2019年11月13日水曜日

白井操(料理研究家)           ・兵庫の酒造りの情熱を伝えたい

白井操(料理研究家)           ・兵庫の酒造りの情熱を伝えたい
白井さんは関西を中心に活躍している料理研究家。
TV、ラジオの料理番組に出演したり、ご自身のクッキングスタジオで教えたりと忙しい日々を過ごされています。
白井さんは日本酒について特に詳しいという訳ではなかったんですが、震災をきっかけに山田錦をつくっている人に出会い、酒の奥深さを知りました。
酒米の最高峰といわれる兵庫県の山田錦に特化して、日本酒を調べ実際に酒蔵を取材し、インタビューをして「兵庫の酒がつなぐ30の物語」という一冊の本にまとめました。

料理のレシピ、番組とか本をつくったりしていますが、レシピを考えることはわくわくします。
企業のお仕事が多いです。
NHKの今日の料理で「お父さんの台所塾」を2005年から2007年に渡って担当しました。
昔は台所に入らないような教育がありましたが、段々長生きをしてきて、家族が倒れたときにちょっと楽しく料理ができたらという事が「お父さんの台所塾」のモットーでした。
長いも、ジャガイモなどを簡単にできる方法を紹介したりもしました。
温かいものを家の人に食べさせてあげるだけで料理ができるかもしれないと思うわけです。
料理を通してちょっとしたことで会話が生まれるというのも、病気になっても仲良くできるという事かなというのが番組のコンセプトかなと思います。

「兵庫の酒がつなぐ30の物語」は3年ぐらいかかって出版しました。
阪神淡路大震災の20年後に、ある方がおむすびを1日6000個も作って配ったという話を聞きました。
その方のご主人が山田錦という酒米をつくってるという事を聞いてお会いして日本酒の奥の深さを知りました。
地域に役に立つ本をつくりたいと思ってお酒の本をつくりました。
山田錦を作るのは難しいのですが、農家の方たちの熱い思いに感動しました。
山田錦の特性を維持してゆくという事はずーっと一人の方が(それにかかわる人はいますが)原々種の種を約500本ずつ田んぼで栽培して、収穫したものを1本1本手作業で確かめて、次の年の原々種となる1本を選ぶんです。(一種送伝)
今回の本はいろんな蔵のオーナーさんにインタビューしたり、問屋さん、料理屋さんとかの人柄を伝えつつ本を作っていこうと思いました。
兵庫県は酒蔵が71ぐらいいありますが、今回は30蔵という事になりました。

山陽盃酒造という酒蔵に行ったら当日が火事になっていました。
辛くて一緒に泣きました。
再度取材に行きました。
お酒を造る家でこの場所が燃えたらもうできなかったというところまで10mちょっと離れていて無傷でした。
お見舞いのお菓子を送ったが、のし紙に「みんな応援しているよ」と書いて応援しました。
山名酒造の山名さんが言うにはお坊ちゃんでピアノを習っていたりしたら虐められて、おばあちゃんのところに逃げていたが、何年かたって父親の苦労を思い出して作ったが、当時荒れていてあまりうれなくなっていたが、南部杜氏を探して何年か苦労して「木札」というのを作って、物凄く売れて、これからという時に南部杜氏の高橋さんという方が雪の中で倒れてなくなってしまったりして、涙なくして語れません。

日本酒の良さもようやく判ってきました、飲めたら楽しいですね。
高い酒はそれなり理由があることも判りました。
旨味浸け、魚に塩と酒を振りかけておいて密封袋にだし昆布を加えて入れておくと、昆布締めのようになって、料理も楽しくなります。
お酒は奥行き、幅とか料理がおいしくなります。
自費出版しましたので、蔵元に置いてもらったりインターネットで販売したりしています。
普通の料理の本よりもメッセージが熱いです、心がつながったと思います。
小学校の終わりごろ母がぎっくり腰になって、ご飯を作ったのが最初でそれから料理が好きになりました。
いつの間にか40年が経ってしまいました。
タンパク質とか野菜とかバランスのいい食卓だったらいいなあとお伝えしています。
魚がおろせるようになると楽しいです。
鋏でおろすのをTVでやったことがありますが、最初はたたかれましたが、最近は普通にやるようになりました。

神戸大使として2003年に就任しました。
震災の時の神戸方式というのがあります、助け方、料理、トイレなどがあります。
「食から学ぶ震災の記録」 ホームページから入ることができてコピーも可能です。
次の世代がもし同じ様な災害に見舞われたとき、この時の記憶がひとつでも心に残っていたらそれは何かの助けになるはずだと思いました。
昔からの知恵が、きっとそのことを作ることが自分の体にも有難い、料理を通じてみんなが楽しくなれば、健康であればいいなあと思います。