2017年3月4日土曜日

藤井理恵(淀川キリスト教病院)   ・人生の最期に寄り添って

藤井理恵(淀川キリスト教病院 チャプレン )   ・人生の最期に寄り添って
淀川キリスト教病院は末期がん患者等の終末期医療を行うホスピスの草分けとして知られています。
ここでは医師や看護婦のほかに牧師も医療チームに加わり患者のケアーにあたっています。
藤井さんはその病院付きの牧師チャプレンを務めて26年になります。
患者さんが限りある時間を自分らしく過ごせるよう、そばに寄り添い話を聞き続けてきました。
多くの人びとと最期の時を過ごしてきた藤井さんに、与えられた命をどう生きたらいいか伺います。

チャプレンとは施設付きの牧師と言う意味です。
私の場合は病院で働いているものです。
各病棟の看護士、医師の方からこの患者さんの所に行ってもらったらいいのではないかと連絡が入ります。
いろんな苦しみを背負って暮らしていて、末期の患者さんも多くいらっしゃいます。
身体的な痛み、家族の関係、経済的な問題等、又魂の痛みも持っています。
どうしてこんな病気に自分がなってしまったのか、この苦しみには意味があるのか、自分の事が自分でできなくなって、人のお世話にならないといけない自分に生きて行く意味があるのか等、そういったものを魂の痛みととらえています。
関わる時に、まずはその人の話を聞くことから始まります。

69歳の男性の方、重たい病気で片足を切断している男性、病気の経緯を話してぽろぽろ涙を流して、だんだん悪くなって死を迎えてしまうんだ、とグルグル頭が回って病気の苦しみを訴えてこられた。
ある時、一緒に聖書の詩篇23篇という有名な個所を読みました。
「死の影の谷を行く時も私は災いを恐れない。あなたが私とともにいて下さる」
人生のどうにもならない苦しみに行かない事を願うのではなくて、たとえ行ったとしてもそこで必ず一緒にいて下さる神様が守ってくださるという事で、その安心感だと思います。
その方が、もう治りたいと思わなくなりました、心が安らかなのが何より幸いですといいました。
人間では支えきれない苦しみ、人間を越えた存在とのかかわりは、違ったものがそこで出てくると思いますね。

死の恐怖の苦しみで辛い思いをしていて45歳の女性の方、余命一月と宣告されてきました。
夫、娘3人を持つ母親ですが、宗教は支えにならないと言いチャプレンとは会いませんでしたが、死と子供に対する不安から自分の気持ちを抑えきれなくなります。
極限まで追い詰められて、接することになりました。
人とのつながりではどうにもならない限界にきていて、そんな時にその人の部屋に行く事になりました。
私は死刑囚のようだと叫んで、死にまつわる不安がいろいろ出てきました。
その時、ヨハネによる福音書を読みました。
「私を信じる者は死んでも生きる」
存在はなくならないということですね。
肉体は死んでゆくが、その人の存在自体は無になるわけではない。
神様のところで新しい命が生きるという事を伝えました。
絶望から希望に変わったと思います。
死を恐れていたのに葬式の相談をしました。

人間は生きている時に横の関係で生きていると思う。
家族、周りの人との関係の中で、答えを見つけていく方がいると思うが、横の関係だけではどうしても癒されない苦しみもあるわけですが、そういった苦しみについては縦の繋がりで答えを見つけていく事が出来る、そういう事がいえると思います。
死の恐怖を持っている方は、死を超えた希望があるという事を見つけたいと思うが、人間を超えた存在、自分の全部をゆだねる、つながりを求めるが、人との関係では見いだせないと思う。
自分は神様を指し示す役割と思っています。

昭和34年双子の妹として生まれ、敬虔なクリスチャンの両親に育てられる。
大学時代は世の中の役に立ちたいと思って、卒業後製薬会社で働く。
入社後間もないころ、信仰を揺るがす出来事がありました。
40代の男性がいて、心の病で仕事ができなくて、周りが無視する形でかかわりがなかった。
会議中にサイレンが鳴ってそして止まって、会議終了後その方が屋上から飛び降りで亡くなって、家族が来て肩を震わせて泣いている姿が見えた。
亡くなられた方は自転車で通っていたが、自転車がぽつんと置いてあって、友達が触るとたたりがあると言って吃驚してしまって、みんながその人を死に追いやったんだと思って、私も一緒だと思って、出来る事はあったと思ったが、逃げていたんだと思って、自分の信仰も問われたが自分のあり方も問われました。
信仰が生きていなかった事を凄く突きつけられた体験でした。

神学部に進んで見ようかと思いました。
会社を辞めて大学の神学部に入り、聖書やキリストについて学びなおします。
大学院卒業後(28歳)伝道師の職についてその一カ月後に、姉が急に発病して3日間で全身が動かなくる病気になりました。(ギラン・バレー症候群
小さいころから姉が守ってくれるような存在でした。
何故こんなふうになってしまったんだろうと思いました。
姉の病院にいった時に沢山の方が苦しんでいる事を体験として知りました。
病気だけが苦しいんじゃない事をしらされました。
31歳でチャプレンとして淀川キリスト病院で働きました。

最初は60代の女性で乳がんで骨に転移していて、歩く事が難しい患者さんだった。
あなたは私の支えですとか言って下さって嬉しかったです。
亡くなられて喪失感があり、ちょっと仕事ができなくなるぐらい辛かったです。
私がこの方に支えられていたんだと、気づかされました。
26年に渡って寄り添ってきた患者さんの言葉を書き留めてきました。
「私はここの病院で生きて神様に会えてよかった。
全く暗闇から光の世界に移されました。
病気になった事も感謝している、ほんとそう思ったら全ての事に感謝やね。」
その言葉が又誰かを助ける言葉にもなって行きますし、私自身もその言葉によって育てられている、替えがたい尊い言葉だと思っている。

70代の女性。
「人間て、一度持ったら手放せないものですね。」という言葉を残した。
クリスチャンの方で脳腫瘍、大腸癌3回の手術をした方で、元気な時は大学で人を育てる仕事をしていて、慕われていたという事で自分の存在価値があって、動けなくなっていって、自分の価値をなかなか見つけられない。
頭では分かっていたが心では受けとめられなかった。
リハリビで左手が動くようになって、ティッシュを掴んだが、掴んでも今度は離せないという。
平行棒を持って歩く時にも一回持ってしまうと離せないので、持ったら危ないからいけないといわれていた。
「人間て、一度持ったら手放せないものですね。」という、手放せなかったら前に進めないということです。
その方とは毎日聖書を読みました。

「いったいあなたの持っている中で、いただかなかったものがあるでしょうか。
もしいただいたのなら、何故いただかなかった様な顔をして高ぶるのですか」
あなたの持っているものは全部いただいたものじゃないですか、なのになんで自分のもののように高ぶっているんのですか。
自分のものだと思っていると、自分の思いどうりにならないことに対して辛くなるが、価値観も崩れていって支えてくれない。
神様のものだったんだと思って手放す、あるいは手放してもう一回神様のものとして受け止め直す、心の作業みたいな事が大事だと思っている。
かつての自分が手放せなかったがいただいたものだと思って、感謝を伝えていかれました。

患者さんには来てもらっていいという了解のもとに行くので、関係が難しいという事は多くはない。
59歳の方で、定年直前で胃がんになってホスピスに来ました。
自分を信じて生きてきたので、これからも自分を信じていきます、と言っていました。
来てくれと言うので行ってみました。
聖書に対しても批判的に言う事が多かったです。
病状が悪くなった時に両手を広げて沈んでゆく、沈んでゆく、誰か引き上げてくれと言っていたと家族の方が言っていました。
聖書の言葉は言いませんでしたが、その方が自分の哲学を話している時に、私は辛かった時にこれで支えられているという形で私の事として聖書の言葉は伝えていました。
口に筆をくわえて絵、詩を描いた星野富広さんの詩画集を一緒に眺めたりはしていました。
しかし、距離は感じていました。
亡くなられてから家族の方が話していましたが、手帳が出てきて聖書の言葉とか星野さんの詩などが一杯書き写してあったと言っていました。
限界を超えた時に神様の言葉とか詩に思いが向いたんだなあと思いました。

330人の患者をみとってきたが、自分に繰り返し問いかけてきた事があります。
患者一人ひとりに本当に寄り添える事が出来たのかということです。
自分にこだわっている私自身がいるわけで、のびやかにかかわる事が出来ないというところが、そういうところから来るのかとも思っています。
御手本にしている人物、マザー・テレサ
「自己からの解放」
「主よ、私は思いこんでいました。 私の心が愛に満ちていると。
でも心に手を当ててみて気付かされました。
私が愛していたのは他人ではなく、他人の中の自分を愛していた事実に。
主よ、私が自分自身から解放されますように。
主よ、私は思いこんでいました。
私は何でも与えていたと、でも胸にてを当てて見てわかったのです。
私の方こそ与えられていたのだと。
主よ、私が自分自身から解放されますように。」
人と寄り添おうと思っても、人間って自分中心になってしまって、自分がいい事をしていると、自分自身で思っていたりとか、自分からなかなか解放されない部分があると思う。