2012年7月9日月曜日

大田堯(たかし 教育研究者94歳) ・教育を問い続ける94歳の日々

大田堯(たかし 教育研究者94歳) ・教育を問い続ける94歳の日々
大正12年広島県生まれ  東京帝大文学部教育学科卒業 東大教授 都留文科大学学長 
子供を守る会会長歴任
昨年 教育の夢を描く映画「かすかな光へ」に出演されました 
この映画は映画館や学校のイベントなどに上映され関係者に共感を呼んでいます
戦前と戦後の教育を体験した教育者は少なくなりました
 一兵卒として体験した戦争は教育論に大きく影響したと言っています
生き物との付き合いというものは矢張り命が維持される事と深い関係があると思います
色んな理屈はいうけれど偶然 と言う事 これは非常に命が続く事と関係があるので 
人間万事何事が途中に起こっても仕方ない
特に第二次大戦に参加して、辛くも生き残って、ここにあると言うこと自体が偶然だと言わなければ
ならないし、戦争に行って魚雷に遭遇するということもあってからくも生き伸びたし、
もし南方に居なくて広島に居たとしても原子爆弾で壊滅的に成っていたのでそういう偶然
と言うものは人間の生存に取ってみては非常に大きな意味を持っていると思う
毎日の過ごし方  65歳までは学長をやっていたので規則正しい生活は出来なかったが、
65歳以上は一日一日のリズムを決めて朝5時に起きて散歩をして
掃除をして自然と付き合って 仕事にかかるという  体操を挟みながら一日を過ごす

生きながらえると言うことは、人との付き合いが生きているという事に非常に重要な関係があると
思っている  人との交わりを大切にする
毎月勉強会をしている  4種類のサークルがあり(月2回もあるので) 6回をしている  
それ以外にも朝散しているので行き合う人達がいる
散歩の時などに、現代は眼を合わさないようにしている人がいるがその様な時にワンちゃん 
お早うと言うようになって関係が段々出来てくる
積極的に拘わりを持つことで自分の生きざまを見るというか そういうことが励ましになって
いるのではないかと思う サークルでも同じこと 
いろんな方が表れていろんな考えを教わる 
之が常に自分をリフレッシュさせてくれる

中小企業家同友会 日本の経済を支えている90%が中小企業  265回話し合いを重ねている
去年 映画「かすかな光へ」に参加  2006年に教育基本法改定が有った 
曙の様な社会の期待があったが 教育基本法、憲法に対して夢を持ったが
いままでの曙の時代が曙が明けきらないで元にそれが少し戻ってくるような状況  
其の一つに教育基本法の改正を心配する人達がいてその人達と
良い教育とはどのような教育なのか等の事を世間に判って貰う必要があると 
そういうことから映画を考えて 良い教育を全国から拾い上げて行って
私がコメントするという役をやるという事で引き受けた 
出来るまでに5年掛った 中途で挫折が有って 最後にどうしても背骨がいるという事で
背骨になってくれと言われた

この映画「かすかな光へ」は、老いたる研究者が夢を持っていて教育はこうであってほしいとの
願いをしめしたものです
冒頭 谷川俊太郎が登場 「赤ん坊は歯の無い口で舐める 柔らかい優しい手でも、ちいさな手で
持って舐める、触れる事の中に既に学びが潜んでいる」
自ら読む  反響は悪い反響は戻ってこない  見た感想が文章に成って返ってくる 
映画を元にしていろいろな討論が行われている リピーターが有る
戦前、戦後に携わった人は少なくなった 戦争を体験した人は非常に少ない   
戦争直後の食べるものも無く貧しい状態で暗闇の時代から曙の時代を目指す瞬間が有った
之が戦後 戦争の闇を抜けたというのは強い印象を持った (5年ぐらいの間)  
朝鮮戦争によって占領政策が手のひらをくるっと変わる様に
変わって憲法9条が有るが直ぐに警察予備隊ができて 教育界でいえば教育勅語はいいものだと
文部大臣の発言が出る(1950年に)

大きな反動がなかなか収まらない 忘れられない曙に固守してそこから夢をいまの状況のなかでも
打ち出していかなくてはいけない
4年間 私は軍隊に居て 内地に2年間いて 2年間は南太平洋の最前線にいる 
昭和17年に補従兵として召集された  不器用で病弱だった
普通なら兵隊になれないような身体だった   野間寛に「真空地帯」と言う本が有ると思うが 
軍隊と言うところは何時敵が攻めてきても直ぐに反応できるという
戦闘団体としての緊張がずーっと持続する様に作られている 
朝から晩まで緊張状態を維持しなければならない 常にお互いに監視をしあう  
事故が起きた場合には誰誰に連絡するかと言う事を直属の上官の名を全部覚えていないと
いけないので上下関係が物凄く強調されるという社会なんですよ

個人の自由は最小限に限られてくる トイレと消灯後の時間のみが自分に自由な時  
単行本を隠して読もうと思ったが監視兵が見回っているので読めなかった
南太平洋戦線に配属され魚雷に遭遇して船が撃沈されて36時間筏にぶら下がって 
人に何とか助け出された 
自分の持っているひ弱さを非常に感じた  私自身の教養と教育を見直さなくてはならない 
命はお互い持っているものであり 命を守られて今は生きている
命と言うところからもう一遍 教育とか教養を観なおさなくてはならないと 原点として経験の中に
入りこんだ 

農民兵 漁民兵は自分の命をしっかり守る 守りぬける体力、知恵、教育が有った  
今までの自分が身に付けた教育とは何だったんだろうかと
屈辱感が有ったり劣等感が有ったり そういうような中でやっぱり俺自身の本当の成長とか
人間らしさを捉えなおさないといけないなと思った
そういう経験が後にいろいろな試みをする中に徐々に出てくるという 原点と言うのはそういう
性質のものだと思います
復員して 今までの様な国家中心の、国の為に死になさいというようなそれに近い様なそういう
方向での教育の方向を支配していた
そうではなくて命を大事にするという教育をしなくてはいけない
  
命をこそと考えて身近な地域の中から命を大事にし合うような教育を自主的に組み立てましょう
と だから新しい学校、教育を作りなおそうと 之が大きな夢だった 失敗するのですが  
思惑通りに行かないのが命の特徴なんですよ
皆を束ねてこっちを向けと言うんで計画を立てて何か人間を変えようという様な事を考えたって
そんなものは命を大事にするよりも命の特徴を全部殺してしまう
遺伝子という設計図はほかのだれよりも違う設計図で有って、又遺伝子の設計図は生れた時に
決まるわけではなくて 常に外からの情報によって変わってゆく
柔軟な豊かな選択の可能性を秘めた設計図なんで固まってはいない 
 
柔軟な設計図をお互いが励まし合って育ち合ってゆく  教育は共に育つ(共育)
命と命が共に響き合って共に育つ 戦争直後には教科書などにもこの様なことが見えていた 
あくまでこの教科書は未熟なものであるかも知れないから参考書として扱って下さいという事を
文部省の教科書の裏側に書いてあった  そういう時代が有った
其の時にいろんなことを教師たちはやった   
例えば、弁当が盗まれたときに犯人捜しをするのではなく だいたいこういうことが起こることはどういうこと
何だろうかと 皆で考えようと3日間議論したという先生もあった  
埼玉での共同学習  学校から外れた不良仲間と思われた人達と一緒に 青年学級と言う事に
して3年間付き合いをした

たいへん多くの事をまなんだ  皆がそれぞれ主役 いわゆる不良と言われた人が主役 
ひたすら喋る事を記録する 次の機会に読んであげて又皆で話し合う
話し合いの記録  一人一人が主人公出番を持って記録の中に登場する  
学校では考えられないこと 自分のいったことが書いてくれている 彼等は感動する  
彼等は自分を取り戻す チャンスを持ったのではないか   教育ではなくて共育   
教育と言うのは一つのドラマ  それぞれが自分のユニークな設計図で持って自己表現する 
 其の表現したことを皆で認め合ってゆく
教育と言うのは命と命が対等に響き合う そういうドラマティックな雰囲気の中で成り立ってゆくのか
なあと思う  「教育はアートである」
「はらぺこあおむし」 さなぎになり蝶になる 

人間の場合も同じような形ですが 社会と文化の中に生まれるという特殊な動物ですから 
社会と文化と言う大きな
胎盤の中で人間はユニークな自分の設計図を開いてゆく舞台になると思う  
ドラマの舞台の始まり 誕生は
ユニークな設計図を持った生き物として人間が生れ出て次の世代として種が持続する 
人類が続いてゆく  そういう貴重な存在ですよ 一人一人が
「人間は何で二本の足で立って歩くんですか」 と言う生徒からの質問が有り、その問いに
答えられなかった  調べてくるが納得する話ができなかった
いろいろ調べたけれど判らなかったと正直にいおうとしたら ぽっと浮かんできたことが有った
「人間がその気になったからだ」と言った 
  
ある生徒が「人間は其の気になったんだなあ」と感心をした
実はその気と言うものは凄く重要な人間の持っている特徴だというように後で段々判ってくるわけで
すけれども、「その気」は選択であり 決断であるので、それは運命を決定する
人間は選択肢の多い動物であるので  ドラマじゃないですか、まるで
子供が生れ出るのは母親の胎盤から出てくるのだけれど その胎盤から出てくる世界とは
どういった世界かと言うと 社会的 文化的な胎盤と言うものが
待ち受けているというのが人間の誕生 それが特徴なんですよね
  
その中に学校などと云うのはほんの一部 一部にすぎない
学校だけで受ける教養だけで人間になるんじゃなくて 谷川さんのいう通り 赤ちゃんが触ったり
する事で、学習が始まっている
いろんな経験を重ね 母親との対話 他人との対話 自分が読んだ本 たまたま増えた友達 
そういうものの中で人間形成が行われる
学校だけで勝負すると言うそういう雰囲気自体を克服しなくてはいけないと言うのが、
日本の教育の課題なんですよ