2012年7月8日日曜日

松尾昌出子(塾長79歳)      ・歌舞伎を通して子供を育てる

松尾昌出子(塾長79歳)          歌舞伎を通して子供を育てる  
松尾塾子供歌舞伎 歌舞伎を通して日本人の心を教えようと昭和63年からはじめられた  
今年で25年目を迎える 
大阪の子供達が中心  勧進帳に挑戦している  
稽古は舞踊関係は藤間良蔵先生  三味線は塚原先生が担当している  
年末から稽古を始める ビデオを見て概要を勉強する
春休みが終わる頃に一応台詞とすることなどが最後までできるようにと言う風に進んでいる   
幼稚園から中学3年生まで  声の質によって役を考えたりしている 
女性でも男役をしたり男性でも女役をやったりしている
発足は 母が7歳頃から踊りを習って歌舞伎の寸劇をやらせたら受けたのでそれから始めた  戦後は舞台を退いて主婦になった

小学校の2年生ぐらいから学校に行っていなかったので 歌舞伎を通して教え得られたことが多くて もう一度日本人の心と言うものを親しみながら子供達に身に付けてほしいという事で始めた  
入会金、月謝も何にも頂いていない   
母が人生の学校だったので子供達にも体験してもらいたいと思った  
芸も礼儀作法が厳しいので我慢して稽古をしている  
物事のけじめを付けてほしい
小さい子のしつけを兄さん姉さんが誘導してくれる
 特に小学校3~4年生の子が注意する側に成っている(最近まで注意された側)
日常の中で古典芸能に触れる機会が余りない 
託児所みたいな傾向が有る(より小さい子を連れてきたりするので 周りの人がフォローしてくれたりして)友達付き合いの下手な子もすっと入ってくる   
85歳の時に母が子供歌舞伎を立ち上げた  
父は松尾國三 旅役者から興行を立ち上げた
 
歌舞伎なんかやる子供はいないと私は言っていたが最初10数人来た  
1年後には25人ぐらいに増えていた  公演をやりたいと言い始めて財団に問い合わせ
平成元年に旗揚げ公演をした  
裏方は本歌舞伎の方にやっていただいた  義太夫 かつら等々
母からバトンタッチ(母が亡くなって3年目)  
子供の時にちょっと出たぐらいだったので母の1/00も歌舞伎を理解していないので出来ないと話していたら ,3年やってきたので続けたいと,親たちから言われた 
松尾塾は親孝行を教えている  追善公演をしないということは物凄い親不幸だと脅し文句を言われた  
追善公演だけはやろうという事になり周りの人達が助けてくれて何とかこなした  
そうしたらもう少し続けたいとの話がありいつの間にか20年経ってしまった

平成4年に追善公演行う 今考えると良くやったと思う  
子供は最初真っ白 そこにどのような絵を描くかは大人の責任なので何年かたってそれが怖かった  
人間としてもいつの間にか成長して嬉しかった  旨くなってくると卒業してしまう  
残念な気はする  
キャラクターに合わせてどんな役かなと考える
その時々の顔触れによって演目を考える それが楽しい 
2009年 怪我をして稽古場にはいけなかった時期があったが卒業して行った子たちが駆けつけてくれ
後輩の指導をしてくれた  しっかりやれてくれて吃驚した  
卒塾生、関係者にバックアップして貰ってやってこられた
市川団十郎のビデオを元にやらせてもらった 
 禅問答の様な台詞が一杯出てくる 
 
凄く気が入っている 一生懸命にやっている  
義太夫もその子供達の真剣さに生半可に出来ないと頑張ってくれている
「勧進帳」 「梅野芳兵衛」(大阪は一般的な市民の世話物  世話ものは難しい 
心の芝居なので台詞、動作に内なる思いを込めてやらなければいけない   
子供は母親ではないので母親の気持ちとかを演ずるのは難しい)   
長唄「末広がり」 (中島克介  母と縁が有って子供達に教えていた先生 亡くなったが
卒塾生を含めて出来るだけ参加して貰って三味線、唄を唄って、鳴りもの 太鼓 鼓 踊りも踊って貰って一つの演目を披露することになる) 

子供歌舞伎から学んだもの→子供は損得も無く駆け引きも無いストレスがたまらない 
元気を貰っている子供の無限の可能性にどのように付き合っていけるか
出来れば30周年をやりたい  
上方歌舞伎が演目も上演されないのがどんどん増えている 
出来るだけ知っている方が元気な間に 歌舞伎は義太夫が無いと
駄目なので 古いものを掘り起して大事にしていきたいなと思っています