金澤美浩(育種研究家) ・育種は自分を映し出す鏡
金澤さんはシクラメンの花を八重咲にしたとして知られていますが、拝見すると八重どころか、ぼんぼりのように咲くものが有ったり、しだれて咲くものが有ったり、花形、花色も様々で、シクラメンだけではなくほかの花や果物も品種改良して、多彩な品種を作っているようです。
50年、自分が興味を持ったものについて、 育種したりコレクターして沢山あります。 昔はシクラメンも色も赤くてそんなにはなかったですが、大内さんが海外のパステル系の品種を昭和50年代に導入して、そこから分けてもらって淡い色を選抜育種しました。 シクラメンは自分の花粉で自分の実をつけて花が終わってしまうことがおおくて、花持ち期間を長く持つようにしました。 シクラメンでは八重がないのでトライしてみようと思いました。 花びらがなりつつあることを見逃してしまう。 固執して観察すると、ちょっと違うなと言うのが出てきたりします。 その種を取り、種を蒔き、時間をかけて花びら化して行きました。
私の先生の岩手の橋本先生が、私と同じことをしていて、完全体がありました。 私の方はまだ未完全体でした。 先生が病気になってそれを譲り受けて、先生のものと私のものを交配して原型が出来ました。 そしてシモニシオカ?と言う名前で世の中に出せるようになりました。(20年掛かる。) 2年に一回しか交配が出来なくて結果が出ない。 八重になるための遺伝子の部分の重複遺伝子があって、ホモ、ヘペロとかありヘペロではいろんなものが出てくるし、ホモならば固まる。 千葉大、メーカーの研究開発に携わっている方との交流からいろいろ勉強しました。 しだれ形のシクラメンも開発しました。
ラズベリーも商品化できないという事がありました。 いまだに日本の風土に合わないと叫ばれています。 土壌環境ですね。 日本には沢山の土壌微生物がいて、線虫もいてそれがラズベリーへわるさをするようです。 国内に2トン輸入されて、うちでは1トンはんぐらい取っています。 品種改良しないと、と言う大手の輸入メーカーさんがなんとか国産ラズベリーの品種を作ってくれないかと言われて、花以外も面白そうだと思っていました。 試行錯誤をしてやっと増殖率が良くて、成長も良くて、二期なり(6月、10月に成る)を選抜して作り上げて、登録にこぎつけました。 今の土壌環境で生き残ったものだけを交配しました。
子供のころから花を見る機会があって花が好きでした。 農業高校に行った時に、花を徹底的に作ろうという出会いがありました。 花農家さんの所に実習に行きました。 花をオークションにかけてその日のうちに換金してくるわけです。 そこで花を作っても生活が成り立つかなと思いました。 温室部を作って、 アルバイトをして園芸書を買って読みました。 種も購入して花を咲かせて、オートバイで花を売っていました。 ひょんなことから自分でも種を取って撒く様になりました。 高く売れるような選抜をして、専門にやっている人に聞きに行ったりしました。 オリジナルのものが昭和50年ごろに出来ました。 50年代の後半には市場でも有名になって来ました。
昭和56年に結婚して、妻に手伝ってもらっているうちに、彼女の知り合いからも手伝ってもらうようになっていきました。 今の主流のメンバーが彼女たちです。 ピンク系を作って今はそれが主流になっています。 1963年に薦められて全国の品評会に出して、大臣賞を初めてもらいました。 その後もいろいろな賞を貰いました。 品評会のポイントがあって、葉が小さく沢山あって、花が丸弁でぴしっと上を向いて咲いている、という一つのベースがあります。 しだれ咲は全く正反対のものなので、支持されません。 賞を取ることが目的ではなくなりました。 いかにして消費者さんの思いに沿えるのか、という事を大事にしています。 時代の流れは大事だと思います。一番大事なのは消費者にがっかりされない事だと思います。
次の世代に渡していかなければならないという、義務的な部分も持っています。 私の弟子たちが弟子を作るようになってきて非常に嬉しいです。 ここまでくるうちにはいろんな人に助けてもらってきました。 消費者が居ないかぎりは支持されないので、理解者を増やす事ですね。 自分に中の経験を伝えていきながら、花の業界の礎にしてもらえればと思います。地域の為、若い人のための活動をしています。 自分のまわりの環境を良くしていかない限り、自分が住んでいる環境、生活は良くならない。(人間環境を含め) 育種の部分を掘り進めていくのと、「金澤的なビオラ」を見たいと言われていますが、どう言うビオラか私にもわかりません。