2019年10月30日水曜日

堀澤祖門(天台宗三千院門跡・門主)    ・悟りを求めるわが人生

堀澤祖門(天台宗三千院門跡・門主)    ・悟りを求めるわが人生
昭和4年新潟県おじや市生まれ。
小学生のころから日中戦争、太平洋戦争と続く中、中学時代には軍需工場に勤労動員されたりさらに海軍兵学校に入学と、戦争が日常の時代を送りました。
戦争が終わり昭和22年旧制新潟高校に入学します。
ここでは新入生は全員寮生活。
堀澤さんは上級生の寮長が語る「再誕」という言葉に感銘を受けました。
「再誕」この世に生まれかわるという事ですがこの言葉に強く共感したのです。
その後京都大学経済学部に進学しますが経済学に関心を持てず人生に悩み、或る時は比叡山をさまよい歩き白い霧と山の緑に包まれているうちに自分が感性を失っている事に気付きます。
これがきっかけで天台宗の修業僧の世界に飛び込みます。
学生服のまま修行に見習いをしていた堀澤さんは千日回峰行者の葉上 照澄(はがみ しょうちょう)さんに出会います。
その時命がけで修行の道に入れば「再誕」の問題が解けるのではないかと思ったのです。
堀澤さんは12年籠山業を戦後初めて成し遂げます。

三千院は1200年の伝統を持つお寺。
伝教大師(でんぎょうだいし)のお住まいとして建てられたのが始まりといわれる。
皇室の方々が出家してお入りになったので門跡という事になりまして、大原は三千院の領地として統括していました。
明治の初めごろに「三千院門跡」といわれるようになりました。
6年前に門主(もんす)(62世)となりました。
伝教大師は道心という事を大事にされました、「道心ある人を名付けて国の宝となす」と言っています。
悟りを求める心を持っている人を道心と言います。
昭和4年新新潟県小千谷市生まれで8人兄弟の7番目でした。
小学校6年の時に太平洋戦争、中学校は軍事工場へ勤労動員、中学校4年生で海軍兵学校佐世保の予科兵学校へ、空襲があるのでほうふ?に疎開、そこで集団赤痢になってしまった。
かなりの人が亡くなりました。
父が無理に連れて帰りました。
あまりに衰弱しているので駄目だと周りでは思っていた様ですが、希望があったので生き延びたと思います。

友人が上の学校へ行こうという事だったが貧乏でいけないといって、受験勉強だけ付き合うことになりました。
新聞紙に合格の発表があり受かったのを知り二人で喜んで抱き合いました。
それを見て母親が父親に頼み込んで学校に行けることになりました。
昭和22年旧制新潟高校に入学して、全寮制の寮に入りました。
寮長が語りだしたのが「再誕」という言葉でした。
自分を本当に生みなおさなくてはいけない、今までは両親に産んでもらっただけで、両親の世話でおんぶにだっこでした。
「どこにお前の本物があるのか、この高等学校は本当の自分の人生をつかむかどうかの正念場の場所だ」といって、そのためには自分をもう一遍見なおせということでした、それが「再誕」と言いますが、非常に感動しました。
再誕するという事は悟りを身に付けるという事に代わってしまって、私の公案になってしまいました。

まず知識がないとだめだと思って、古今東西の古典に学ぶしかないということでそのことが3年間の大きな仕事になりました。
哲学はやればやるほど、即答のあるものではない。
法然、親鸞の概説書などを読みました。
自力万能で来た人間が「他力」という言葉に出会って、阿弥陀仏の力を「他力」というが、他人の力としか理解しないから、にっちもさっちもいかなくなった。
哲学書を読んでも救われなくて、哲学の冷たい理論だけの世界に対して信頼感を失って自分の行くべき道が判らなくなってしまった。
京都大学の経済学部に進学するが、なんでこんんな所に来てしまったんだという事で2か月ぐらい下宿でゴロゴロしていました。
夜中も眠れなくて、何故か比叡山という想念が頭に飛び込んできました。
比叡山に行かなければいけないと思って(昭和25年の時)5月に冷たい霧と新鮮な緑の中を歩いていたらいつの間にか気持ち良くなっていました。
理性だけを使って3年間やってきたので感性というものを無視していた。
冷たい霧と新鮮な緑が全身に伝わってきたのでそれが喜びに変わったんでしょうね。

あるお坊さんに出会って、寺で生活することになりました。
葉上 照澄あんが(はがみ しょうちょう)が千日回峰行の三百日ごろをやっていました。
葉上さんは第六高等学校 (旧制)から東京帝国大学文学部哲学科を卒業し同年、大正大学で専任講師となり、来ていました。
彼は日本はこれからどうするか、教育だ、教育しかないと思っていました。
彼は叡南 祖賢(えなみ そけん)に出会い、弟子になり千日回峰行の三百日ごろをやっていました。
そこで私が叡南 祖賢(えなみ そけん)に出会って、行者になるしかないと思いました。
比叡山では本格的な修行としては回峰行と籠山行があります。
叡南 祖賢(えなみ そけん)の弟子になって、オーソドックスな修行がしたいといったら、千日回峰行を志す者は多いが、十二年籠山行を行う者がいないと勧められました。
籠山行は師匠がいなかったので、本を読んで見様見真似でやりました。
山は湿気が多くて、体力が徐々に落ちてきました、慢性的な下痢になりました。
佐保田鶴治のヨガ指導を受けながら、満行しました。
「身心脱落」 道元禅師の禅を考える上で非常に大事な言葉。
身体も心も抜け落ちてしまったのが「身心脱落」です、つまり「空」になってしまったという事です。
相対関係があるうちは空ではない、私とあなたがいるので、仏教では色と言います。
目に見えるものは全部色なんです。
色は空であるという事を般若心経で言っています。
空でなお且色である、色即是空、空即是色と言っています。
相対関係の価値観しかない、それは迷いです。
もともと一元から人間は生まれてきた、生まれるという事は一元から二元に来るという事で、死ぬという事は相対関係から一元に戻る事。
相対になると「俺が、俺が」という事が出てき、自分中心になる、欲の塊になる。
権力を欲しがりお金を欲しがり、愚の骨頂だが気が付かない。
それがお互いに戦争という事を起こして駄目にしようととしているからとんでもない。
迷うから苦しむ、相対関係という枠の中にいるから苦しむ。
相対という枠を取っ払えばいい、それが道元のいう「身心脱落」であり、釈迦のいう事です。
修行は同じことをやるが、頭で判ったことをそれを身体に判らせるためにやるわけです。
釈迦は「生老病死」という枠を外した。
二元は相対です、『一元絶対」という言葉があります、もともと一つしかない。
絶対は相対関係を絶すること、二元が無くなったという事が一元、「身心脱落」が一元です。