2019年10月15日火曜日

髙橋真理子(宙先案内人)         ・星と人をつなぐ

髙橋真理子(宙先案内人)         ・星と人をつなぐ
長い間山梨県立科学館のプラネタリュームで星の魅力を多くの人に伝えようと様々な企画や番組制作を行ってきました。
2016年に独立して山梨県を拠点に星つむぎの村を作りました。
星紬の村は星を介して人と人をつなぎ、一緒に幸せを作ろうと村人と呼ばれるボランティアとともに星空観察会や星や宇宙に関するワークショップなどを行っています。
活動の中でも特に力を注いでいるのが病院のプラネタリュームです。
重い障害や長期入院でなかなか本物の星空を見る機会がない人たちのために、全国の病院や施設に美しい星空や宇宙を届ける取り組みです。

宇宙と自分とのつながりというものが自分自身の一番のテーマなので、そこにいざなうという意味合いの宙先案内人という事です。
今年で6年目になります。
最初の年は15件でしたが、50、80となり毎年増えてきています。
山梨大学付属病院の小児科医の犬飼先生という方と2007年にお会いして、昔は天文少年だったそうで、プラネタリュームをやりたいと話をしたら、二つ返事でやろうという事になりました。
そこからいろんな病院に広げることができました。
何をどうやるかお伝えしながら、行く先々で環境や患者さんが違うので打ち合わせ入念にをしながら毎回行っています。
ライブであることを生かす感じでやっていますが、まずはその日の夜の星空です。
満天の星空を見て、星座を見て、誕生日の星座をやっていて、やはり自分の星座が見つかると嬉しいので全部の12の星座を見せるようにしています。

私たちが使っているソフトは優れたインターラクティブなソフトで、宇宙に飛び出ることができて、自由自在にどこでも好きなところに行けるようになっています。
火星がだんだん近づいてきて、火星を投げるとか、宇宙の果てまで行って、自分たちのいる場所も判ってきて、自分たちの命の歴史をたどってゆくと、宇宙の始まり、138憶年前まで行ってしまって、又地球に戻ってきて、再び星空を見ながら夜明けまでくるわけです。
数千億の中に一つが天の川銀河でその銀河の数千億の中の一つが太陽で太陽の周りをまわる惑星の一つに命の星があって、38億年の命のリレーが途絶えることなく地球があり、そこでみんなで星を見たねと声をかけて朝になるという事で、20~30分やりますが、一体感があります。
最初は暗くて怖いと言っていた子、重度の障害者の子などがいますが、喜んでくれます。
看護師さんたちも夢中になってしまいましたとか、癒されましたと言ってくれます。

医療関係者、福祉関係者など命にかかわっている方たちには特にお見せしたいという思いはあります。
プラネタリュームで誕生日の星座をお見せして、この子が生まれてきた意味がやっとわかりましたという難病の子をかかえたお母さんがいたりしました。
重い病気を持つ家族にとって誕生日を祝う事すらつらかったという事がありますが、連綿と続いてきた命の中でその子は自分を選んでここに来てくれたんだなあと思ってもらう、そういう感想を頂けることがままあるのでまだまだやらないといけないと感じます。
私は生まれたのは東京で、直ぐに埼玉に引っ越して、中学は機械体操部で、高校はボート部で全国大会に出るようなレベルでした。
機械体操部の一つ上の先輩から自分の夢は語るのがいいんだという事を言われて、やってみたいことを口にする習慣ができました。
高校3年生で理系、文系に分かれて物理のいい先生に出会って、理系の勉強を始めました。
写真家の星野道夫さんが1996年に43歳で亡くなりましたが、星野さんとオーロラの研究をされているアカソフ先生というアラスカ大学の先生がオーロラのことを話をしている記事があり、それを読んでオーロラへの研究心が動きました。

オーロラのことを調べ始めて、北海道大学に地球物理学科があることが判って、これしかないと思って目指しました。
地球物理学科に入ってオーロラの研究をしたいと言ったら、4年生とかマスターの学生さんたちがポカ-ンとして、うちはオーロラの研究なんかやってないよと言われてしまいました。
その後名古屋大学の大学院に行く事になりました。
オーロラは電磁気現象でオーロラが出る時は電離層の中に物凄く電流が流れて、磁場が乱れますが、磁力系の観測からどういう電流が流れるのか逆計算するようなシュミレーション的な研究をしていました。

大学院から博士コースになったころにオーロラに電流が流れることが自分でそんなに知りたいのかと疑問をもって、一生を費やしてやる事に対して全然そうではないなと思いました。
落ちこぼれているときに写真家の星野道夫さんが熊に襲われて亡くなってしまいました。
そもそもいったい自分は何かという風にゼロまで行ってしんどい時期で、星野さんが亡くなって1か月後にアラスカにいって、今まで自分は何をしてきたのかとか、こういう自分が好きだなあという自分はいったいどこにあったのかとかとか、全部書き出していきました。
人が好きだとか、人を相手にする仕事をしたいとか、せっかくここまで科学をやってきたので科学と社会をつなぐような仕事ができるのではないかと段々思い始めて、行きついたのが科学館や博物館で科学と社会をつなぐような仕事ができるのではないかと思いました。

全国の科学館に手紙を出して、山梨県立科学館が新しくできるという事を教えていただいて、天文 プラネタリュームの募集がありそこを受けました。
プラネタリュームの番組と呼ばれる20分ぐらいの映画を作る仕事があり、シナリオを作ったり、映像、星空と音楽を合わせて、自分の言葉で伝える事も楽しくて、本当に楽しかったです。
番組つくりでもいかに地域を巻き込みながら、いろんな人たちを巻き込みながらという様なことは最初から意識してやっていました。
参加性のあるものを作りたいと常にやっていました。
12年前になりますが、JAXAの宇宙連詩の山梨版をつくろうと思いました。
詩人の覚 和歌子さんは山梨出身でぜひ一緒にやって欲しいと話をしたら宇宙と詩は似ているという事で引き受けてくれることになりました。
せっかく作るんだったら歌をつくろうと提案してくれて、全国に呼びけけて、300、400の言葉が集まり、覚さんが選び、新月と満月の時に募集して繰り返していって、半年かけてひとつの歌を作りました。
その歌詞には財津和夫さんに曲をつけていただき平原綾香さんが歌う事になりました。
宇宙飛行士の土井隆雄さんが2度目のミッションの時に、彼の応援歌と位置付けました。
*「星つむぎの歌」

星を見ることは一体何なんだろうかという事をいろんな活動を通していろんな言葉で教えてもらってきました。
他者のことも自分のことも俯瞰しながら、何かを伝える時に、星を見ながらそれができるといいなあと思っています。
ミュージアムを作りたいという事は大学4年の時から思っていましたが、星野道夫さんの亡くなった歳になり科学館を辞めることに決心しました。
いろんなところで呼んでくれて、待ってくれているので、そういう人たちがいる限り天職だなあと感じて、できる限りのことをやっていきたいと思います。
人間が人間として生きてゆくために星空というものが、人間のDNAの中に刷り込まれているのかなあという感じがします。
一緒にやる仲間を増やしたいという事、インターネットを介して星空をライブでお届けするフライイングプラネタリュームをはじめていまして、引きこもりだとか、いろんなところの人たちが自分は一人ではないと思えることができればいいなあと今計画中です。