2017年3月27日月曜日

井村一洲(吟詠家)          ・日本語の美しさを吟じる

井村一洲(吟詠家)    ・日本語の美しさを吟じる
漢詩を日本語に変えて節をつけて発声する詩吟、この詩吟には多くの流派があってそれぞれ、吟じ方が違うとされていますが、美しい日本語の発声で間や抑揚、テンポに気を付けて、その詩が持つ情緒、詩情を聞く人に届ける、という事は共通して居ます。
井村さんが詩吟に興味もったのは二十歳の頃、大学を卒業して就職しますが、32歳のときに脱サラして、医療機器の会社を創業します。
仕事が忙しく詩吟から遠ざかっていた時期もありましたが、45歳の時に本格的に詩吟に取り組みました。
60歳で退職した後、レコード会社の全国大会で優勝するなどして、今は自分の会派で60人以上のお弟子さんをお持ちです。
今、井村さんはお弟子さんたちと小学生に詩吟を通して日本語の美しさを伝えようと活動しています。

吟と云う言葉はいろいろあり、呻吟(しんぎん)、苦吟、吟味とかある。
絞り出してゆく、自分の声として絞り出してゆくのが吟。
心の思いを絞り出すように出して行くのが吟だと思っています。
強吟、弱吟とかある。
自分の好きな漢詩を決められた読み下し文を使って、正しいアクセントと美しい母音で、言葉の明瞭さを保って詩情を聞く人に届けて共に感動しようとこんな目的で詩をうたうと云う風に思っていだだくといいと思います。
奈良から平安時代にかけて詩集が作られてそのほとんどは漢詩でした。
古今和歌集は900年に出来るがそれまでにできた詩集は全部漢字の詩集が出されていました。
和漢朗詠集は漢詩の一部と和歌、漢詩の持っている詩情を持っていた。
音読みのリズムの良さを感じて読み下し文にしていると思う。
音読みと訓読みの両方を加えた。
江戸時代になると、朱子学が主体の学問になるが漢学者が増えて、漢詩を勉強するようになり、一般庶民に広がって行った。

母音の美しい響きを損なわないように発声する。
「あ、い、う、え、お 」
「私、生まれも育ちも葛飾柴又です、・・・」
ざわざわしたところでは、歯切れのいい言葉でないと伝わらないので、歯切れのいい言葉を使った。
歯切れのいいところは母音が残っている。
1日に15人ずつ毎日稽古をしています。
2時間で5~6人で、若い人が25歳、40代、50~60代若干名、70代が多いです。

作詞者の思いを自分の思いとして、言葉の一つ一つにしていこうと云う思いで作りました。
吟題を言って、作者を言って、作った人に敬意を持って吟ずる。
父親がある大学の詩吟の創設にかかわって、父が詩吟を始めて、その先生に会って聞いたら感動してしまいました。
中学、高校では弁論部にいて数分話すが、詩吟と似ていると思って始めました。
その後はあまりやらなかった。
32歳のときに医療機器会社を創業して、詩吟に目を向けるようになった。
アメリカに医療の見学ツアーに行ったときに、あるパーティーで詩吟を吟じたら、日本語の意味もわからないアメリカ人が凄く感動してくれました。
日本の伝統芸能を持っているとコミュニケーションもスムースに出来るようになりました。

弁論と詩吟はいろいろ共通点がありまして、マイクを使わないで声を出すので母音の響かせ方が必要、腹式呼吸、語る、弁論は生きました。
姿勢が良くなりました。
呼吸筋と姿勢を保つ筋肉類は同じだといわれています。
45歳のころに、70歳になった時に病気になって人が身のまわりに誰も見舞いに来ないのは淋しいと思って、なにかものごとを教えて居れば来るだろうと思って探してみたら、詩吟に思い当たり詩吟を始めました。
60歳で退職して今のような状況になりました。
吟にかかわると人にいかに話すか、話をすることを実感しました
自分をどの様に表現するか、表現力を磨く、心の内面を磨く、そういう面では言葉一つ一つが持っている重さを吟味して伝えていくことが一番大事だと思います。

弟子に教える訳ですが、上手は下手の手本、逆に下手は上手の手本と云うこともあり、教えることは教わることだと思っています。
2003年に指導者になりました。(師範になる)
2011年に自分の会派を立ち上げました。
世田谷区の小中学校に詩吟を通して日本語の美しさを伝えています。
10年ほど前に国語の教科書の中に有名な中国の漢詩が22題掲載されていて、日本語の響きやリズムを楽しみましょうとか、短歌、漢詩を音読しましょうとか、暗唱して朗読しましょうと呼びかけて居ました。
漢詩などを教える手伝いをするようになりました。
教えるとガラッと変わってしまって、感動しました。
赤ちゃんは親から言葉を覚えるときに、言葉と一緒に口の動きをみているそうです。
学校で百人一首を口の動きだけでやってみたら半数ぐらいが判るんです。
同じ事を自分の弟子の教室でやってみたら、なかなか伝わらなかった。

アメリカの学校でショー、アンド、トークがあり何か物を持って3分間喋る授業がありこれはいいなあと思いました。
自分を主張する練習をさせられているんだと感じました。
今後、日本の文化と云うものを文化資産として子供たちに伝えて行きたい。
詩吟を子供たちに伝えていきたい。(学びの連続 教えることによって教わる)
10年前から詩を吟じながら舞うと云う事をやっていて、世阿弥の言葉の中に「舞は声音で根をなす」があり、吟を一生懸命やって腹から出す声は舞につながるなと思いました。

良寛が作った漢詩 「余生」
雨晴れ雲晴れて気も復(また)晴(は)る 
(雨晴雲晴気復晴)
心清ければ遍界(へんかい)物皆清し
(心清遍界物皆清)
身を捐(す)て世を棄(す)てて閑人(かんじん)と為(な)り
(捐身棄世爲閑人)
初めて月と花とに余生を送る
(初月與花送餘生)