2019年7月6日土曜日

近藤雄生(ライター)           ・吃音もどかしさの中で

近藤雄生(ライター)           ・吃音もどかしさの中で
近藤さんは42歳、同じ言葉をくりかえすなどスムーズに話すことができない吃音、近藤さん自身もかつて吃音があり東京大学工学部から大学院に進んだものの、就職を諦めアジア各地で取材をするフリーのライターになりました。
そんな近藤さんの吃音があるきっかけでほとんど解消しました、
日本に帰国した後は吃音をテーマに当事者およそ50人とその家族言語聴覚士などあわせて80人以上に5年をかけて取材、もどかしさの中で生きる吃音の当事者の声と現状を著「吃音 伝えられないもどかしさ」にまとめました。
吃音のある人達の悩みと現状を伺いました。

真剣に悩みだしたのが高校に入った時でしたが、小学校時代からちょっと話しずらいことがありましたが、全く気にはしていませんでした。
駅でお金を両替しようと思った時に急にうまく言えなくてお金を引っ込めたことがあり、そのことがショックで話せないという事を自覚したことがあります。
部活、受験などがあり高校3年生の時にいろんな場面であり、深刻に悩むようになりました。
ファーストフードでの注文時などグループを代表して注文しなくてはいけないときがあるが、しなくても済むような位置に座るとか、いろいろ工夫して隠すために細かいことにすごくエネルギーを使いました。
大学受験の時には面接があるところはやめようと思いました。
名前と受験番号が言えないと思ったので、自分の名前のように言い換えのできない言葉って一番きつかったです。
浪人して精神的にもかなり落ち込んで、心療内科のカウンセリングにも通った時期がありました。
東京大学工学部に入って4年間で直さないといけないと思いました。

原因も判らない、治療法があるわけでもなし、神経質だからなのかと思って、一人旅をしたりして、心境が変わるのではないかと思ったが変わりませんでした。
大学院に行くことになり、自分の席が電話の一番近いところで、電話が鳴ったらどうしようと、集中出来ない時期もありました。
就職はできないだろうし、文章を書きたいという気持ちが出てきていて、理系の道からずれていきました。
旅をすること自体に興味を持って、沢木耕太郎さんなんかの本が好きでノンフィクションを書きたいという気持ちが出てきました。
100万円もっていれば2,3年何とか東南アジアなら物価が安いので何とかなるのではないかと思って、その間にライターとして自立できるかできないかやってみようと思いました。
オーストラリアで知り合って付き合っていた彼女がいて、彼女も旅が好きで、結婚してその3か月後に一緒に旅に出ました。

最初はオーストラリアに行きました。
英語で話す時には言いずらい言葉があると会話が続かないという事もありましたが、英語でしゃべれなくても、英語は判らないんだと思ってもらえる気持ちの楽さがありました。
そういったことは海外では気楽で居心地がよかったです。
オーストラリアではボランティアしたり、車を買って7000km旅をして半年いて、そこから東ティモールに行きました。
そこからインドネシア,シンガポール、マレーシア、ブルネイと東南アジアを北上し中国まで行って中国に1年間いて、中国の大学に二人で行き中国語を勉強しました。
日常会話はできるようになりました。
ある日を境に吃音が出なくなりました。
そこから何かがかわって話しやすくなりました。
いろんな国を旅をしている中で複合的な内面的な変化によって、自分の中で抱えたプレッシャー、緊張感みたいなものが薄まったのかもしれません。(推測)
吃音のある人は100人に一人と言われています。
2~5歳で20人に一人発症するといわれていますが、成長の過程で8割ぐらいが治ってゆくといわれます。
100万人がいるといわれます。
吃音には3種類があり①連発、②難発(冒頭の言葉が出ない)、③深発(意図せずに伸びてしまう)。
連発から始まって重くなると難発になりしゃべれなくなってくる。
脳の研究が進んできて脳のどこかに原因となるものがあるのではとか、遺伝的な要因があって、それに環境が合わさった結果起きるといわれるが、詳しいことは判らないといわれます。

私の本の中に高橋さんという方が出てきます。
高橋さんは吃音がひどくて高校時代にはいじめにあい、高校を中退して自殺未遂をされるということがあった方です。
10年ぐらい引きこもりで、話さない仕事をしながら、娘さんと二人で暮らしている。
高橋さんとはNHKのある番組で6年前に知り合いました。
訓練をされて、話しやすい話し方をする手法を身に付けることができました。
基本的にはゆっくり話すことを軸にして、訓練をして身に付ける。
言語聴覚士が指導しましたが、その方も吃音があった方でした。
その方は自分で考えて直した方法で、その方法で訓練をしました。
彼は警察官で吃音が原因で殉職しようという思いまで至った方で、結局吃音がもとで警察官をやめてしまいました。
いろいろ職業を変えてきたが、結局言語聴覚士の学校に通って、自分で治す方法を考えていったそうです。
特別な方法ではないが、効果があったのは彼の熱意があったからだった、と高橋さんは言っています。

北海道で看護師をしていたかたはお会いしたことはないのですが、自死されてしまったという方がいました。
ご家族、友達とお会いして彼のことも書いています。
警察官になりたくて7年間挑戦したが駄目で、34歳で看護師になり4か月後に自死してしまいます。
彼の友達からするととても明るいという事でしたが、周りからとのギャップがあることをこの本から伝えたかった。
吃音の人と話をする時には急かせないという事はありますが、こういったマニュアルというようなものはないと思います。
相手が何をしてほしいんだろうと真剣に考えて、吃音のあるなしにかかわらず、相手と向き合う時に人と人が思いやってコミュニケーションをするという事が大事だと思います。
信頼関係が大事だと思います。