿久:その後広い場所を求めて移動しました。
5回引っ越しています。
順子:一番つらかったのは洋一郎がアレルギー体質で風邪を引くと肺炎になり、一度は危ない時もありました。
ブルックリンに引っ越した時に治りました。
寿久:語学では苦労しました。
順子:アーティストとしてはつらいとか感じなかったです、やれば反応がありました。

寿久:日本に帰ろうという思いは一度もありませんでした。
順子:風景が好きで写真に撮って後で絵にするという事をしていましたが、川、海、空など自然を主題にするようになりました。
寿久:自分は歳を取っているという事を意識しないです。
順子:いつも絵になるものは何かを探しています、年齢的に決めたことがあるが、これ以上幅を広げない、自分が興味のあるものだけにして深くいきたいです。
洋一郎が中学2年生になったときに学校側がアートの方へ進むように決めていて、アート以外の道もあると思ってそれに抗議しました。。
才能があると校長先生が言ってそれがいいのかなあと理解しました。

洋一郎:瀬戸内の女木島での仕事は、20年間のドリームでした。
瀬戸内国際芸術祭の時にはできるのではないかと思って応募して、倉庫だったものを映画館に作り替えることでした。
「42丁目、終焉の日々」というドキュメンタリービデオを今上映しています。
アーティストになりたいと思ったのは中学3年生の時でした。
両親がというよりも自然にその方に行きました。
順子:今回みたいに家族3人という展覧会は初めてです。
寿久:3人がそれぞれのめりこんでいるという事です。
抽象で仕事をしてきて、これからは平面と立体と両方をもっともっと深くやっていきたいと思います。
順子:幅を広げないように深く深く仕事をやっていきたいと思っています。
洋一郎:日本とニューヨークで作品を発表していますが、ほかの国にも行って展覧会、グループショーなどをやっていきたいが、一番行きたい場所はアイスランドで、北欧神話に興味を持っています。