さとう わきこ(絵本作家) ・ばばばあちゃんに夢を託して
さとうさんは東京生まれ、高校卒業後働きながら絵の勉強を続け、30歳の時に絵本作家としてデビューしました。
さとうさんの絵の主人公は逞しく自立した女性です。
中でも高い人気を誇るのは型破りで元気いっぱいのお婆ちゃんが主人公の絵本、ばばばあちゃんシリーズです。
ばばばあちゃんは動物たちと泥団子合戦を繰り広げたり、ベッドを庭に引っ張り出して夜空を眺めたりと豪快なキャラクターです。
そのシリーズは20作を越え30年近くに渡って子供達に親しまれています。
結婚を機に移り住んだ長野県で絵本の美術館を作りました。
現在は創作を続ける一方で美術館の運営にも力を入れています。
何故逞しい女性を描き続けるのか伺います。
女の人は何かに縛られてやっているが、いろんな興味のあることをどんどんやる人が好きで、そういう人をテーマにしたくて書きました。
女性は何かにとらわれているのではなく、新しく生まれ変わってゆく強さがどこかにあるのではないかと思っています。
ばばばあちゃんは独りで子犬と子猫を飼っている。
自分でやりたいことを絵本でもやってるとは思うが、星空は窓からですが見ています。
破天荒なところだけでは無くて経験豊富で、何が起きてもへこたれないところがある。
ばばばあちゃんはベッドの脚が折れた時に、考えどころだと言って足を全部きってそこにスキーの板を付けてそりにしてしまう。
別の考え方を持って、何とかなる様なことを思いつく、逞しいおばあさん。
絵本が出来たのが1977年ですが、それよりも10年前の事を思い出すと、女性の地位が低く見られていた様な気がしていて、そうではないという気持ちはありました。
母がモデルと言えばモデルかもしれない。
私が10歳の時に父が結核で亡くなり、母は苦労して育てていたと思います。
母は就職したがあまりにも扱いが良くなかったので辞めて下宿屋をしてなんとか食べて行く事が出来ました。
母は芯の強い人だったと思う。
子供の頃に鬼の様に感じた時と大変だなあと同情する時と、2種類を感じました。
大人になったら母の気持ちはわかった。
女性の地位が低かったし、馬鹿にされることがあったと思うが、逞しいおばあさんが居るんだよと言う様な気持で描きました。
お母さんだと制限があると思った。
お婆さんは解放されて子供っぽい事をお婆さんはする。
私はやんちゃで子供の頃男の子と思われていました。
6歳の頃遊んでいて結核をしていて、突然血をはいて、寝ている事が多かった。
19歳の時に又腎臓の結核を病んで片方を取ってしまいました。
大学へ行くのはあきらめ、予備校に通って美術を先生から教えてもらってデザイン会社に入りました。
死のうと思った時がありましたが、死ねなかった。
逞しい女に自分もなりたいと思ったんだと思います。
自分の力で絵を描く仕事に就こうと思って投稿するようになり、創作童話を出したのが30歳の時、1970年にデビュー作「洗濯かあちゃん」、何から何まで洗ってしまう、洋服、靴、星、月、かみなりさんまで洗ってしまう作品。
そこにあるモデルは母ですね、母の中にいろんな女の人の模型みたいなものがあってそれが話に出てくると思います。
今は物がありすぎて、自分の手でやると言うことはものに愛着があるが、今はお年寄りにもないかなあと思います。
手で物をやることは大事だと思います。
絵本の美術館を個人で2つ(諏訪湖、八ヶ岳)作るが、人に観てもらいたいのと、子供の為の美術館は無いのでつくりました。
絵本に市民権は無かったので、大事ものではないのかなあと思って、建てようと思いました。
美術館ではヨモギ団子作り、ドラムカン風呂などもやっています。
作った喜びを体験できるし、食べる事に依って思い出になる、伝承して行ってほしい。
父は植物が好きだったので、名前などを教えてもらい、その時に覚えたことが一生関わってくる。
興味を持つと面白くなってゆく。
生きている事が楽しくなってゆく。
生きてくるときには辛い事がたくさんありますが、それを体験してきて笑えるような人生がほしいなあと思いました。
辛いことがあったのに、その場面でのカナリヤの声とかをよく覚えています。
小さい時は病気で寝ていることが多くて、ラジオを聞いていて落語、漫才はよく聞いていました。
それが基本的にどこかにあって、どんでん返しが絵本の中にあると思います。
じじじいちゃんも考えているが、書きにくい。
お年寄りの泰然自若としている姿が凄いと思います、ある種の逞しさ。
自分のやりたいものを一直線に出してくる、それがいいなあと思います。
はぐらかされるが(回避する術がたけている)、人生経験が豊富なんだと思います。
ばばばちゃんを発見したことで自分が変わったと思います。
弱い部分があるが強くなってこれた部分があると思います。