2019年11月15日金曜日

澤登翠(活動写真弁士)           ・今、語りたい無声映画の力

澤登翠(活動写真弁士)          ・今、語りたい無声映画の力
東京生まれの澤登さんは1972年に無声映画に出会ってから46年間、活動写真弁士の道を歩み続けています。
澤登さんは来月公開が予定されている周防正行監督の映画「活弁」に弁士の監修として参加しました。
音声がない古い映画には力がある、と話す澤登さんに伺いました。

周防正行監督には以前から私たちの会でお世話いただいていて、「活弁」という弁士の主役の映画という事で心強く思っていました。
恩師の松田春翠先生が設立しまして、60年も経つ会です。
春水先生が集めた国内外のフィルムを月に一回無声映画の鑑賞会を都内で行っています。
周防監督は物腰が柔らかくて、若いころから映画館に通って弁士に注目してくれてありがたいです。
今は弁士を知らない人がいます。
100年近く前に人間こんなことを考えていたんだ、こう喜怒哀楽を表現できていたのかという発見と驚きです。
毎回発見があります。
スターも素敵です。
坂東妻三郎、ドルフ・バレンチノ、長谷川一夫、田中絹代、入江たか子、大河内伝次郎、チャップリン、ロイド、キートン百花繚乱のスターがいて、熱狂的なファンがいて、とても素敵です。
弁士の魅力も大きかったと思います。
言葉の美しさもありました。

1972年に無声映画鑑賞会に行き松田春翠先生の語る「滝の白糸」を見ました。
すっかり感動して弁士の世界に憧れて弁士の世界に行きました。
松田春翠先生の弟子にしていただいて有難く思っています。
両親は応援してくれました。
先生は少年弁士として戦前にデビューされて、戦後になって貴重なフィルムを集めて6000巻ぐらい集めて、無声映画の上映形態を復元しました。
外国から入って来た無声映画時代の30、40年間は弁士が活動していました。
一番多い時には7千数百人いましたが、今は10数人です。
始めた当初は再生装置がなかったので、観て頭の中に記憶して書いていって、語って、台本を作っていきました。
難しいのは喜劇です、タイミングがずれても駄目だし、説明しても駄目だし難しい。

ベルギーに行ったときに「滝の白糸」を語らせてもらいましたが、日本語で語り英語の字幕がついているが、終わってもお客さんが帰らないで、急遽質疑応答の時間を設けて、日本語がわかる大学の先生がいて、先生を介していろいろ質問がありました。
楽屋から外に出たが興奮冷めやらずまだいらっしゃいました。
胸に焼き付いています。
失敗は、最初のころ北海道に行ったときに機械の故障で緞帳が上がらなくなった時に、お客さんが退屈しないようにお話していなさいと言われたが30秒ぐらいで帰ってきてしまって先生からすごく怒られました。
若いころ気付かなかったことが一杯気付くことがあります。

*「瞼の母」の場面を語ってもらう。
1931年の時代劇 原作 長谷川伸 主演 片岡千恵蔵
ナレーション、忠太郎、お母さんなどを演じ分ける。
映画の心情を思いやっているうちに、自分なりにその人の性格表現を編み出しました。
小唄、義太夫を習いました。
腹式呼吸、音読、歌を歌うなども声の訓練にはいいと思います。
TVの音を消して自分でやる事も楽しいです。
無声映画を初めてみた人はエッと思う方が多いです。
今に通じるテーマを最大限に表現していて、凄いなあと思いますとか、何とも言えない暖かさなどを感じます、という感想を聞きます。
映画に生きる人たちのその姿に人間の基本的な在り方、喜怒哀楽、奥底にある情動を100年前の映画に発見するという事、そういったことに無声映画の力を感じます。
私たちが直面しているいろいろな問題をすでに100年前の映画で取り入れられていたことにまず驚きがあり、物凄く数多くつくられていて、多ジャンルにまたがり、琴線に触れます。
無声映画を皆さんに知っていただきたいというのが願いです。
夢としては無声映画常設館があるといいと思います。
自分で無声映画を作りたいという思いもあります。