2018年11月5日月曜日

本郷和人(東京大学史料編纂所教授)    ・【近代日本150年 明治の群像】高橋是清

本郷和人(東京大学史料編纂所教授) ・【近代日本150年 明治の群像】高橋是清
講談師 神田蘭
1854年9月19日(嘉永7年閏7月27日)生まれ、1936年2月26日 81歳没。
幕府御用絵師・川村庄右衛門(47歳)ときん(16歳)の子として、江戸芝中門前町(現在の東京都港区芝大門)に生まれ、是清は生後まもなく仙台藩の足軽高橋覚治の養子になる。
講談による高橋是清の紹介。
1854年9月19日(嘉永7年閏7月27日)生まれる。
幕府御用絵師・川村庄右衛門(47歳)ときん(16歳)の子として、江戸芝中門前町(現在の東京都港区芝大門)に生まれ、是清は生後まもなく仙台藩の足軽高橋覚治の養子になる。
藩の命令でアメリカに留学、帰国後日銀総裁、大蔵大臣、商工大臣、総理大臣を歴任。
留学生としてアメリカに渡った時に、ホストファミリーに騙されて奴隷契約書にサインしてしまう、奴隷としての生活を強いられる。
ここで英会話を習得、奴隷から抜けだして、帰国した。
すでに明治新政府が出来ていて、仙台藩は無くなっていた。
しかし芸者遊びに明け暮れ放蕩三昧。
初代文部大臣森有礼によって農商務省に迎えられる。
特許法を完成させ、特許局長に昇進。
友人からペルーで銀鉱事業で金儲けができると紹介されると、鉱山の経営者になる為、特許局長を辞め全財産をつぎ込み、ペルーへと向かう。
すでに鉱山は廃山と化していた。
帰国して日銀に務めることになる。
日露戦争では見事なまでの資金調達をして、経済から日本を勝利に導く。
「己の運を信じ楽観的に物事を見る、そこから開かれる道がある。
そして私は運のいい男だった。」と述べている。

10歳で横浜でヘボン夫妻(医学者であり宣教師 後明治学院大学を創設する)の元で英語を学ぶ。
酒が大好きで渡航の船の中でべろんべろんになったと言う。(13歳)
酷い目に会っても利用していこうと言うところが凄い。
14歳で帰国、森有礼の部下になる。
しかし、酒を飲んだり遊郭に出入りしたり、放蕩する。
16歳で佐賀県の唐津に行って、唐津藩の英語教授もする。(芸者に諭されて目が覚めて唐津に行ったと言う。)
彼の教え子になったのが東京駅などを作った辰野金吾
18歳で東京に戻り、文部省に入ったりするが、日日新聞の新聞社に英字新聞の翻訳を掲載することもする。
現在の開成高校の初代校長となるが、23歳の時だった。
教え子には俳人の正岡子規やバルチック艦隊を撃滅した海軍中将・秋山真之がいる。
人に頼まれると断れないたちだったようだ。
乳牛事業に出資して失敗、銀相場詐欺事件に会い失敗とか懲りない人だった。(24歳)
27歳で農商務省の外局として設置された特許局の初代局長に就任し、日本の特許制度を整えた。

1887年(明治20年)33歳の時には商標条例、特許条例を起案して通過させ、発布して非常に特許についての功績があった。
1889年(明治22年)農商務省を辞職、全財産をつぎ込んでペルーに行く。
掘りつくされた銀山だった。
帰国するが、1万5000円(現在の約1億5000万円)の借金をしていて、その後なんとか返す。
ペルーの話を持ち込んだ人が日銀の川田総裁を紹介、日銀に入ることになる。
現在の日銀の建物を建てる責任者になる。(初仕事)
建物の設計者が彼の教え子だった辰野金吾。
明治26年(1893年)39歳の時に日本銀行支部支店として下関に行く。
翌年日清戦争、下関で条約締結。
横浜正金銀行の支配人になる。(経済の仕組みを徹底的に勉強したと言われる。)
高橋是清は外交も、経済も判る。
横浜正金銀行の仕事をやり終えると、日本銀行の副総裁となる。(45歳)
1902年日英同盟が結ばれる。

明治37,8年 日露戦争。(50歳)
日露開戦に備えるために外債を募集するが、英米はなかなか難しい。
イギリスの銀行家達から500万ポンド獲得に成功する。
ロシア陸軍はナポレオンまで破った国なので周りからは勝てないと思われていた。
是清はコミュニケーション能力が人並み外れていたんでしょうね。
アメリカのクーン・ローブ商会のジェイコブ・シフと知り合い、残りの500万ポンドを引き受けてくれる。
このお金無くしてロシアとは戦えなかった。
明治38年にロシアに勝ってポーツマス条約を締結、戦争が終結する。
領土はとれなかったので、国民の怒りなどもあったが、ルーズベルトの仲介で戦争を終わらせた。(終結の落とし所で、そのまま続けていたらどうなっていたか判らない。)
貴族院議員にも選ばれる。
大蔵大臣に何度もなる。
「1足す1が2、2足す2が4だと思い込んでいる秀才には、生きた財政は判らない」と是清は言っている。
岡田啓介首班の内閣にて6度目の大蔵大臣に就任の時に、軍の膨張主義を戒めて軍からにらまれた。
2・26事件が起きて高橋是清は狙われ暗殺された。