2019年3月27日水曜日

佐治晴夫(北海道・美瑛町美宙天文台長)  ・人生の星をつかみ続けて(2)

佐治晴夫(北海道・美瑛町美宙天文台長)  ・人生の星をつかみ続けて(2)

音楽に憧れましたが、音楽家になろうと思ったことは一回もありませんでした。
楽器の演奏もできないし単なる憧れです。
音楽に一番近い学問が数学の様な気がしていました。
数学は一つの仮定から始まって推論を重ねて行って一つの結論を導きだします。
それには証明が必要で、それが正しいかどうか吟味して証明の操作が終わる。
音楽も同じで、一つの主題があって、その主題が第一、第二と主題が変わっていって、大きく展開して結論に達して、それを吟味するようにして回想しながら最初に戻ると言う、その形式論、考える事、表現手段としては音楽と数学は近いのではないかと思いました。
もう一つ、音楽は見えない音が素材、数学も見えない数が素材なんです。
情緒の数学が音楽であり、論理の音楽が数学であると言ってもいいかもしれない。

1949年に日本人として最初にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹先生の論文を読んで数学から物理学へと進みました。
数学の美しさが私の心を打ちました。
星、太陽も興味がありました。
大学院の時に理論物理学の道に進みました。
人生はほんの少しのきっかけでどうにでも変わって行く、数学ではカオスと言うが、人生は一種のカオス的な要素があり、どういう状態になっても諦めるしかないという結論はだせないと言うことです。
カオス的であるからこそ、どうなるかわからないし、何らかの解決策がある、未来は決まっていないと言うことです。
お墓が多摩霊園にあり、近くに東京天文台があり昔は構内に自由に入れました。
又プラネタリュウムに連れて行ってもらったと言う事もあり宇宙に興味を持ちました。

1977年にナサ、アメリカ航空宇宙局が打ち上げた宇宙探査機ボイジャーに、地球の生命とか文化を伝えるために、音楽、画像を収めたレコードが搭載されたが、そのレコードにバッハの音楽を載せることを提案しました。
ナサのジェット推進研究所のスタッフと仲良くなりました。
人類の進化から考えると言葉に先行するのが音です。
音楽の中で人間を離れた宇宙の普遍的な真理があるとすれば、それは結局は数学になるだろうと思って、数学の性質をもっていてなおかつ、音の素材であることの音楽を一緒にして要件を満たすのは何かと言ったら、やっぱりバッハだと言うことになりました。
演奏者としてグレン・グルードにしました。
ナサではボイジャーの事を機械だとは思っていないですね、彼だとかあの子だとか、僕もボイジャー君などと言っています。
当時の大統領のカーター氏がメッセージをレコードに入れていますが、そのメッセージが本当に凄いですね。
「これは小さな遠い世界からの贈り物です。 
私たちの音、科学、画像、音楽、思考、感情を表したものです。
私たちはいつの日にか現在直面している課題を解消し、銀河文明の一員となることを願っています。
このレコードは広大で荘厳な宇宙で私たちの希望、決意、友好の念を表象するものです。」
何か宮沢賢治さんみたいですね、こういう大統領がいたと言う事も凄いですね。
宮沢賢治さんは自分の信念を打ち出した「農民芸術概論綱要」の中で「銀河文明の一員として生きましょう」と言っています。
「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じていくことである」と言っています。
結論として「我らに要るものは銀河を包む透明な意志、大きな力と熱である。」と言っています。
ボイジャーは地球文明のタイムカプセルだった、と言った方がいいかもしれない。
どこかで地球外知的生命体と遭遇することを夢見てひたすら旅をしていると言うことです。

人生のある時点でその時の状況が良かったとか、悪かったとかという事が、言えないのではないかという事を学びました。
もし戦争がなかったら音楽への関心が芽生えなかったかも知れませんし、全てがその時が最善だと思って努力することが、最善の人生なんじゃないかなと言う実感があります。
過去は過ぎ去ったもので存在しませんし、未来もいまだ来ていないのでこれも存在しない。
あるのはこの一瞬しかない、過去が積み重なって今があるので、未来をどういうふうに今から生きるかによって、いかようにでも未来も変わるし過去も変わって行くと言うことになると思う。
従来はこれまでの過去がこれからを決めてしまうと言いますが、これからどういうふうに生きるかということによって、これまでの過去の価値が変わってくる。
これまでがこれからを決めると言う事ではなくて、これからがこれまでを決めると言う事ではないでしょうか。
何かを始めようとする時に良い時期、悪い時期はないんじゃないかなあと思います。
思い立った時が最良の時期だと思う。

詩にも音節、リズムがあり言葉にも文法があり、詩の中に音楽的要素があると言うことです。
数学的構造もある。
数学者が詩を好きだと言う事は不自然なことではないと思います。
童謡詩人金子みすゞさんも好きな詩人の一人です。
「さびしいとき」
「私がさびしいときに、
よその人は知らないの。

私がさびしいときに、
お友だちは笑ふの。

私がさびしいときに、
お母さんはやさしいの。

私がさびしいときに、
佛さまはさびしいの。」

寄りそうという事の真髄を詠っていると思う。
私というものと仏様が完全に一体化してしまっている。

リベラルアーツの教育。
戦後アメリカから入ってきて、日本では教養教育と訳してしまったが、これは問題だと思う。
自由に心を解放するための学問で、7つの教科があるとされる。
数学(算術、幾何)天文学、音楽、国語(文法学・修辞学)、論理学。
例えば「月がなかったら音楽が無かったよね」・・・テーマ
40億年前に火星の1/3位の天体が地球にぶつかって、地球の片が飛び散って重力により固まったのが月。
衝撃で地球の自転軸が23度半位傾いたことにより四季がある。
潮の満ち引きで地峡の自転軸にブレーキがかかり今の時間になった。
月がなかったら一日5,6時間で回っていた。(風速400mだった)
と言う事で「月がなかったら音楽が無かった」ということになる訳です。
リベラルアーツの教育の結果、究極的に言うと、宇宙の産物としての人間の位置づけができる。
どうあらねばならないと言う事で、ひいては平和教育に繋がる。

ボイジャー1号が海王星の探査の終了後、太陽系の家族写真を撮るが、送られてきた写真には針の先のような青い孤独な地球の姿が見える。
全てはあの点の中にいるんだよ、大事件が起こってもどこからも助けにきてくれる気配なんかゼロだよね、と言う事であります。
世界の指導者たちに宇宙から地球を眺めてもらうと、何か変わるのではないかと思います。
4年前に前立腺がんが見つかり、治療の非常に難しいと言われる導管癌ということだった。
統計的には3年が限度、5年生存率は非常に低いと言われる。
統計は中央値があると言う事ですが、5年経ったら必ず死ぬと言う事はならない、と言うことです。
確率論につきつめて言うと、先に一日でも二日でもいいから生きちゃった方が勝ちだと言うことです。
病と闘うと言う表現が使われるが、病気と闘うとこっちも疲れてしまうのではないかと思います。
「僕が死んだら病気君、君も死ぬんだから二人で死んでしまうのはもったいないよね。
だったら、しばらく一緒に行きましょう」と言うのがいいんだと思います。
自分の体は存在しない、だから病気になった時は一緒に住みましょうか、という位の気持ちでいた方がいいんじゃないかと思います。
私の身体も宇宙の一部、星のかけらですと言うことになります。
「詩人のための宇宙授業: 金子みすゞの詩をめぐる夜想的逍遥」を出版。
80冊位書いているが、一度こういう本を書きたかった。
カバーには数式が書いてあるが全部僕の思い出のある数式で、隅々まで僕が楽しみながら作った本です。
生きるためには一歩一歩、道標を自分で作っていくことが必要だと思います。
身近な目標から何年後までの目標。
目標を達成するためには準備が必要。
ピアノ演奏発表、ボイジャーに関する事を自分でシナリオを作りながらやりました。
ショートレンジでは各シーズンごとに数学物理の講義もしています。
身近なところから自分の目標を立てて考える、と言う事をやることによって、その一日を生きることが、これから先の生きることの確立を大きくする、と言うことです。