2023年7月19日水曜日

服部道子(プロゴルファー)       ・〔スポーツ明日への伝言〕 いつまでもチャレンジャーでいたい

 服部道子(プロゴルファー・〔スポーツ明日への伝言〕  いつまでもチャレンジャーでいたい

服部さんは高校2年生だった1985年、アマチュアゴルフの大会では世界で最もレベルの大会と言われる全米アマチュアゴルフ選手権で日本人として初めての優勝を果たしました。    その後アメリカの大学に留学、帰国してプロゴルファになってからは、ツアーで18勝、1998年には賞金女王にも輝いています。  ツアー引退後は東京オリンピック女子ゴルフの代表チームのコーチとしてメダル獲得に貢献しています。  自身のゴルファーとしての歩みを振り返っていただきながら、いつまでもチャレンジャーでいたいというこれからについても伺います。

東京オリンピック女子ゴルフの銀メダル、素晴らしかったです。  今の女子ゴルフは勢いがあります。  1985年、全米アマチュアゴルフ選手権で日本人として初めての優勝。  私は初めてのアメリカ独り旅でした。   ホームステーで温かく迎え入れてもらえました。   何もかも新鮮で楽しく試合を迎えることができました。  決勝は暑い日で36ホールでした。  ピッツバーグの東海岸の暑いところでした。  相手は強豪のオハイオの大学生でした。  お互い励まし合いながらやっていきました。   成田空港から降りてきたらびっくりしました。  母も20歳の時に日本女子アマチュアゴルフ選手権競技で優勝しました。  

最初の日本女子アマ優勝が15歳9か月でした。(高校1年生)   ゴルフのきっかけは母でした。   基本はプロの方に教えていただきました。  全米アマチュアゴルフ選手権で優勝したことが、アメリカ留学のきっかけになりました。  アメリカテキサス大学オースティン校に留学しました。  帰国後はプロになるつもりはなくて、帰国後の就職をどうしようかと思っていました。」   母が「(JLPGAの)プロテストに申請したから受けてみなさい」と勧められて、受けてトップ通過することが出来ました。  

プロとしての心持が全くなくて、日本の社会も知らないので戸惑いがありました。       挨拶とか、年功序列的な事とかですね。   気持的にもやもやしたところがあり1992年は最後の方で崩れたりしていました。   1993年あたりはトーナメント数が40近くありました。  落合さんとゴルフを回る機会があり、質問したかったができなくて、帰り際に落合さんから「自分の苦手なことを続けると勝てるようになるから」と言われて、自分なりに分解して、早起きをしてランニングを始めました。   トーナメントが終わった月曜日は苦しいが、冷静に自分と向き合えるようになりました。   1993年ミズノオープンレディスゴルフトーナメントでツアー初優勝。 通算18勝。   

留学時のホームシックは忙しすぎてなかったです。   勉強が7,8に対してゴルフは2,3の割合でした。   1998年には年間5勝を挙げて賞金女王になりました。(30歳)  25,6歳ぐらいから女性としては身体の衰えみたいなものを感じ始めて、30歳ちょっと前はスランプがありました。  伊藤園レディース、グレートアイランドクラブ(千葉)で19アンダー。  初めてて最後ですが、すべてがスローモーションに感じられるんです。  自分でボールを思うようにコントロールできるような感覚でした。   その時の3,4か月前に父を亡くしていて、父が天からパワーをくれているような、不思議な気分の一週間でした。  

岡本綾子さんからは「怪我も自分の実力のうちだから」と言われて、41歳まで怪我もなく、今も元気でいられるのは岡音さんの言葉があったってだなあと思います。  不動裕理さんは年下ですが。違った視点で言ってくれるので、心強い存在です。  彼女は6年連続賞金女王ですから。 角度の違う意見を言ってくれます。  一般的に大変だという事を思わない力、正しく努力できる力とか、違った才能があるのかもしれません。   

2009年に結婚、2012年日本女子オープンが最後の試合となる。 長男出産。  今は若手育成に力を注ぎたいと思っています。   段々日本人のメンタリティーも世界に出ても自分を出だせる、自分の空気感でプレーできる選手が凄く増えたなと思います。  2019年に渋野さんが優勝しましたが、そこからなんか違った扉が開いた気がします。  

2021年『好転力』という本を出版。  ゴルフから学んだ人生哲学を綴る。 「死ぬまでチャレンジャーで居たい。」と思っています。