2021年4月16日金曜日

普天間朝佳(ひめゆり平和祈念資料館館長)・平和の尊さを発信し続けたい

普天間朝佳(ひめゆり平和祈念資料館館長)・平和の尊さを発信し続けたい 

2度目のリニューアルを終えてひめゆり平和祈念資料館は今週新たなスタートを切りました。 戦後世代として初めて館長を務め、今回のリニューアルを主導した普天間さんに伺いました。

資料館はいまから32年前に開館しましたが、物に語らせる方針であまり説明が無かった。  説明したほうがいいという事で体験などを説明する動きがありました。  体験講和という形で自分の体験を伝える活動をしてきましたが、2000年頃から仲間が亡くなったり病気になったり、伝える活動をしていた30名ぐらいの元ひめゆり学徒の方がかかわってましたが、高齢になって活動していけないという事で、いなくなっても体験を語り続けていくために、次世代継承の取り組みを始めました。  証言を映像記録に残す活動を始めましたが、2004年に第一回のリューアルしました。   展示に細かい説明を付けました。  判りやすい説明文を作ってリニューアルしまして成功したと思いました。   周りに戦争体験者がいない世代になり、開館30周年で第二回目のリニューアルをしようという事で、コロナで遅れましたが、今年実現しました。  

戦争体験が風化してゆくことは仕方ないところですが、あらゆる機会を通して繰り返し繰り返して、戦争体験を振りかえって戦争にならないためにはどうしたらいいか、を考えてゆくことが大事だと思います。  そのきっかけ作りをしっかり作ってゆくことが私たちの役割かと思っています。  

オープンの前に元ひめゆりの方々に見てもらって、当時のこと、私たちの思いなどがよく表現されていると言っていただきました。   

ひめゆり学徒隊は沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校教師生徒で構成されたものの名前で、15歳から19歳でした。   看護要員として陸軍病院に動員されてゆくことになります。   222名、先生が18名でした。  136名が亡くなってしまいました。    手術などにも補助として立ち会いました。   看護,しもの世話まで行いました。   段々対応が出来なくなってきて包帯のところからウジ虫が出るようになり、ウジ虫をピンセットで払うような事もしました。  亡くなった患者の埋葬も兵士が掘った穴に埋葬することもしていたが、攻撃が激しくなると、砲弾でできた穴に亡くなった兵士を投げ入れるのが埋葬になったそうです。  最初はできなかったが、投げ入れるのが平気で出来るようになったそうです。  何十年もたってからそのことがよみがえってきて夜眠れなかったり、悪夢にうなされて今でも苦しんでいる方がいます。  

2か月たった時にアメリカ軍が上陸してきて、沖縄に長く足止めさせるという事が日本軍の司令で、大きな犠牲を払いながら南に下がって戦い続ける道を選びます。   沖縄陸軍病院も南に下がって行くことになります。  11名が砲弾で亡くなります。  看護が出来ず自然洞窟の6か所に潜んでいましたが、アメリカ軍が近づいてきて、もう病院は必要ないという事で病院の関係者も切り込みにたてと、学徒隊も必要ないという事で学徒隊に解散命令が出ますが、追い出される形で出て行きます。  激しい爆撃に合い、100名以上が亡くなることになります。  洞窟には第三外科の部員、看護婦、生徒たちが入っていました。   深くて安全な場所と思われていましたが、命令で出ないといけなくなって、分散会をすることになり、終わったあとに、足音が聞こえ、出てくるようにとの呼びかけがあったが、当時は捕虜になったらいけないと言われていて、ガス弾が投げ込まれ、100名近く入っていたが、80名が亡くなり、生徒の5名だけは戦後まで生き残ります。   海岸まで追い詰められた生徒7名、先生1名は原崎海岸の岩陰に潜んでいたが、アメリカ軍に捕まったらレイプされて無残に殺されるという風に思い込んでいたので、死んだほうがましだという事で6月21日の朝、アメリカ軍の乱射もあり、手榴弾で自決することになります。

私は現在61歳で、まったく戦争のことはわからなくて育ちました。  慰霊の日だけは正午になると南に向かって手を合わせましょうと学校では教えられていました。  沖縄戦のことは全然知識がありませんでした。  大学の時に大田知事が大学の先生をしている時に、彼のゼミで沖縄戦を客観的に学ぶことが出来ました。  社会人になってひめゆり平和祈念資料館に勤めるようになって戦争を実感することになりました。    

体験の重みは体験していない者には出来ないと考えていて、説明員として採用した人に証言者の話をしている様子などを見てもらいました。   自分も関わらないといけないと思いました。  2009年に18名の方と一人一人がたどった戦跡を一緒に体験を聞く、戦前戦後の聞き取りをして、仕事をする中で培ってきた継承があります。   2015年ぐらいから講話のリクエストを受けることが難しくなってきて、次世代による平和講話という事で、一緒に活動を始めました。     

ひめゆり平和祈念資料館は普通の資料館とは違って、観光のついでに寄って気が付くという場にもなっていたと思います。   戦争と平和のことを考える入り口になってもらえればいいと思います。  いかに戦争が悲惨であるか、命の尊さ、平和の大切さのメッセージをいろんな工夫を通して新しい世代に伝えていこうと思っています。