2022年10月11日火曜日

上杉剛嗣(駅弁愛好家)         ・旅情をかきたて時代を映す「駅弁掛け紙」

 上杉剛嗣(駅弁愛好家)         ・旅情をかきたて時代を映す「駅弁掛け紙」

三島市在住の高校の先生 上杉剛嗣さん(62歳)は半世紀にわたって駅弁の掛け紙を収集し、その数は何と1万枚を越えます。  休みの日はほとんど全国を飛び回って駅弁掛け紙のコレクションに余念がありません。   駅弁掛け紙の魅力を伺いました。

コロナ禍で一時車で行きましたが、この半年は列車の旅も増えてきて、週末は駅弁を捜しに全国を飛び回っています。   駅弁に興味を持ったのは掛け紙(お弁当を包んで居る紙)からです。   中学校1年生の時に北海道にブルートレインで旅行をして、帰りに青森駅で買った駅弁の掛け紙がねぶた祭りの武者絵でねぶた祭りの前日に購入しました。   その掛け紙を持ち帰ってアルバムに貼った時から、意識して集めるようになり駅弁自体も好きになりました。   百貨店の駅弁大会もあり、そういうところで全国の有名な駅弁を食べているという事を中学校のころからしていました。   高校1年生の時に九州に旅行しましたが、西鹿児島駅に売られている豚骨弁当、ムツゴロウちらし寿司(佐賀県肥前山口駅の駅弁)というものがどうしても欲しかったんですが、売り切れていて買う事が出来ませんでした。  駅弁屋さんに手紙を書いて掛け紙だけ送ってもらったこともあります。  この2,3か月では九州に2回、北海道1回、東北2回、北陸3回、山陰2回、四国1回、南紀1回、関東中部は月に1~2回行っています。  飛行機も使って九州と北海道を2泊3日で旅をしたこともあります。  2003年に「駅弁の小窓」というホームページを立ち上げて、全国の駅弁ファン、駅弁屋さんなどとつながりが出来て、のぼりを立てて案内してくれた時もありました。  

半世紀にわたって集めた掛け紙は1万枚を超えています。   駅弁の中身を想像するような絵が描かれている。  旅情を掻き立てる様な絵が描かれいます。  オホーツク弁当は昭和55年のものですが、オホーツク海、流氷が流れている、ノトロ岬があり原生花園があり夏にはいろんな花が咲き乱れ、そういった風景が描かれている掛け紙になっています。  天の橋立の駅弁、15年前に駅弁は撤退しましたが、掛け紙はずーっと残ります。   静岡県沼津の三島駅で売られている鯛めし、鯛が飛び跳ねている絵が描かれています。    新宿駅の駅弁(鳥飯が有名)には近代的なビルが4棟描かれています。  

中学生の時に旅行雑誌に駅弁の掛け紙を集めているという事を投稿したら、年配の読者から「日華事変一周年」と記された古い駅弁の掛け紙が送られてきました。   それまでは地理的な平面だけでしたが、歴史という縦軸があるという事に気付かされました。  駅弁が出来てから140年ぐらい経っていますが、明治、大正、昭和の時代の掛け紙、日本が統治していたころの台湾、朝鮮、満洲などの掛け紙を買い集めたりしました。   世相を反映するものもあることを発見しました。  

名古屋駅の明治20年代の掛け紙、「折り詰めお辯当」と書かれた木版画をバレンで擦って作られた掛け紙です。  明治39年に弁当の種類、弁当の等級、価格、製造している店の名前、駅付近の名所、旅客案内などの下絵が義務付けられるようになって、石版印刷へと移行していきます。  色鮮やかに描かれるようになりました。  大正11年に平和記念東京博覧会があり、4月12日にイギリスの皇太子が来日したことを記念して、共通デザインの掛け紙が使用されました。   日本の国旗とイギリスの国旗が周りに交互に並べられていて、真ん中にイギリスの王冠、花があしらわれている。  戦時中は戦意高揚のスローガンが書かれたりしています。  昭和13年には日独伊防共協定を記念した駅弁もあります。 戦争末期、直後などは紙も手に入らなくなり、戦前使っていた紙の裏にスタンプでお弁当と書いて、本当に簡易な掛け紙が出て来ます。    

日本が統治していたころの台湾、朝鮮、満洲などでも駅弁はありました。  中央に朝鮮半島の絵が描かれていて、下の方に鉄道の地図マークがあり、中央を蒸気機関車(特急アジア号と思われる)の絵が描かれている。    満鉄直営の構内食堂があり、そこで作られた駅弁で、鼠色の仏舎利塔が描かれている北の大地を思わせるような絵柄になっています。 台湾では、掛け紙に台湾全図が描かれた「バナナ饅頭」という駅弁ではないですが、戦前から台湾バナナは有名でした。  色鮮やかに描かれています。  樺太にもあります。  樺太の南半分の地図と針葉樹の木,SL、岬などが描かれ、山火注意と赤いスタンプが押されている。

駅弁の会員の企業の数はピークの1967年の405社から、現在86社となっています。    JRになって駅弁を大量流通できる専門子会社が出来て、地方の小さな商店は経営難に落ちったのが最大の要因です。  新幹線網が出来て窓が開かなくなり、ホームで売ることが出来なくなった。    車で行くようになってから2年間で9万kmになりました。   飛行機+レンタカーという事もあります。  応援してくれる家族には感謝しかありません。

「伊豆半島ジオパーク」をPRする駅弁を共同開発しました。  生徒たちにメニューを考えさせました。  掛け紙から見えないものを想像して味わう、その時代の考え方、人々の生活の様子、美しい景色、時代を越えた旅情、郷愁、そういったメッセージが掛け紙から伝わってきますので、心で味わってください。