2012年3月4日日曜日

渡辺憲司 (中学校高等学校長)   ・今君にできる事

渡辺憲司 (新座中学校高等学校長)     今君にできる事
日本の近世文学研究者で、立教大学名誉教授、立教新座中学校・高等学校校長  
江戸時代小説・大名文芸圏・遊里史等を専門とする 『時に海を見よ』
埼玉県立教新座中学校高等学校の校長渡辺先生は 大震災の影響で高校の卒業式を
中止しました
その代わりに学校のホームページに「新座高校の3年生の諸君へ」と題する渡辺校長の思いを
載せた処、その文章を眼にした人たちから賞賛の声が上がりました
一晩に30万アクセスが有った 一昨年立教大学の教授を定年で辞めて 校長にならないかとの
話があった 近いし学生の可愛いのが好きで引きうけた
昨年の3/11に卒業式が流れ ホームページに「新座高校の3年生の諸君へ」を載せ、評判になり
本も出てしまった

一部を義援金にと思っていたら妻から何てけちな事を云うの「全額でしょう」と言われる 
全額にしました
本は「時に海を見よ」というタイトル  一番大事なことは 一人の時間を大事にしてほしいと言う事
 究極的には人間自分達は一人で生きてゆくんだと気う事を
どっかで確認してその中から発想しろと言う事なんですが、大学と言うのは何だ 
大学に行くと言う事は何なんだ 勉強か? 勉強なんて大学にいかなくてもできるじゃないか
友達 友達だって大学に行かなくても作れるじゃないか 
大学は非常に自由な時間があるぞ、と言っているんですね
大学に行こうかと思っている時にふと 俺って何だろうな 海でも見に行こうかなと思った時に
大学でしかできないぞ 大学でしか時間を作れないぞと
つまり会社へ行ってるときに海に行ってきたよ何てできない 高校生でもできない  
時間の豊かさは大学生にしかないぞ

自分を見つめる時間が大学には有る事が人生にとって非常に大事なんだ と言う事です
なぜかと言うと 人間はやっぱり一人一人なんだ  
その一人一人と言う事を自覚してお互いが結びつくんだ と言う事を卒業式に言いたかったんですね
本を出してから、年を取って来てから新しい出会いができた事は有りがたいことだと思っています
「これからの日本を生きる君に送る」という副題が出ている  3/11の後にこの気持ちを伝えたい  
一言で言うと貧しさだとか ひたむきさとか 貧しさを恐れないでやれ ひたむきで一筋でやれ 
幸せを追う時にもあれもこれもじゃない
一番大事な一筋に繋がるもの 芭蕉はなにをやっても駄目だったけど俳句に繋げる 
西行は歌に繋がって行った
歌や俳諧だけじゃなくて 人間これだと一筋に これはゆるがせにできない と言うものをひたむき
に持って行ってほしいと思うんですよ

それは何でもいい 俺はこれに繋がってゆくんだと言うものを人生で持って欲しい 
大震災で色んなものを失われた訳ですけれども、失われた状況の中でも一筋を探せと思いましたね
卒業する子供達に 大学と言う自由な場があって 海を見ながら自分の生きざまを考えてほしいと 
そして考えた中 生きざまの中でどうしても譲れない一つだと
いうものをやっぱり持ってほしいと思いますた (今回の本のメッセージ)
団塊の世代から上の人にはどういうことが言えますかね?→伊能忠敬がいますね 
50歳を過ぎてから日本中を歩いた人 そして地図を作って行った
一番凄いのは歳を取ってから 自分はなにをしたいのかと言う事を 理想を持ったと言う事だと思います
理想の夢とはなんなのか 我々に取って 我々は若者より先が短い 
短いだけに どういう国を目指したいのか どういう自分の人生を残したいのか
という理想をしっかり持つべきだと思います

江戸時代は隠居という制度があったせいかも有るかもしれないけれども、年を取って自由になる
んですよ  今までのしがらみから解放されてゆくわけです
昔の子育て論の中に 「親は子を抱かず 爺さんは孫を抱き締めよ 」と有る その後に 
子供を育てるときに一番大事なことは抱きしめる事だと言っている
これから未来に生きる子供達にどういうものを残したいかという理想を年寄は持つべきだと思う 
今まで反対できなかった事ができるわけですよ 撹乱しないと出てこない 
もっと新しい知識を持って 新しい教養を持って(教養は過去のものではない)
そういうものを持つ事によって 我々の理想 国の理想 個人の理想 そういうものを描く事が
年寄はそれができると思います

もっと学んで未来を見据えて (過去がある 良い事、悪い事 それを踏まえたうえでではなく→
これはむしろ一旦本当に新しくなるんだという気持ちを持つべきだと思う)  
歳を取る事によってできる新しさ 若いものは新しくなろうとして現実がある 
歳を取ると本当に一人になってゆく場合もあるし 新しい人生は開けてきているわけですから
過去を踏まえるよりも未来を見ないといけないんじゃないかと思う
日本は節目節目で理想を持っていた 結果論は別ですが   理想論を掲げながら当時の支配者、
老人たちがやってきた
この大震災の時に現在の支配者、年寄は理想を掲げていない 
 
歳を取って勇気が無くなるの駄目ですよ 発言するのでもなんでも  
そしていままでの知識を固定してはいけない  もう一回辞書を引く 海だったら海を辞書で引く 
見るとはどういう事か ・・・姿勢を年寄は求められている
こういう方向に纏めるのが大変  「でも・・」と年寄が言ってはいけない
広野に行く 私と高校生で  なにも言わない 見る 肌で感じる  一人で行って一人で見る
芭蕉は深川の芭蕉庵を水没させられて居場所が無くなり 1684年(40歳)、野ざらし紀行に出掛ける 
「野ざらしを心に風の沁む身かな」
「旅に病んで 夢は枯野を駆け巡る」 芭蕉の辞世の句  彼は長崎まで行きたかったけれども、
大阪の御堂筋で亡くなる 

俺は旅で病気になって死ぬけれど 俺の夢はこの枯野を駆け巡って次の処に行っている 
と言っている   最後まで夢を見ている
人生はいつも中途半端  どこで死んでも中途半端 想いを持っていないと駄目  
老い先が短いほど今日 本を買っておかなきゃいけないんじゃないですか
現実は違うけれども 理想に近づかなくてはいけない 
大学では江戸文学を教えていた  当時の理想として地方史の古文書をじっくりやりたかった
「今お前なにしてる」と言うような教師であってほしくない

歳を取れば年を取るほどしなやかになる・・・ローマの哲学者が言った言葉  キケロ  
歳を取ったら柔軟になる 頭は混乱している
多くの人が被災しており年寄は今なにをすればいいのか→自分の身を削る事 
自分の身を削らないで優しさは生まれない  
「優しい」は「痩せる」こと 「やせし」から「優し」なんです  
歳を取ったと言う事は削るものが有る  歳を取ったと言う事は色んなものを蓄えてきたという事
知識もあるでしょうし、お金 物質的な物もあるでしょう 心も削らなきゃあ 今の年寄に有るでしょうか?  
若いものがいろいろ悲しみを分ちあうのが難しい時に俺は分け合うぞと年寄が率先的にでないと 
身を削る年寄の義務じゃないでしょうかね