松本隆(作詞家) ・作詞活動55年
松本さんは1949年東京都生まれ。 1968年細野晴臣、小坂忠、柳田博義、菊池英二らとエイプリル・フールを結成し、その後細野、大瀧詠一、鈴木茂と「はっぴいえんど」を結成します。1970年アルバム「はっぴいえんど」をリリース、日本語ロックを初めて作ったバンドとして評価されました。 「はっぴいえんど」解散後は作詞家に、アグネスチャン、太田裕美、松田聖子、近藤真彦などに歌詞を書き、多くのヒット曲を生んでいきます。 作詞した作品は2100曲以上、今年作詞家生活55周年を迎えました。
英語のカバーが多くて、英語のカバーをやっているんだったらあまり意味がないと思って、自分たちの言語でロックでもフォークでもやった方がいいんじゃないかと思いました。 「はっぴいえんど」では遠藤賢司に最初に会いました。 その後「はっぴいえんど」の構想が固まって来ました。 その後「はっぴいえんど」が解散して作詞家になります。 中学生ぐらいから文学青年でした。 詩なんて書いたことなかったんですが、「はっぴいえんど」のファーストの「ゆでめん」です。 自分にとっても第一作品です。
男性向けの詩としては南佳孝と鈴木茂が多かった。 女性向けと男性向けは区別して書いています。 絵を描くことも好きでしたが、中学3年生の時に断念しました。 ロックの方に進むんですが、父は元南九州財務局長、仙台銀行相談役で、硬い人でした。 僕が大事にしたのは五感なんです。 普通音楽は耳から入りますが、それ以外に記憶とか匂いとか、強いじゃないですか、触った感じも大きいし、それで五感を大事にして、それと絵ですね。 背景に何があるのかという事が非常に重要で、海があるのか都会があるのかとか。 あと物語です。 物語を軽く見ているが、物語は非常に大きいです。 それを教わったのが「ウエス・トサイドストーリー」です。(派閥があって人種問題があるとか、シェークスピアのパクリだとか)
キャラクターを書き分けると言うようなことはないです。 「赤い靴のバレリーナ」で甲斐さんが歌ったのと松田聖子さんが歌ったのでは、景色の見え方、ストーリーが違う。
*「赤い靴のバレリーナ」 歌:松田聖子
*「赤い靴のバレリーナ」 歌:甲斐祥弘(作曲)
「風をあめて」(はっぴいえんどの楽曲) 映画の主題歌でっ全世界封切りだったから、日本語のままで皆覚えちゃう。 歌が勝手に独り歩きして世界中をさまよっておるみたいな、そういったのが好きです。 (企業とかが関わらない。)
55周年コンサートを行います。 カバーも新しい命を貰っているような感じがするので、そういうのもありかなあと言う感じです。
「白睡蓮」新曲 歌:氷川きよし