柴田南雄(作曲家 音楽評論家) ・〔わが心の人〕
柴田南雄さんは文化功労者でもあります。 大正5年現在の東京都千代田区神田駿河台生まれ。幼少のころから母にピアノを習い、 大学時代諸井三郎から作曲を学びました。 東京芸術大学を初め多くの大学で作曲や音楽理論を教え、後進を育成しました。 音楽評論家としてもNHKの番組でもおなじみです。 平成8年2月に亡くなられました。(79歳)
お話は仙道作三さんです。 柴田さんがラジオの音楽番組に出演したのは戦後まもなくです。 (昭和22年 31歳) その後テレビ、放送大学の先生を担当。 先生とは1971年にお会いしました。 私は中卒で集団就職で東京に出てきました。 クラシックギターを習って町工場で働いていまた。 25歳でクラシックギターを教え始めましたが、理論を知りたいと26歳で柴田先生のところに飛び込みました。 柴田先生の家柄は学者の家柄で、森鴎外の「雁」に出てくる柴田承桂さんと言う人のセリフで「ドイツに渡航するのであれば柴田承桂君に聞き給え。」と書いてありますが、ドイツの薬学を持ってきて薬剤師の名前を付け、東京大学の医学部教授になられたのが柴田承桂さんです。 柴田先生の父親は柴田雄次さんでドイツから化学を持ってきて、東京大学の教授になられた方です。 柴田先生も東大を出られて、私も弟子にしてもらいました。 1週間に一回の稽古でした。 1年目は月謝を払いまいたが、2年目からはいらないよと言われました。 (7年間無料)
ハーモニーの連結 4つの旋律の和声?がありますが、それをどのように連結すれば、美しいハーモニーが出来るかと言う、8小節、16小節の和声、連結の仕方です。 それをチェックして貰います。 2年目には万葉集にメロディーをつけて、ハーモニーを作るという宿題をあたえられました。 自分で考えた旋律を作る。 万葉集を100冊買いました。 (月賦) 古典文学を勉強して大変勉強になりました。 3年目に私の故郷に先生も同行することになりました。 先生とフィールドワークの調査、研究をしました。 録音してきたものをNHKのラジオから流れるわけです。 柴田先生は芸大の先生を辞めて民俗学に入り、日本の民俗学の研究をはじめました。(フィールドワーク) 静岡県の念仏踊りを取材しました。 越後瞽女、田沢湖の方とか様々なところに行きました。 貴重な記録です。
先生がシアターピースと言う方法で作った漫才流しの2曲目は強く印象に残っています。 一般的に合唱団は左からソプラノ、メゾソプラノ、アルト、テノール、バリトン、バスという6種類の形態で並んで歌います。 シアターピースと言うのは、舞台でやってホールの方に階段で降りてきて演奏する訳でです。 劇場全体が歌う場。 今も私は継承しています。 漫才流し 三河漫才から始まって、秋田の方に移って発展して来ました。(秋田漫才、横手漫才) 漫才を新しい感覚で自身で合唱を作りました。(シアターピース方式)
*合唱曲 「漫才流し」 柴田南雄作品
柴田先生の一番すごいところは、「人間について」と言う曲があって、宇宙について、人間と死、自然についてとかいろんな曲、未来につながる永遠のテーマを作っています。 柴田さんは東大で植物学、哲学を学ぶ。 先生は縄文土器、弥生土器も研究して、縄文土器の笛を使って音程を出したりしました。 私の知識と教養を柴田先生が育ててくださった。 とても好奇心の旺盛な方です。
先生からは「民俗学を研究して新しい自分の様式を作り、研究する人間になりなさい。」と言われました。 私も自然と民族学の方に入って行きました。 宮沢賢治世界、いろんな日本の古典文学、樋口一葉、明治の歌人、文学者の人たちなどをテーマにオペラを作ったり音楽を作って来ました。 今111曲になりました。
*「利根川322」 第一楽章冒頭の部分 (利根川は322km流れている。)
4月26日に「鳥獣戯画」を発表します。 9月には「清少納言」を発表する予定です。