2019年10月9日水曜日

室屋義秀(エアレースパイロット)     ・自分を制し世界で勝つ!

室屋義秀(エアレースパイロット)     ・自分を制し世界で勝つ!
1973年奈良県生まれ、46歳、20年前から福島市を拠点にして操縦技術世界一を目指して練習を重ねてきたという事です。
出場していたエアレースは空のF1ともいわれるモータースポーツで世界のトップパイロットが時速370kmで飛ぶ小型機を巧みに操って、障害物を避けながら速さを競うものです。
アジアから唯一参戦していた室屋選手,2017年に世界チャンピオンに輝きました。
そのエアレースは先月千葉市で行われました、今回の最終戦を持ちまして大会の開催が終了しました。
最終戦に優勝し有終の美を飾った室屋さんですが、そこに至る道は借金や敗北など険しいものでした。
それらをどう克服してきたのか、今だから語れる本音や子どもたちへの将来の手助けになりたいという今後の活動について伺いました。

エアレースの最終戦、11年取り組んで最終戦も優勝できてほっとしています。
国内では各地でエアーショーもありますし、フライトの量としてはあまり変化はありませんが、海外への遠征は減ると思います。
飛行機の最高時速は370km、高さ25mの空気で膨らました障害物を巧みにかわしながら1分ぐらいのレースを世界14人のトップパイロットが繰り広げてゆく。
勝敗をわけるのが1/1000秒という言こともある、距離にしたら10cmになる。
飛行機の準備、自分のコンディション、緊張の度合いによって、1/100秒は簡単に変わる。
コンディションを10年以上保つというのは、基本的には休みが無い状態がずーと続いていました。
海外では空軍のパイロットなど、かなりいい環境があり、トレーニングを重ねてきているので、彼らよりは努力を3,4倍もトレーニング、準備を重ねてきました。

大学に進学して航空部に入って18歳の時にグライダーに乗りました。
20歳の時にアメリカに行って免許を取って、いろいろ飛行機を見たりする中で知らない世界を知りました。
1995年卒業の年に兵庫県の但馬空港でフライティングワールドカップという大会があり、最上級クラスのアクロバティック飛行を見て凄く衝撃を受けました。
自分も操縦士と目指すならこれだなと思いました。
バブルが崩壊して、エアラインパイロットの採用はゼロでした。
アメリカに渡って訓練をして日本でアルバイトをしてという事を2年間過ごして、その中で操縦技術を極めたいという事が明確になってきました。
25歳で日本に帰ってきました。
エアショーを生業として生きてゆく事は少なくて非常に難しい世界であることは判っていました。

福島にできた農道空港(ふくしまスカイパーク)が1998年にできて翌年ここを拠点にして活動を本格的にやる事にしました。
当時飛行機が無くて、個人機のオーナーもいて、その人たちに教えることができたので自分も勉強するという事が3年ぐらい続きました。
生活水準は非常に厳しくて、食べるのにも苦労しました。
中古機を3000万円で借金をして購入しました。
銀行は貸してくれないので、エアロバティック操縦技術で世界一になるという事を言っていたので、周りからお金を何とか借りました。
お金は返せないかもしれないとは言っていました。
2002年に購入して活動を始めましたが、飛行機を維持して飛ばしてゆく事は、購入前よりも厳しかったです。
2003年にはエアロバティックの世界選手権に挑戦しました。
2007年にスペインへ挑戦しましたが、スポンサーが本格的に付くようになってパイロットとして生活ができるようになりました。
2006年にデモストレーションをする機会を得て、スポンサーとなってくれる社長の目に留まって翌年の世界選手権への道が一気に広がりました。

2008年には10か月ヨーロッパでトレーニングをしていたので、周りは超一流の選手ですが、かなり行けるのではないかと思って2009年に参戦しました。
デビューの年はコースを飛びきるのがやっとで厳しかったです。
15名飛んだ中の14位でした。
2010年 機体の改良などもしましたが、最も戦えなかったです。
失敗したりして悩んでいたので、本を読んだりする中でメンタルトレーニングをすることになりました。
それまでは気合と根性で乗り切れると思って誤解していました。
どういうことをしたらいいのか、何が足りないのか、徹底的に見直してゆく事から始まりました。
能力、自信など丁寧に一個づつやってゆくわけです。
一日の人間の活動の中で余計なことを考えている時間が50%ぐらいあるらしいです。
余計な時間をいかに少なくして効率を上げてゆくか、朝考えてこれこれをこうするんだと明確にして、雑音に振り回されなくなるので一日の効率が良くなります。
それを毎日やるわけです。(30分ぐらいかけて考えをめぐらします。)
習慣になってくると気持ちいい一日が送れることが判ってきます。
自分のイメージ通りに飛ぶようになってくるし、チームの体制を含めて何が必要か明確になってくると、全部がゆっくり育ってゆくので実感できるようになりました。

2017年では年間総合優勝、操縦技術世界一になりました。
世界チャンピオンになるんだというイメージトレーニングはそれこそ何万回もしてきました。
福島県民栄誉賞をもらうことができました。
エアレースが無いのは一つのビックプロジェクトが終わって、エアショーは20年続けてきていますし、「空ラボ」という新しいプロジェクトもできて今後もフライトしてゆくと思います。
小学校3年生~中学校2年生まで、空に関心を持ってもらうためのものです。
グループとしてコミュニケーションをとって一つの目標に向かってどう進んでいくのかという事を学んでもらって、将来の自分探しをしてもらう事が大きなテーマです。
自分のやりたいことが判って来たら、生きてゆくきっかけになれればいいなと思っています。
自分が飛べる限りはエアショーは続けていきたいと思っています。