2019年10月25日金曜日

今森光彦(写真家・切り絵作家)      ・【人生のみちしるべ】よみがえれ!命の里山

今森光彦(写真家・切り絵作家)    ・【人生のみちしるべ】よみがえれ!命の里山
今森さんは1954年 昭和29年滋賀県の生まれ。
大学卒業後独学で写真技術を学びフリーの写真家として活躍されてきました。
自然の造形を鮮やかに切り取る切り絵作家としても知られています。
今森さんのアトリエ、自宅があるのは滋賀県大津市「オーレリアンの庭」と名付けられた場所です。
オーレリアンというのはギリシャ語で蝶を愛するナチュラリストという意味です。
今森さんは30年かけて理想の里山を作り上げてきました。
実は今森さん、新たな挑戦で悪戦苦闘の日々を送ってこられたといいます。
一体どんな挑戦をされてきたのか、今森さんが撮り続けている里山の風景への思い、人生の道しるべになってきたものを伺いました。

10月の終わりごろになってくると稲刈りが終わり、まっ黄色だった田園がセピア色になります。
雑木林では紅葉まだですが、一番先に鮮やかな赤に色付くのが漆です。
昆虫は四季折々に存在します。
夏は昆虫教室を開いて全国から子どもたちが集まってきます。(21年ぐらい開催しています)
去年までは琵琶湖の北にある雑木林で開催していましたが、子どもたちが安全に遊べる土台ができたので、今年からはアトリエの近くにある棚田を舞台に開催しています。


60歳になるときに、農家になりたいと思い、農家になる申請をして、農地を4~5ヘクタールぐらいの土地を入手することができました。
或る企業が協賛していただいて、土地を確保していただき延べ8ヘクタールできて、手を加えて生物の多様性がぐっと高くなるのでそれを目指しています。
作物を収穫するわけではなくて、生き物に利用していただける様な環境作りをしています。
一番大変だったのは、農家の人がギブアップしているような土地でした。
昔は段々畑だったのが竹林になってしまっていました。(耕作放棄地 45年間放置)
殆どそのような土地でしたが5年をかけて棚田に再生して菜の花を咲かせました。
3年は竹しか刈っていませんでしたので、肩が腱鞘炎になって物凄く痛くて夜も眠れないほどで、1年間駄目でした。
色々計画があったが体調のこともあり辞めようと思う時がありました。
今後はどんどん土地は良くなっていくと思います。

小さいころに育った環境が大津の旧家で、伝統行事が家には残っていました。
神社の境内の森に行って遊んで、琵琶湖にいっては釣りをして遊んでいました。
少学生の頃の自然はなくなってしまい、琵琶湖に住んでいた在来種はほとんどいなく外見はのどかでも中はブラックバス、ブルーギルに代わってしまっています。
どんどん悪い方向に進んでいきました。
開発と補助整備という田んぼの区画を大きくする(生産性を上げるため)これが自然を破壊していきました。
湿田だったのが乾田(水路を設けて必要な時だけ水を入れる)になってしまい、湿地性の植物が全部だめになってしまいます。
外来種は入りやすくなり、メダカ、イモリ、カエルはほとんどいくなり、鷺などの野鳥が来なくなりました。
自分が深く入って内側からものを見ることによって、里山の考え方が変わってきて撮影の仕方、作品性が変わります。
テクニックは割と獲得できるが思考はなかなか獲得はできない。
私の場合は農地という事に現れています。
新しい作品としての始まりがあると自分では思っています。

切り絵は小学校1年から6年生までやっていまして、ありとあらゆる生き物をやっていました。
日本には蝶々が240種類程度いますが、200種類ぐらいは切れました。
実体験による観察と、図鑑はよく見ていました。
触ったり見ていることはデッサンとよく似ています。
海外取材が多くて30代から40代は日本には1年の半分はいませんでした。
写真取材を通していろんな体験をすることができました。
帰ってきて里山環境の大切さがわかってきました。
雑木林の価値は非常に高いと思います。
熱帯雨林は50mぐらいの高さの木が数百m先にしかなくて小さな木がつまっているが粗の状態です。
昆虫とか鳥が一杯いるように思えるが、そういった動物も粗の状態です。
熱帯雨林は大きな歯車がゆっくり回っている状態です。
日本の方はちっちゃな歯車がくるくる回っている状態で、潰れやすいが再生しやすいんです。
熱帯雨林は壊れたら大変で破棄してゆきます、戻るのには数百年、数千年かかりますが、雑木林は数年で戻ります。

定住者としてずーっとみると、環境の変化が見えてきます。
小さなころに体験した豊かな里山的農村環境があって、歳をとってゆく中で悪い方に変化してきました、それが原動力になっています。
風景の絶滅危惧種として扱うべきだと思うぐらい風景が変わってきています。
プロの写真家になってからの道しるべは環境です。
里山を追いかけてきて人と生き物の共存ですね、共存空間として日本の自然を考えないと大変なことになると思います。
生き物がいなくなると人間もいなくなってしまうと思います。
子どもの頃に自然観を養っておかないと、感性もあるので大人になってから理屈だけでは理解できないと思います。
参加して清掃作業などすると格段に大きな進展があります。
そこでコミュニケーションの場ができて、そこに生き物の事をやっているとがぜん違ってきます。
自分がやっている農地の完成度を高めていって、生物多様性を高めていきたい。
地元の人たちにとって意義のあるようにしたいです。
日本中が耕作放棄地にどんどんなってゆくので、大変です。