2019年12月3日火曜日

井上幸子(人形劇団代表・演出家)      ・人形劇を地域に伝え続けて90年

井上幸子(人形劇団代表・演出家)      ・人形劇を地域に伝え続けて90年
今から90年前、1929年12月21日人形劇団プークが設立されました。
創立メンバーは川尻東次ら18人、『兵士シュベイクの冒険』、「三人のふとっちょ」など上演しました。
3年後に川尻東次が亡くなると、弟の川尻泰司が劇団の存続を踏襲する事になりました。
戦時中はプロレタリア演劇運動の実践を理由に治安維持法のもと活動休止を余儀なくされました。
敗戦後の1946年11月に再建され、以後今日まで幅広い活動を続けています。
井上さんは1952年東京都出身、12歳の小学生の時プークの人形劇「オツベルと象」をみて魅了されました。
1972年に劇団プークに入団、人形使いの俳優をはじめ脚本の作成、演出の仕事に携わってきました。
今年夏の創立90周年の記念公演では「オツベルと象」の演出を担当しました。

出来るだけ社会に自分たちの仕事を問いたいという思いがあり、前年から準備してきました。
プレ企画、歴史をもう一回勉強して自分の言葉でプークを語れるようにしようという目標をもって1年間6回勉強会をしてきました。
三本柱をたてまして、一つは展示会でプークが大事にしてきた平和を柱にして、一番最初に上演したかしらを飾ったり、青い鳥の上演許可を頂いた手紙、検閲台本を飾ったりいろいろ展示をしました。
記念公演では役者が総出演したいという事で、宮沢賢治の「オツベルと象」をやりました。
記念誌の最後の追い込みですが、プークの10年ごとの活動を纏めてきて、今この10年間を纏めている最中で95%ぐらいできました。
節目の年に「オツベルと象」をやってきました。
今回演出を担当しました。
短編なのでどうしたら人形劇として面白くなるか、皆さんに伝えたいと言う事はどういうことかとか2年をかけて本を作りました。

1929年12月21日人形劇団プークが設立されました。
プークはエスペラント語です。
平和運動の一つとしてエスペラントを創立メンバーが勉強していて、正式名はラプパクルーボ(LA PUPA KLUBO)と言いますが、ラは冠詞、プパは人形、クルーボはクラブです。
PUKでプークという様になりました。
創立当時学生さんが多くて、中村伸郎さん、吉田 隆子さんなどがいました。
川尻東次が結核で亡くなり、消滅しかけましたが、弟の川尻泰司が引き継ぎたいという事で引き継いできました。
戦時中はプロレタリア演劇運動の実践を理由に治安維持法のもと全員検挙され、活動停止に追い込まれました。

1946年に再建されましたが、仲間も戦争で亡くなったり、獄中で亡くなったりかなりばらばらだったようです。
段々人材もそろってきました。
メーテルリンクの青い鳥の公演が許可されました。
メーテルリンクは日本とドイツには公演の許可を与えないという遺言書が書いてありました。
戦争中、プークがどういう活動をしてきたかを、メーテルリンクの遺族の方に手紙を出して最終的には許可を得ました。
22回公演をして満杯だったようです。
プークの活動も軌道に乗ってきた時代でした。
その後海外にも活動した時代がありました。
国際人形劇連盟があり、1957年ぐらいからプークがそこに参加してゆくようになります。
核廃絶の事も川尻は提案していきました。

最初のプークとの出会いは12歳(1964年)の時に先生が連れて行ってくれて、「オツベルと象」を見ました。
それが物凄く印象的でした。
小さい時から書くことが好きでした。
1972年に劇団プークに入団しましたが、とにかく何でもやりました。
80人ぐらいしかいない或る小学校で上演した時に、準備段階から授業そっちのけで私たちの作業をみていて、上演後も子どもたちがお礼の歌を歌ってくれて、炊き込みご飯とニジマスの塩焼きを食べさせてもらって、帰るときには車が見えなくなるまで手を振ってくれました。
入場料の足しにするために子どもたちはホウセンカの種を「プークが見たい、プークが見たい」と言いながら拾って対応したそうです。
私たちの仕事の役割はこういう事なのかなと実感しました。

東日本大震災の後に現地に行くかどうか、議論しました。
「オズの魔法使い」の脚色、演出をした作品を南相馬の小学生のところにもってきてほしいという事がありました。
作品そのものの議論と、正直この時期に行くのも怖いという事もありました。
しかしこういう時こそ行こうという事になりました。
子どもたちは集中してみてくれました。
1994年の夏に「ぼちぼちいこうか」というナンセンスな絵本がありましたが、それの演出をはじめてやりました。
大人むけのプークの「牡丹灯籠」は人形劇の作品に変えさせてもらいました。

子どもの芝居は90%ぐらい作り続けてきました。
日本には人形劇団はおよそ50ぐらいありますが、プークぐらいの規模の劇団は5劇団ぐらいです。
二人でやっているようなグループも多いです。
学校の演劇教室が無くなってきています。
一時期に比べて全体的に規模が縮小してきてしまっています。
赤ちゃんに見せるという話がありましたが、お母さんに抱かれてみていました。
お母さんを含めてそういう時間を過ごすことは人形劇には適しているんだなとここ数年で判ってきました。
大人の方の鑑賞会も一度見てくれると理解してくれます。
人形劇は手作りでいろんなことができると思うので、ものを動かして表現するのが人形劇の基本だと思っています。
各地にお百姓さんをしながら農閑期に人形劇をやっているのが非常に沢山あって、観ると生き生きして、生活に根差している、エネルギッシュでそういうものを、プークの舞台にもそういったエネルギーを感じる舞台を作りたいです。
若い人たちの手助けもしていきたいです。