2019年12月31日火曜日

氷川きよし(歌手)            ・【母を語る】

氷川きよし(歌手)            ・【母を語る】
氷川さんは1977年福岡生まれ、高校時代に歌手を志しNHKBSの歌番組に出演し、スカウトされ高校卒業後上京します。
アルバイトをしながら3年半の修行生活を経て、2000年に「箱根八里の半次郎」でデビュー、その年にNHKの紅白歌合戦に出場します。
これまでに日本レコード大賞の最優勝新人賞、最優秀歌唱賞、大賞の三冠を獲得しています。
2019年3月には松尾芸能賞優秀賞を受賞、又デビュー20周年となる今年は7月にはに日本武道館、9月には大阪城ホールで記念コンサートを行いました。

日本武道館、大阪城ホールでは多くの皆さんにお越しいただきました。
色んな人間模様を歌いたいと思いました。
Tシャツが好きでラフな格好が普段は好きです。
一人っ子で母にべったりして育ちました。
性格、しゃべる方もそっくりで母はきれいだと思います。(67歳)
15年前母が大手術をしました、10時間ぐらいの手術で助かるか助からないかわからないようで、仕事が終わって祈っていました。
離れているが母がいてくれるのが嬉しいです。
電話でまめに母とはコミュニケーションをとっています。
母は胎児の時にずーっと「一休さん」の歌を聞かせていたという事です。
妊娠しているときにも母は病気にかかっていて、生まない方がいいという状況の中で生んでくれました。

小学校の時には地域の合唱団に入って歌っていました。
中学はポップスを歌っていて平尾昌晃先生のスクールのオーディションを受けて受かったんですが、月謝が払えなくて独学で歌っていました。
引っ込み思案であまりしゃべれない子でコンプレックスを感じていました。
自己表現を歌で出来たことが生きてゆくなかでの手段だったと思います。
中学の時には太っていて、芸能界に行くためには痩せないといけないと思って寒天を食べて痩せることができました。
中学3年の時にすごく背が伸びました。
16歳から演歌を歌い始めました。
高校は個性を大事にする高校でした。
高校生の時には将来は歌手になろうと思って、いろいろ調べて研究してプロダクションのオーディションを受けるようになりました。
父からは男は台所に立つなと言われていましたが、料理は好きでこっそりやっていました。
母はあまり料理はあまり好きではなくて、自分でいろいろ研究しました。

芸能教室で演歌を歌ってほしいと或るおじいさんから言われて、演歌を歌うために片っ端から演歌の歌を聞いて研究しました。
NHKBSの歌番組に出演し、水森英夫先生に歌手になりたいか聞かれ、東京に行くことにしました。
母とはずーっと一緒にいたので福岡から離れるときには悲しい思いをし勇気がいりました。
今やらなければという気持ちはありました。
母とは眼を合わすと泣いてしまいそうな気がしたので、玄関では眼をあわせないようにして別れました。
飛行機の乗った途端に涙が出てきてしまいました。
1年でデビューできると思ったが駄目で、アルバイトをしながら3年半の修行生活をしました。
経済的にきついのと先が見えないという事があり厳しかったです。
方言には苦労しました。

最初のアルバイト先はすぐにやめてしまい、ファミリーレストランに勤めるようになりました。
人前で喋れるようになったのは40歳を過ぎた頃でした。
3年後に一旦事務所が決まったが、当時男の演歌歌手は厳しくて女性の演歌歌手が華やかでいいという事で断られてしまいました。
もう1年頑張ろうという事で、或る大手の事務所で歌ったらこれは行けるという事になりました。
2000年に「箱根八里の半次郎」でデビューしました。
歌にはちょっとポップス系のところもありました。
母がいるから励まされているなあと思います。
自分らしく生きなさいと言われました。
母と喋っていると鏡を見ているようで、自分と喋っているような感じがします。
自分を生んでくれたことに対しては一番感謝しています。
近くにいてあげればいいとは思いますが、こんな仕事をしているので悪いなあとは思っています。(涙ながらにしゃべる)
旅行とかには連れて行ってあげたいと思いますが。
歌を歌い続けるのが親孝行かなと思います。