頭木弘樹(文学紹介者) ・〔絶望名言〕 アンデルセン
今年はアンデルセン生誕220年、没後150年に当たります。 アンデルセンはデンマークのオーデンセで貧しい靴屋の息子として産まれました。 幼いころに父親からアラビアンナイトなどの物語を聞いて育ち、14歳で俳優を目指しましたが、夢はかなわずその後戯曲や詩で評価され、小説「即興詩人」で作家としての地位を確立しました。
「人魚には涙というものが無いのです。 それだけに一層苦しい思いをするのでした。」 アンデルセン
代表作には「人魚姫」、「みにくいアヒルの子」、「マッチ売りの少女」、「雪の女王」などがあります。 アンデルセンが生まれたのは1805年、亡くなったのは1875年。
アンデルセンは貧しい家庭に生まれ、旅に出て色々な経験をして、有名な童話作家になって国王や王子様と親しくなり、亡くなった時には国葬がおこなわれた。 アンデルセンの童話はアンデルセン自身を反映している童話が多いです。 アンデルセンにも悲しいことが沢山あったという事です。
人魚は海のなかにいるから涙はいらないが、悲しい時に泣くことが出来ないと余計に辛いですね。 アンデルセンは悲しみを知っていた人ですね。
「人間と言うものは一遍の優しい心さえあれば、物事を別の見方で観ることができるような場合にも、とかく他人に対して軽々しく厳しい判断を下しがちである。」 アンデルセン
「マッチ売りの少女」は自分のお母さんをモデルに書いたと言われる。 貧しい家庭に生まれて、靴直しの職人と結婚するが、貧しい暮らしが続いた。 夫は33歳で亡くなってしまう。その後再婚するがその人も4年後に亡くなってしまう。 その後お母さんは洗濯・?になる。 川の流れに立って(寒さのなか)洗濯をする。
アンデルセンの母親は川の冷たさに耐えるために、酒を飲むようになる。 そのせいでアルコール中毒になって、二番目の夫を亡くした10年後に亡くなる。
「沈んだ私の心を奮い立たせてくれる人も、優しく慰めてくれる人も誰一人いなかった。 私は全く見放されてしまった。 真剣に私は自殺のことを考えた。」 アンデルセン
母親がまだ生きているころにアンデルセンはデンマークの首都のコペンハーゲンに行きます。 コペンハーゲンまでは160kmもあります。 (14歳) 当てもなくお金もあまりない。 母親は止めようよしたが止めきれなかった理由があった。 アンデルセンの父親は優秀な子であって、 お金持ちが学校に行く金を出してあげようと言ったが、その両親は貧しかったので早く息子に稼いでほしかったので断って、靴直しの職人にした。 父親は自分の望む人生を生きられなかった。 自分の気の進まない道を無理に選んではいけないよ、本当に自分がなりたいと思うものになるんだよと言い聞かしていた。アンデルセンの父親は妻には「この子がしたいことが有ったら、それがどんなにばかげたことに見えようとも、望みを叶えてやってくれ。」と言ってあるわけです。 それで母親は止めきれなかった。
アンデルセンは芝居が好きで、王立劇場の舞台に立ちたいと思っていた。 願いはかなわず途方に暮れてしまう。 「沈んだ私の心を奮い立たせてくれる人も、優しく慰めてくれる人も誰一人いなかった。 私は全く見放されてしまった。 真剣に私は自殺のことを考えた。」 とアンデルセン絶望してしまう。 しかし諦めずにいろいろな人のところに訪ねて行って、支援してくれる人に出会う。
「かくこなる?友人までが、私には童話を書く才能がないといって、断固として看視する始末だった。」 アンデルセン
支援してもらったアンデルセンは学校にも行って、外国旅行にも行かせてもらった。 イタリアで自分の人生と重ね合わせた「即興詩人」(森鴎外 翻訳)を書いた。 これが評価されて作家として認められるようになる。 「即興詩人」を書いている途中から童話も書き始めている。 最初の「童話集」は評価されなかった。 一人だけ物理学者が評価して『「即興詩人」は君を有名にしたが、童話は君の名を不滅にするだろう。』と言ったんです。
*メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲
「でも王様 裸だよ。 突然小さな子供が王様に向かって言いました。 人伝いに子供が言った言葉がどんどんひそひそと伝わって行きました。 王様は裸だぞ。 ついに一人残らずこう叫ぶようになってしまいました。 王様は大弱りでした。 王様だってみんなの言うことが正しいと思ったからだ。 でも今さら行進パレードを辞めるわけにはいかないと思ったので、そのまま今迄以上にもったいぶって歩きました。 召使いは仕方なくありもしない裾を持ち続けて王様の後を歩いていきましたとさ。」 アンデルセン
「裸の王様」の最後の部分。 馬鹿な人には見えない布で作ったという服を高く売りつけられた王様は、それを着てパレードをすることですが、みんな馬鹿と思われたくないので、服が見えるふりをする。 その時子供だけが、「王様は裸だよ。」と言うんです。 それで終わりかと思ったら続きがあって、裸だと判った後も王様は行進パレードを辞めるわけにはいかなくて、いっそうもったいぶって歩く。 家来たちもありもしない・・・?を続いて歩いてゆく。 これは怖いですよね。 間違いに気付いたけれどそれを正すことが出来ず、押し通そうとする。
「親指姫は綺麗だったのです。 親指姫を連れて来たコガネムシもそう思ったんですが、他のものがみんなみっともない、みっともないというものですから、そうこう自分も思うようになって、手元に置きたくなくなりました。 どこへでも好きなところへ行くがいい。」 アンデルセン
親指姫はチューリプから生まれた親指ほどの女の子です。 親指姫を連れて来たコガネムシは親指姫を綺麗だと思った。 周りがみっともないと言うと自分もそんな気がしてきてしまう。自分の最初の気持ちを大事にした方がいい。
「アントンさんは掛け布団をぐっと上まで引き上げ、ナイトキャップをを目の上まで降ろしました。 すると昼間の商売や苦労が頭を去りましたが、それで気持ちがのんびりしたわけではありません。 今度は古い記憶がやって来て幕ををあけるのです。 記憶の中には・・針が入っていて、指を刺されることがあります。 痛いと言った時にはその針は血の通っている肉を刺してちくちく痛み涙が目に出てくる。 年寄りのアントンさんもたびたびそんな目に遭って熱い涙がキラキラ光る真珠のようにこぼれます。」 アンデルセン
独身のおじいさんが失恋を思い出す。 アンデルセン自身も失恋連続きで生涯独身で過ごす。 ヨーロッパを中心に旅に出て、長い旅だけでも30回以上あります。 旅をすることは生きる事と詩にも書いています。(当時としては旅は危険だった。) 勇気もあるが、しかし極度の心配症でもあった。
アンデルセンの童話が毎年クリスマスに一冊づつ出て行った時がありました。 クリスマスについてアンデルセンの自伝に書いている言葉があります。
「その晩私は急に孤独の重苦しい気配を感じた。 それはクリスマスの前夜であった。 他の晩はともかく、この晩だけはお祝いの様子を見たり、クリスマスツリーのそばに立ったり、子供たちと喜びを共にしたり、両親が子供の気持ちにかえるのを見たりしたいと、常々願っていたので(ある。)? しかし私はただ一人こたび?一室に座って遥かに故郷の事を思い浮かべていたのだ。 私は窓を開いて、そこから星をちりばめた空を仰いでいた。 それが私のために点火されたクリスマスツリーだった。」 アンデルセン