2012年7月1日日曜日

村山明(人間国宝68歳)       ・木目と木肌に魅せられて


村山明(人間国宝68歳)     木目と木肌に魅せられて
当時木工芸の第一人者黒田辰秋に出会い師事する  
昭和45年17回日本伝統工芸展に初入選し、同時に朝日新聞社賞を受賞 一躍注目を集める その後も 毎年のように入選して、ロンドンのビクトリア アンドアルバート博物館にも作品を収められ高い評価を得ました  
平成15年無形文化財保持者人間国宝に認定される  
主にお盆や盛器など日常生活で使われるものが多く、ふき漆という方法でつくられます
ふき漆は造形した白木に木漆を塗っては磨ぎ磨いでは塗るという事を重ねる方法で次第に木目や気肌が美しく表れるという技法です
師と仰ぐ黒田氏との出会いやふき漆の道のり 現代社会で伝統芸能がどのように寄り添うことができるのか ひたすら木と向き合ってきた村山さんの想いを伺います

伝統工芸近畿展 7部門ある     日本伝統工芸展=日本工芸会主催展覧会  
秋に東京で始まる 来年で60年になる
日本工芸は伝統工芸を持っている 技術の伝承が一番大事なところ  
明治時代が工芸は技術が最高で有ったと言われる 最近道具が少なくなった
道具を作る人も少なくなった  道具の使い方が出来なくなった  
金尺ひとつでも 小さい時からやらないと使い方が理解できない
計算するよりも無条件で体得する  
最近は理解できませんとか 理屈でものを作ろうとしている傾向にある
昔の親方はこうしろと言ってやらせられたが最近は出来ない 
 
仕事は気持ちの良い家が建つかどうかが問題 家さえ建てばいいというのではいけないと思う
一つの道具を使って違うことができる 例えば日本のかんなの場合は形を変えて使う場合ができる  ヨーロッパのかんなは台が木ではなく真鍮でできている
日本のかんなは角度を変えると丸くなったり出来る  
伝わった使い方が正しく伝わっていれば其の道具で出来ること が最大限引き出すことができる 自分でこういうものを作りたいとすればどうぐも自分で頼み込んで鍛冶屋に作って貰い事ができる 鍛冶屋が無くなってしまえば我々はお手上げという事です  
あと100年こういうものができるかどうか 別にしても 100年残ることにしても 刃物がいいものができてもそれを補正する砥石があるかどうか

日本の刃物は合わせ鋼 軟鉄と鋼のあわせたもの 鍛着している(村の鍛冶屋でトンテンカン トンテンカンとやって) 
西洋刃物は単一鋼なので一つの砥石でいいが 日本の刃物は複合体なので砥石は単一では無しに混ざりものがある方がいい 天然の砥石がいい
人造の砥石は単一  天然砥石も最近は余り無くなった  価格も高くもなる 
刃物があって砥石があってもそれを使う人間の使い方、磨ぐこと そういうこともちゃんとしないと切れないことになる
木は堅い、柔らかい処があり刃物がよく切れると綺麗に切れる  
よく切れる刀で柔らかい木をふわっと作る(鋭く作るのではなく) その方が大事
切れることがまず大事なこと 切れなくなったら磨いで切れるようにする  
自分で磨ぐ事が大事 微妙に違う

平行に動かさないといけない そうしないと丸くなる そうすると切れなくなる  
手が覚えこまないといけない
刃物を磨いで 光に当てて曲がっているとか ねじれていることがぱっと判ることが一番大事 
それが判らないと真っ直ぐに磨いだか判らない
26歳の時に初入選 朝日新聞社賞受賞  一躍注目される  
京都市立大学彫刻科 石、木何でもやる  
造形  人体をブロンズでつくるのも造形
新人との顔見せ会があった  
お前ちょっとこいと言われたのが黒田乾吉さんと言う人で仕事手伝えと言われた 
其の人の父親が黒田辰秋と言う人だった

当時の木工芸界の第一人者 木工芸として初めて人間国宝になった 
後に氷見晃堂さんも人間国宝になった
黒田辰秋氏の仕事を手伝いに行った 新宮殿の調度をやっていた 
ドアの取っ手に貝を張る仕事が最初の仕事だった
高山で日下部邸で椅子の塗りものに行った 漆のことは判らなかった 
看板を彫ってたりしていた 
結果的には黒田氏の弟子になった  河井寛次郎との付き合いもある     
例えばお茶碗 丁寧に使っている分には楽しい 
処が当代の名品だと言うと手が動かなくなってしまう  値段を知ってしまうから
値段とものの価値は違う  いいかどうかと値段が高いとは違う 連動している部分はあるが 高いものがいいものとは限らない
 
茶碗が500万円とすると 茶椀が500万円に替わってしまう そうすると触れなくなってしまう  
そういうものはものになれていない
桑 桐   欅(木目がはっきり出てきて力強さが出てくる)  
ふき漆は見よう見まねで最初やった 湿気避け  
合鹿(ごうろく 地名で輪島の柳田村合鹿地方)= 漆に浸けてひきあげたようなもの
最初砥石で磨いた又漆を塗ったりしていたが 乾吉氏が大学に行くようになってペーパー使ったりしていた     番手がいろいろの粗さがあり細かくつるつるになる
それをふき漆に応用すれば綺麗な面になった 艶を上げる  洗練されたものになってきた
黒田辰秋氏は実用品 用の美を追求  ピシッとした感じ   
私の場合はちょっとねじれた様な趣き
生活の為に一時期自分の作品を売るために訪ねて歩いたことがある